2006年の日常に関する思索/批評のページ


 2006年の日常に関連する記事を掲載しています。

おもてだけ
【通念】
 「今日最も悪い運勢なのは…」
 このフレーズで始まる星座に該当して、一日の始まりを鬱々とした気分で迎えてしまう方も多いことでしょう。信じる人は盲目的に信じてしまうし、信じないと言っている人でもちょっとは気になってしまうのが占いというもの。果たしてこれにはどの程度の信憑性があるのでしょうか。
 とはいえ、占星術師でも、サカナ占い師でもないこの身、実際の占いが何に基づいていて行われていて、どれだけの的中率があるかは知りません。あくまで、素人の妄言ととらえていただきたいところです。

 血液型占い(ほとんど日本だけらしいが)や星占いを否定する人がよく言うことに、「人間が4や12に分類できるわけがない」ということがあります。確かに、生まれた月や抗体の型で人間の全てが分かるなどということにはボクも賛成はできません。しかし、占いが廃れもせずに、もてはやされているのも事実。何がしか当たる部分もあると考えるのが自然でしょう。
 ところでボクは、人格形成は"遺伝"<<"環境"に左右されると考えています。子供にとっての環境は、親そのものといって過言ではないと思います。この仮定の下では、親の性格と子供の生まれ月の間の関係性が存在する限りにおいては、星占いにもある程度の信憑性があるといえそうです。

 子供の視点から見れば、親の性格や自分の生まれ月は与えられたものであり、そこに介在する余地はありません。ですが、親の視点から見れば、自分の性格はともかく、子供の生まれ月は不動のものではありません。そこに自分達の意思が介在する余地があります。まぁ、当然ですよね。
 たとえば、すごく計画的な人は、給料が上がったとか、家を買ったとか、そういう理由で子供をつくろうと思うかもしれません。そんなことまで考えていないという人は、なんとなく今日は寒かったからという、誰かの歌みたいな理由でそう思うかもしれません。
 そう考えると、子供の生まれ月というのは、親の性格によって決定付けられているということもできます。

 このような暴論を押し通すには、親の性格を調査して、そのときの環境を調査して、それが子供の生まれ月とどのような関係があるかを考えないとならないわけで…。相当大変ですよね。しかも、結論が得られたからといって、どうということもないし。ま、暇があったらやってみても面白いかなぁ。

