2007年の日常に関する思索/批評のページ
2007年の日常に関連する記事を掲載しています。
- 目が向けられてきた
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最近、博士課程の人やポスドクの就職に関する新聞記事を良く見かける。ようやく社会の関心がドクター連中に向いてきたらしい。多分良いこと。
一般的に言って、博士課程に進んでいる人たちは社会的に見ても結構優秀な人達が多いと思う。いままでは、社会が敬遠して彼らを使いこなせていなかったのだろうけれど、上手く使いこなさなければもったいない。
これからも、社会進出の議論が進めばよいと思う。そうすれば、就職活動で苦労する人も減るよね、きっと。
- 未必の故意?
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我が実家の近くの投票所では行列ができていたらしい。別に投票者が多かったわけではなく、受付の処理能力が低すぎたためらしい。本当に能力が低いために遅くなったのかもしれないけれど、もしかしたらサボタージュだったかもしれないとちょっと思いました。
今回の選挙で勉強になったことは選挙権がなくても被選挙権があるという状態が存在することが分かったことです。
- それはまずい気が…
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未だに週刊少年ジャンプを読み続けているボクからちょっと一言。今週号のこち亀で大原部長が両津の金を横領するという話が載っていました。まあ、それだけだったら特に言うこともないのですが、終わり方が納得いかない。明らかに横領は犯罪だというのに、部長が両津に逆切れして幕切れ。悪いことしたらきちんと謝らないと教育的にまずいような…
何かやりすぎなような気がします。
- 突然の盛り上がり
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totoのBIGというくじがとても売れているらしい。キャリーオーバーの結果、1等が6億円になる可能性が出たとかで、totoが何か分かっていない人まで購入する騒ぎになっているらしい。当選確率がジャンボ宝くじよりも高いということも売れている一因になっているそうな。
普通、totoは試合結果を予測して購入する。一方、BIGは自分で予想できない。くじの内容はランダムに決定される。こういうタイプのくじを売り出したこと自体、totoが公営ギャンブルと一線を隔した方向に進もうとしていることを指し示しているのかもしれない。
これまでtotoは販売不振にあえいでいた。これはおそらく、くじを購入しようと思う層のうち、競馬や競輪のギャンブル好き層も、宝くじ・ロト6購入層も取り込めていなかったことを意味する。勝敗の決定に時間がかかるためスリルを楽しむギャンブル好き層は敬遠したのだろうし、チームの勝敗にかけるという人間的要素が絡むため単純な確率論として考えることが出来なかった宝くじ購入層も手を出さなかったのではないか。
ところがこのBIGはtotoからチームの勝敗という概念を実質取り払ってしまった。トトカルチョが単なるくじになってしまったのだ。おかげでサッカーの勝敗という意識が消え、1等6億円ということだけが前面に出るようになったのだ。
テレビで宣伝されたことも影響しているのだろうが、商品のタイプをがらりと変えたとこによって売り上げが一気に変わってしまった。何も考えずに買ってじっと待つ。果報は寝て待てを身上とする人が多いということなのだろう。
本来の意味を失いつつあるtotoがどういう形に落ち着くのか、ちょっと興味深い。
- スピリチュアルとはなんぞや
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昨日の夜テレビを見ていたら、スピリチュアルはあるのか?みたいな討論番組をやっていた。そもそもボクにはスピリチュアルというものがまったく分からん。霊能力とかと何が違うの?あと、占いと霊能力が一緒くたに扱われていたけれど、この2つは別物だよねぇ。だって、占いって運命論みたいなものじゃん。一方で、霊能力は誰かの意思が働いているよね。不思議なものを何でもかんでもまとめて、ある、といってみたり、ない、といってみたりしても、まともな議論なんか出来るわけも無い。
こういうのを見ると、スピリチュアルというのを商売にしている人は、それを心から信じているのか、それとも商売として割り切ってやっているのか、良く分からなくなる。…いずれにしろ、それで救われる人がいるのならば、それで良いけれど。
この番組を見てよかったと思えたことは、美輪明宏の「ヨイトマケの唄」を米良良一が歌っているところを聴けたところ。一言では言い表せないような歌詞だった。うんうん、わかるわかる、見たいな安易の共感とは別のところにあるのに、心に響くような。
ボクが歌っているのを知らないだけかもしれないけれど、美輪さんもオーラが何とかいってないで、自分の唄を歌ったほうが良いような気がする。
- 急ブレーキ
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帰りの電車に乗っていたら、突然、ブレーキがかかった。踏切内に無理に人が立ち入ったらしい。この急ブレーキで怪我人が出たら、誰に責任が行くのだろうか?と思った。
- 循環