 ちなみに、ボクの誕生日は10月7日です…
生きるために働く
【社会】
 昨日、お昼頃、TOKIOの山口達也さんがチベットに行った番組が放送されていた。そこでは自給自足の生活をしている家族が描かれていた。それを見て思ったのは、本来生活とは生きるための活動だということ。だってバターをつくるのに2時間もかかるんだもん。他のことは何にも出来ない。
でも、自分の生活を振り返ると、お金を介して同じ事をしているはずなのに、何かが違う。生きるということを意識しなくても生きて行けるもんなぁ。
悪意を感じた
【映画】
 だいぶ前になるが、「デイ・アフター・トゥモロー」をテレビで見た。地球温暖化によって、氷河期が訪れるというお話。色々考証したんだろうなぁ、という感想。
 明らかに悪意を感じたのが、異常気象による明示的な最初の犠牲者が、日本人だということ。最終的に主人公家族は助かるのに、日本人家族は死別するという対比に、そこはかとない悪意を感じる。…感じない人のほうが多いのでしょうが。
泣けはしなかったな、やっぱ
【映画】
 「私の頭の中の消しゴム」という韓国映画がテレビで放映されていたので見てみた。アルツハイマー病によって妻が夫の記憶を失っていくお話。ボク的には、「博士の愛した数式」と同じ道具立てなのでは?という先入観があった映画。…後者は立ち読みしたきりだけど。
 中盤から後半にかけては、結構引き込まれるかな、という印象。しかし、前半の出会いの場面はどうなのか?不倫相手の上司は果たして必要な存在だったのか?こいつをなくすと、後半の、他人の名前に対して愛を告げられるシーンはできなくなるけれど、それを考慮しても、別の出会い方をさせてストーリーをすっきりさせ、二人の幸せなシーンをもっと長く描いたほうが、後半の哀しみを倍増させたのでは?と思う。
 もうひとつ気になったのが、時間経過の描写がほとんどないということ。ウォンの価値については、冒頭のコカコーラで観客に理解させることに成功しているのに、建築進捗によって時間を表現するはずのビルが途中からまったく出なくなったので、二人が出会ってからどのくらいの月日が過ぎたのか良く分からなかった。…後で二年くらいたっていると分かったけれど。そのせいで、二人も、周囲の人も、
のっとり(=Not理)
【社会】
 サハリン2は、ロシアにのっとられてしまった。ああいうこと、許されるんだねぇ…
おめでとう
【法律】
 と自分で言ってみるお誕生日。23以来の素数の歳だ。
 引き続き法律ネタ。民法上、昨日でボクの歳はひとつ増えたわけだが、誕生日の前日に歳が増えるのは一応理由があるらしい。それは、2月29日生まれの存在。
 もし誕生日に歳が増えることにすると、2月29日生まれの人は4年に1回しか歳をとらないことになってしまう。実際上はそんなことはないが、法律上はそうなってしまうので、前日に歳が増えることにしたとか。その弊害が、学校の学年割で4月1日が早生まれになってしまうこと。そう、あなたが早生まれなのは、うるう年のせいなのです。
しばらく静観
【政治】
 お風呂屋さんで安倍晋三の内閣総理大臣就任会見をちょっと聞く。わずかに聞いた中で思ったこと。
 …成長する社会を実現するために重要なことが3つあります…おいおい、某外資のコンサルか?美しい日本はどうした?
 …成長する社会を実現するためにイノベーションを大切にしたい…美しい日本では日本語は使われないのかなぁ?
 そんなツッコミを心の中でしつつ、部屋に帰ってニュースを見る。すると、コメンテーターがあまりに安倍内閣の先行きの暗さを主張しまくるので、ちょっと引く。そりゃ、小泉のあとじゃ、どんなやつだって霞むって。ということで、しばらく静観がボクのスタンス。
嫡男って何だ?
【法律】
 特に気にしていなかったのだが、親王と王の定義の違いが気になった。皇室典範第6条によると、「嫡出の皇子及び嫡男系嫡出の皇孫は、男を親王、女を内親王とし、三世以下の嫡男系嫡出の子孫は、男を王、女を女王とする」とある。
 ここで疑問に思うのが、”嫡男系嫡出”の部分。大辞林(第二版)によると、嫡男とは嫡出の長男のことらしい。しかし、この定義では秋篠宮の子供が内親王や親王になっている理由が分からない。この事実から類推するに、皇室典範にいう嫡男とは”嫡出の男子”という意味だと解釈せざるを得ない。…こういう定義って、どこにされているんだろう?
とりっく?
【通念】
 ボクが良く乗る電車に、2駅行くのに3分という路線があります。この表示だけを見ると、不可能じゃないか?と思いますけど、ちゃんと着きます。若干不思議。だって、停車時間を30秒ずつとすると、走行時間は1分ずつになっちゃいます。これって、短すぎると思いません?
 でも、よくよく考えてみたら、見えない1分があることに気づきました。当たり前ですけど、1分は60秒です。例えば、A駅を0分00秒に発車した列車がC駅に3分59秒に到着したとしても、区間時間は3分になるわけです。この場合、約1分の見えない時間を利用していることになります。

 単位を大きくしていけば、物事はすっきりと分かりやすくなりますけれど、覆い隠されることも多くなってしまうというお話。
意味分からん
【映画】
 先々週の金曜日、日本テレビ系で「ハウルの動く城」が放送された。初見。
 何の目的で作られたのか良く分からない。特に最後、ハウルの師匠が、「この無意味な戦争をやめましょう」見たいなことを言っていたけれど、やめさせられるならはじめからやめさせておけよ!と思う。結局彼女は自分のエゴで多くの罪の無い人を殺したわけだ。最悪。あと、ヒロインのお母さんにも娘を裏切らせていたしね。
 何となく綺麗な絵を描いて、有名人を声優に起用すれば観客は入るのかも知れんが、何の思想も無い作品なんて駄作だ。イマイチ何が描きたかったのか良く分からなかった。…商業作品としては立派に成立していたけど。
誰の意図か
【政治】
 いまこの時期になって、昭和天皇の靖国神社A級戦犯合祀に関する考えのメモが世に出た。おそらく正しいのだとは思うが、この微妙な時期に公表されたのは、政治的意図を強く感じる。
 …まさかこんな風に使われるなんて考えなかっただろうに。
翔ばない方が怖い
【政治】
 ついに撃ってきましたか、北朝鮮。世界の反応は結構早かったかな?
 しかし、怖いのは、テポドン2が失敗だったということ。アメリカは安心かもしれないが、目標に当てられない威嚇射撃ほど怖いものはない気がする…
転換点?
【社会】
 エイズ撲滅のCMで、男女の写真が交互に出ながら、「彼氏の元カノの元カレの元カノの元カレの…」と続いていくやつを見たことがあるでしょうか。これがエイズ撲滅のCMとして成立していることは、日本の文化が変化したことを意味していると思う。だって、大多数の人がこの関係に納得しているということだよね。
 …文化っていつの間にか変化しているけれど、その変化は顕著だね。
読んで損した
【生活】
 だいぶ前に買ったとある本を読んだわけです。現代の若者は根拠のない有能感を持っていて、社会問題が起きている、うんぬん、と言う本。個人攻撃になるので具体的には言わないが。別に、そういう主張があるのは良いし、そういう視点から眺めるのも良い。しかし、研究者ならば客観的事実に基づいて主張をして欲しい。
 まず、データ数が少なすぎる。さらに、そこから恣意的にデータを抽出している。著者の主張と逆の結果が出たにもかかわらず、対象が悪かったの、調査の仕方が悪かったの、色々言い訳を並べて、自説のゴリ押しをする。これでよく編集者が通したと思う。著者がこんなのを書いてきたとしても、編集者がとめるのが普通ではないのか?
 結局、この本は著者が普段の生活で思っていることを先入観に基づいて書き散らした程度の意味しかない。あまりにも読んで損したと思ったので、そのグチ。

 ごめんね、気分悪くして。
よく働くね
【政治】
 今回の文章は政治的に微妙な問題を含んでいます。政治的立場を気にする人は読まないで下さい。お願いします。



 ボクは皇族は日本国民の奴隷だと思っている。税金で生活を保障する代わりに国益に寄与することを義務付けられた奴隷。あまりにも哀れで、けしてなりたいとは思わない存在。それにもかかわらず、彼らはよく働く。ボクの不勉強で今まで知らなかったが、タイでよく食べられるプラー・ニンと言う淡水魚は、かつて天皇が皇太子時代にタイのプミポン国王に送ったのを養殖したものらしい。
 彼らは日本人そのもの。期待以上に良く働く。果たして、いまの皇太子は?
どうしたいのか?
【政治】
 村上氏たたきや、子供殺害での過熱報道など、しばらく見ていない間に色々やっているようだ。
 金融規制を緩和して自由競争を推進すれば村上氏のような仕事をする人も当然必要だし(資金の流動性を高めるため)、いわゆる実業というのをしている人の方がもっと汚いことをやっていたりもするのに、どうして彼らのような人だけがたたかれるのだろう?彼らの勝負の仕方はとても潔いと思うのだが…
 マスコミも自分たちの職業をどういうものだと思っているのか良く分からない。あなたは本当にそれを伝えたいと思っているのですか?自分に恥じませんか?視聴率をとりたいだけじゃなく?