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インドの人にお祈りのポーズについて話を聞いた。それにもランクがあって、初めはヨガにあるような、座禅して両手を広げて膝に乗せて人差し指と親指で輪を作るポーズ。次は両手の親指と人差し指で三角を作るポーズ。最終的には仏陀の、スペシウム光線の様な、両手でL字を作るポーズらしい。そしてこれは誰にでも出来るものではないらしい。
これを聞いて思ったのが(危ういので直接聞いてはいないが)、キーワードは循環だということ。輪を作ることによってエネルギーを循環させる。その輪が段々大きくなって行く。
その延長線上で仏陀のポーズを考えると、一見、輪になっている部分はない。でもこれは大きな輪の一部ではないか。全ての生物を繋ぎ、時間も越え、輪廻に至る。そう考えると凄まじい。
そんなことを考え、一人戦慄した日。
- 目に見える変化
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日本テレビ系「世界一受けたい授業」に、ビル・クリントン政権の副大統領であったアル・ゴア氏が講師として出演していた。演題は、「不都合な真実」について。
二酸化炭素の排出量が増えているとか、平均気温が年々上昇しているとか、数字で色々出されても目に見えづらい。しかし、写真で見せられると違う。
何十年前には氷河だったところが湖になってしまったり、数十km四方の棚氷が崩壊してしまったり。真剣に対策をたてないといけないなぁ、と思わせられる。
…でも、政権中枢にいる時にもう少し動けなかったのかなぁ?
- 小さくても人間だよ
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日本テレビ系「世界一受けたい授業」を本を読みながら見ていた。その中で、母体内の胎児の映像にひきつけられた。羊水におしっこをしたり、双子でじゃれあっていたり。
やっぱり、胎児だって人間ですよね。でも…
- ふとおもいだしたこと
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今から一年ほど前のこと、お客の人事課の人に飲み会の席で言われたこと。
人生はいつまでに何をやるか、目標を設定しながら生きるものらしい。例えば、結婚する、という最終目標があるとする。それにはまず、彼女をつくる必要がある。その前には女の子のいるところに行かなければならない。
そしてこれらは漠然と考えているだけでは実現されない。いつまでに、女の子をデートに誘うか。いつまでに、告白するか。…などなど、各ステップを順々に達成していかなければならないわけである。
これは、仕事でも同じ。プロジェクト終結に向けて、ひとつひとつ、タスクをいつまでにやるか、ということを常に考え続けなければならない。だから、結婚していない人はそれができないから信用できないのだ、と。
素直に納得したくないけれど、納得できる話。
- 自分は悪者になりたくない
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会社からの帰り道、小さい子供を数人連れた父親と階段ですれ違った。子供たちは階段いっぱいに広がっていた。すれ違う直前、父親曰く、「どけって言われちゃうよ〜」
さて、このコメントに対して皆さんはいかが思うのでしょうか。周りに配慮する良い父親だと思うのでしょうか。ちなみにボクは彼を憐れみます。なぜなら、20年後には、彼は子供たちに泣かされる羽目になっているでしょうから。
そもそも、周囲に迷惑をかける行為は、周囲から怒られるからやってはいけない、という種類のものではないはずです。周囲に迷惑をかけない様にしようという、内心の働きによる規制のはずです。怒られるからやってはいけないのならば、怒られなければやっても良いということになります。このようにしつけられれば、見つからなければ、怒られなければ何をやってもよいと思う人間になってしまうでしょう。
このような叱り方をするのは、自分が子供に嫌われたくないからです。それでも叱らねばならないと思った時には、他人を悪者にして、恐怖で縛るしかありません。気持ちは分からないではありませんが、怖いからやめる、というしつけをされれば、怖くなくなればやっても良い、という考えに至ることでしょう。
…というわけで、あなたの子のしつけにボクを巻き込まないでね?
- 誇大広告
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新聞の折り込み広告などを出している就職広報紙にクリエイトというものがある。この会社がちょっと前からテレビCMを放送していて、最近新しいものに変わったのだが、一つ前のCMに対して疑問があった。
そのCMは、就職面接に来た人がクリエイトを見てきた、というのを聞いた面接官が、即採用を決めるというもの。明らかに誇大広告だと思うんですけど。最近変わったのは、やはりそういうこと?
- みっともない
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大晦日のK-1、桜庭対秋山戦は、試合不成立になったそうな。理由は、秋山選手が禁止されているボディクリームを塗っていたため。確かに、試合中も、桜庭は何かアピールしてた。
それ以前に、興行試合に子供を利用した秋山選手のパフォーマンスはいただけないと思っていた。試合後、子供たちに、柔道ってなかなか強いやろ、とかいっていたけれど、どう言い訳するのだろう。
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