 いずれにせよ、我々がどういう方針で社会を作って生きたいのかが明確になっていない。自分も含めて。そんなことは政治家に任せておけばよいという問題ではない。それでは、その政策が失敗した時には、政治家を責める言い訳ができてしまう。自分の責任も明確にしておかないと一生懸命やらない。
 理想の社会とはどんなもの?
特権階級
【生活】
 キャンペーンに当選したり等々でセブンイレブンのプリペイドカードやEdyチャージなど頂いた訳です。これが意外に使うのが難しい。食品類はスーパーで半額になったときなどに買った方が安いから、お得感がない。無駄な気がする…
 ようやく思いついたのが、雑誌を買うこと。毎週月曜と水曜には雑誌を購入しているので、それに使えば良いじゃん!こう思って、ふと考えました。つまり、雑誌はどこで買っても同じ値段ということだよね?
 ここで再販制度云々をいう気はないですが、商品としてちょっと異常かも知れませんね。
数字あそび(後編)
【生活】
 この前までのボクならば、太郎くんの選択を良しとしてきました。でも、いまは花子さんの選択を良しとします。報奨金315,000円がタダで手に入るのに、なぜそちらを選ばないのか?
 ここでポイントとしたいのは、"タダ"というところ。一見するとタダに見えますが、実は奨学金を15年もしくは20年保有することができるという権利と引き換えに報奨金を手に入れているのです。この権利の代償として30万円は安いのか、高いのか?

 議論を簡単にするために、この報奨金を奨学金の運用損益だと考えて見ましょう。つまり、15年もしくは20年自分で運用してから育英会に返済することが可能であるとします。するとこの運用利率は、修士分で年0.326%、博士分で年0.244%だったことになります。…あれ?
 預貯金利率が低いといわれて久しい現代、郵便普通貯金は0.050%、イーバンク銀行普通預金は0.060%(2006年5月12日現在)の年利です。確かにこれよりは高い。でも、イーバンク銀行の3年定期預金(10万円単位)の年利は0.800%(2006年5月12日現在)ですよ?ゼロ金利が解除されればもう少し上がるでしょうし…

 上記の議論は毎年の奨学金返済を考えていない!というお叱りの声が聞こえてきそうです。確かに。
 再び議論を簡単にするために、奨学金を返済年数で割った金額を1年度の返済金額とし、ある年度に返済しなければならないお金は、その前年まで運用可能であるとしましょう。つまり、7年目に返済しなければならないお金は6年間運用でき、15年目に返済しなければならないお金は14年間運用できるということです。この場合1年度の返済金額は、修士分134,400円、博士分214,200円です。

 これらのお金をどのくらいの年利で運用すれば、報奨金相当分の利益を挙げら得るのでしょうか。運用益にかかる税率を20%として考慮すると、修士分を年0.860%、博士分を年0.634%で運用できれば、それぞれに対してもらえる報奨金額を上回ることが分かります。
 イーバンク銀行の5年定期預金(100万円単位)の年利は1.050%(2006年5月12日現在)、ソニー銀行の10年定期預金(100万円以上300万円未満)の年利は1.076%(2006年5月12日現在)であることと合わせて考えれば、先ほどの運用利率は相当保守的に運用したとしても達成できそうな気がします。先ほどは単年度分ずつ運用しましたけれど、実際は複数年度まとめて運用可能ですしね。

 もしある程度の損失を出すリスクを許容できるのだとすれば、目標運用利率をもう少しあげることができるでしょう。もし仮に3%で運用できたとすれば、先ほどの仮定の下で、約150万円の運用益を上げることができます。これらはあくまで、「獲らぬ狸の皮算用」というやつですけど…

 日本学生支援機構は、報奨金が法人運営を圧迫するという理由で報奨金制度を廃止したようです。それはそうでしょう。借金の一部棒引なんですからね。
 …しかし、これだけはいえるのは、もしボクが日本学生支援機構の財務担当者で、かつ、法律的に問題がないのであれば、ボクに対して適用されている程度の条件で、報奨金制度を存続させただろう、ということです。その方が財政再建は早くできる気がします。
数字あそび(前編)
【生活】
 かつては、育英会(現日本学生支援機構)の第一種奨学生には返済に関する報奨金制度というものがありました。ある一定時期までに返済残額を一括で返済すると、その額の何パーセントかが報奨金として支払われるという制度です。各人の貸与年度毎にその基準は異なりますが、ボクの場合は、返済開始後2年以内に一括返済した場合に、その額の5%が報奨金として支払われるはずです。昔は10%とか、返済終了4年前とか、もっと緩い制度だったようですが、年々厳しくなって、現在の奨学生には無くなってしまいました。
 普通の奨学生は2年以内に一括返済なんてまず無理ですが、もしあなたが日本学術振興会特別研究員とかだったりした場合ならば、授業料全額免除と合わせて考えると、絶対に不可能という話ではありません。実際、一括返済した、という話も聞いたことがありますしね。借金したのにただでお金がもらえるなんて、良い話ですよね…
 正直、昨日まではそう思っていましたが、果たしてこの制度は本当に奨学生にとって良い制度なのでしょうか?ちょっと考えてみることにします。…やることが無いものですから。

 同期入社の太郎くんと花子さんは同じ大学院出身です。二人とも育英会の第一種奨学生として研究していました。はれて社会人となった二人は、リレー口座に加入し奨学金の返済を開始することにしました。修士時代の奨学金が2,016,000円、博士時代の奨学金が4,284,000円。結構な額です。でも、第一種奨学金は無利子貸与なのでじっくり返済することができます。修士分は15年、博士分は20年かけて返済することにしました。
 二人とも、修士時代は教務補佐員、博士時代は特別研究員として給料をもらっており、かつ、授業料が全免だったので、ほとんど奨学金に手をつけずに生活してくることができました。幸い、いまの職場も良いところで、あんまり派手に遊ばなければ、月に5万円くらいは貯められそうです。
 太郎くんと花子さんは理論系の研究者にもかかわらず、めずらしくきちんと書類を読むタイプだったので、奨学金返還の手引きに小さく書いてあった報奨金のことも知っていました…

太郎くんの選択:
 奨学金を全額一括返済して、2ヵ月後に報奨金315,000円を受け取ろう!

花子さんの選択:
 手持ちのお金が一気に減っちゃうのは怖いから、一括返済はやめておこう!

さて、あなたはどちらを選びますか?
裾野を広げれば…
【社会】
 ルネサンス後期のヨーロッパが古典礼賛から抜け出して、近代科学への第一歩を踏み出す要因となったのは、学術言語のラテン語から自国語への転換にあったそうな。一部の知識階級が知識を独占している状態は、支配にはうってつけなのだろうが、新たな進歩を生むには、裾野を広げ、実践的知識を取り入れて改善を行うというプロセスが必要だということなのだろう。
 ちょっと面白いのは、利潤追求の風土が生まれたことがこれを助長したということ。当初、写本の代替として用いられた印刷術が、利益を追求するために、多数の人が読める自国語の出版中心に移行し、さらに、大航海時代になって特定地域によらない知見が積み上げられたことが新たな一般常識を生み出すことになったという。

 ここまでは前提。ここで考えたいことは2点。一つは小学校からの英語教育をはじめるべし、という答申が出たこと。もう一つは、インターネットの普及により、環境にほとんど依存しない知識の広がりが実現しつつあること。
 言語を文化と見れば自国語を中心に教えることは当然なんだけれど、先の例から考えれば、同じ言語を話す人口が多い方が、技術の発展は進みそうにも思える。また、誰もが同様の情報を手に入れられることも、技術の進歩に貢献しそうではあるが、それを悪用しないという倫理観はどこで養うべきなのか?
 賛否両論いろいろありそうだけれど、ちょっと考えてみてもいいかも。どういう方向で今後進んでいくのか、という意味で…
これは魔術です
【本】
 山本義隆「磁力と重力の発見」を読み始めた。科学史の間隙をついた歴史的名著になる気はするが、著者の学識が高すぎるためか、結構読むのにてこずっている。分かりやすいとは思うのだが…
 本の内容とは直接関係無いのだが、読みながらふと思ったことがあったので、覚書までに。物理・数学嫌いの人の弁に、「物理や数学なんか、大人になったら使わない」というようなものがある。これに対する意見。

 磁石というものは真っ白な状態でであったとするとかなり不思議なものだ。一方でくっついたかと思うと、他方でははじかれる。水に浮かべてクルクル回しても、必ず同じ方向を向く。この石に意思があると言われても、本当に何も知らなければ信じてしまうかもしれない。それが常識の世界に生きていれば。
 現代においては、磁力の起源についてはきちんと説明がなされている。同極性では反発し、異極性では引き合う、というのはいわゆる"常識"というやつである。しかし、果たしてこの常識が何に基づいて示されているかを知っている人がどれほどいるだろうか。
 "常識"を盲信することはかなり怖いことだと思う。例えば、誰かが自分に利するために嘘を常識として教え込むことがあるかもしれない。そんなときに、疑問を持って確かめる精神を養うのが自然科学の役目ではなかろうか。
 かつてはキリスト教の神学が自然科学の上位にあった時代があった。全ては聖書の教えを正当化するためだけに学問が行われていた時代があった。翻ってみて、これは現代にも当てはめることができるのではないだろうか。気づいてはいないかもしれないけれど、あなたにとっての神学とは何ですか?
伝統とは何か
【テレビ】
 TBS系「情熱大陸」。本日はマタギの親方にスポットを当てていました。彼らが山で狩をする動機をボクは上手く言葉にはできないけれど…。でも、「共存なんていう言葉はまやかしだ。共存の中にも強者と弱者がいる。」という言葉は真実だと思います。生物は他の生物を犠牲にしなくては生きていけないのだから。そう思うと彼らは、生きる糧を得ているのと同時に、人間が他の動物よりも強いということを自然界に示すために狩を続けているのだろうか?

 最後に言っていた言葉。「確かに他の方法でも生きていくことはできる。でも、それが伝統って言うもんだろ?誰かが続けなくては伝統・歴史が途切れてしまう。」という言葉は伝統というものの本質をズバッとついたものではなかろうか。確かに伝統というのは今生きるための技術ではなく、当時生きるための技術。なくなってしまっても別に困りはしないのだろうが、それをいってしまうと人間の歴史や文化を全否定することになってしまう。
 それを続けていこうとする人がいる限り、それを妨げることは許されることではない。


 とった獲物をまさに骨の髄までしゃぶる彼らを見ていたら、昔、とある私立大学で実験授業の補助をやっていたときのことをちょっと思い出した。そこにいた彼女たちは、他の命を奪って生きているということを真剣に受け止めていた。彼女たちのことを思い出すたび、自分もそうあらなければと強く思う…
くもりぞらの下で
【生活】
 今年の桜はだんだんおわりですか。この前桜を見ていてふと思ったけれど、青空の下で見る桜より、曇り空の下で見る桜の方が綺麗だと思う。青空の下の桜は白いけど、曇り空の下の桜は淡いピンクだ。
 同じものを見ていても背景が異なれば見え方も違うし、一般的には良いとされるものでも、いつも良いとは限らない。最善は常に自分で見つけていかなければならないと思う。

…何書いてんだか。
おむすびころりん
【通念】
 「おむすびとおにぎりの違いは何か?」そう問われてはたと困ってしまいました。お結びの方が高級表現、なんて話を小学生のときに聞いたような気もしますが…
 困ったときのGoogleというわけで、ちょっとぐぐってみました。結果、
  • おむすびは三角、おにぎりはそれ以外
  • おむすびは関西、おにぎりは関東
  • おむすびは宮中の女房ことば
なんて、諸説ありまして、良く分かりません。

 日本初めての駅弁は「にぎりめし」だったし、落語に出てくるのも「にぎりめし」が多いような…。一方で、昔話「おむすびころりん」なんていうのもあるし。どっちが古いかっていう話じゃないような気もします。
 上記の諸説を並び替えると、こんなとこじゃないかな?
      もともとは「握り飯」といっていたものが、宮中では「お結び」と言い換えられた
      宮中に奉公した人が街に戻って「お結び」を広めた。だから関西に多い表現
      近代になって、「握り飯」だと品がないと感じた人がいて、おをつけて「お握り」とした。関東は京都から遠いので、こっちの表現が多い
      人の移動が激しくなって、なんかごっちゃになった
 まぁ、仮説としてこんな感じで…。誰か、文献とか調べて詳しく分かったら教えてください。
意外なところから
【本】
 いわゆるライトノベルと呼ばれるジャンルの本を読んでいて、易の本質を教えられる。

bk1
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青天の霹靂というべきか。
 高校・大学時代にあった、中国思想熱が再燃。ちょっと勉強してみようかな?
だってはずかしいんだもんっ
【社会】
 ちょっと話題が古いんですけど…。その辺はボクらしくもあり。
 ここ数年、節分といえば恵方巻きの丸かぶりが定番になっていますよね。もともとは関西で海苔問屋が始めたというこの風習、なぜに関東にも進出してきたのか。少し寝坊した頭で通勤途中にふと考えてしまいました。

 もともと節分の風習といえば豆まき。いわしの頭とヒイラギを飾るという風習もありますけれど、関東ではあまり行われてはいないと思われるので除外します。この豆まき、知っての通り、「鬼は外、福は内」(諸説あるが)というフレーズで豆をまく慣わしです。
 でも、小さな頃はともかく、大きくなってからはあまりこれをやっていないのではありませんか?やっぱり、大声で豆をまくのは結構恥ずかしいですもんね。マンションなんかでは近所迷惑になるかもしれませんし…
 対照的に、恵方巻きは恵方を向いて黙って海苔巻きを食うという、きわめて静かな催し。にもかかわらず、幸せがくるという手軽さ。大きなアクションをおこさずとも利益だけ得られるというところが、今の人たちに受けたのかも知れません。

 いずれ本当に、恵方まきが豆まきを駆逐してしまったら、それも寂しい気はしますが、過去の風習を上書きするというパワーは、その怠惰な性質に比べて、なんと恐ろしいことか。
なぜ?撤退
【情報】
 ショックです。コニカミノルタがカメラ部門から撤退!えー。
 ボクはここのデジカメのファンだったのに。初めて買ったデジカメはDimage Xt、最近買ったのはDimage X1。どちらのカメラもレンズが飛び出さない光学ズーム。こいつを初めて開発したのはコニカミノルタでした。
 他のメーカーのデジカメに押されてつらかったんだろうなぁ。これからのサービスはソニーに委託されるらしい。そう…。
幸せの定義
【テレビ】
 身体に障害を持った人が幸せか、不幸せかという議論は置いておくとして。
 日本テレビ系「バンキシャ!」を見て、世の中には身体障害者のプロレスというものがあるのを知る。体が不自由でもプロレスが好きでやりたい、という人たちの集まり。
 何が幸せかなんて、人が決めるものじゃないんだね、というお話。
あらあらまあまあル
【情報】
A:ねぇ、奥さま?青空文庫ってご存知?
B:あおぞらぶんこ?いいえ、存じ上げませんわ。
A:わたくし、最近、それに夢中ですの。以前から存じ上げてはいたのですけれど。なかなか拝見するお時間が取れなくて…
B:まあ。一体なんですの?
A:一言で言えば、文庫本ですのよ。著作権が消滅した作品をインターネットで公開しているサイトですの。著作権が消滅していなければ公開できないので、自然と古い作品に限られてしまうのが残念といえば残念ですけれど…。でも、無料でどこでも本が読めるというのは無上の喜びというものですわ。
B:まあ。素敵。わたくしも拝見いたしたいですわ。
A:ええ、ぜひ。お帰りになられたら、ググって御覧なさいませ。
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