2008年の日常に関する思索/批評のページ
2008年の日常に関連する記事を掲載しています。
- 雑誌の終焉は近いのか
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週刊少年サンデーで連載中だった「呪法解禁!!ハイド&クローサー」「GOLDEN★AGE」が、2008年12月24日からWEB連載に移行することになったことはご存知かもしれない。季節の変わり目に連載陣の入れ替えが行われるのは昔からのことだが、雑誌連載作がそのままWEB連載に変わることは、これまであまりなかった。なぜこのような変化が生じてきたのだろうか。
そもそも、あとで単行本化することが決まっているのに、なぜ雑誌が必要なのだろうか。これはおそらく、@宣伝効果、Aトレンドの調査、B出版リスクのヘッジ効果、C出版サイクルの向上、等を狙っているためではないかと想像している。
@は、単行本が1冊できるまでには、週刊誌で約2ヶ月の連載が必要になる。出版までのリードタイムを考慮に入れると、約3〜4ヶ月の連載後に単行本が書店に並ぶことになるだろう。つまり、実際に読者が単行本を手に取る時には、既に数ヶ月間、雑誌上で宣伝が行われていることになる。(打ち切られていたら意味がないが…)
Aは、週刊少年ジャンプに代表される、読者アンケートを反映したストーリー展開。反映まではしなくとも、どんなマンガが読者に好まれているかを知るのはマーケティングとして必要なことだと思う。Bは、そういうトレンドを把握して初版数を決めれば、返品を少なくできるだろうと言うこと。Cは、毎週作者のケツ叩きをしていればスムーズに単行本が発行され、出版社の売上も伸びるはずということ。
もう一つ、これも推測だが、売上的な面からも雑誌を発行した方が良いのかもしれない。書籍の出版には、作者、出版社、取次、書店が関係している。ここで、それぞれがどの程度の利益を得ているのかを推定してみよう。
まずは出版社。株式上場している出版社が少なく、また、メディアミックスで様々な方面に手を出しているので、書籍部門でどの程度の売上が上がっているのか明確に識別することは難しいのだが、売上高総利益率でみると、角川グループが25%、幻冬舎が41%だった。(2008年3月決算時)
次いで取次。やはり売上高総利益率ベースで、トーハン、日販共に11%程度だった。そして書店。これは、三洋堂書店の場合、27%だった。(いずれも2008年3月決算時)
最後に作者。これは、よくタレントなどが言っている印税が10%程度であるため、このように仮定することにする。以上を参考に、書籍の構成比率を想定すると、次のようになる。
出版 30% | 作者 10% | 製造 25% | 取次 10% | 書店 25% |
このようにみると、出版社や書店がメチャクチャ設けている様に見えるかもしれないが、実際はここから広告宣伝費や営業系の給料を差し引く必要がある。実際、同年の営業利益率を見ると、幻冬舎が13.6%、角川グループが6.8%、トーハンが1.3%、日販が1.9%、三洋堂書店が0.2%であり、特に下流に行くほど儲けているとはいえないことが分かる。
これはおそらく、基本的に書籍が多品種少量販売であり、流通、倉庫、販売の費用がかかってしまう仕組みになっているためであろうと考えられる。実際、大きな書店に行くと、分類ごとに担当販売員がいたりして、決め細やかなサービスをしていることからも補強される。
では、雑誌の場合はどうか。はじめに、売上高総利益の構成比率は書籍の場合と大差ないことを仮定する。ただ、いくつかの明確な違いがある。
まずは、作者の印税。書籍の場合には売上に対する比率で印税が支払われるが、雑誌の場合には原稿料を受け取っておしまいである。この原稿料だが、雷句誠氏の裁判で明らかになったところによると、小学館のカラー原稿料は1枚1.7万円らしい。雷句氏が当時新人作家であったことも考慮すると、白黒原稿は1枚平均2万円相当と仮定すれば十分だろう。すると、1冊300ページの雑誌の原稿料は、600万円になる。発行部数100万部の場合、1冊あたりの原稿料は6円である。定価250円の書籍の印税は25円と推定されるから、その4分の1で済むことになる。
すると、大体、以下のように考えてしまって良いのではないか。
そしてここで営業利益率を考えるわけだが、雑誌の場合、同じものを大量に印刷して販売するわけで、おそらく営業費用は書籍の場合よりはかからないだろう。このため、雑誌を売った方が書籍よりもうま味がある部分が多いのではないかと推測される。(特に出版や取次においては!)
ここで、本題に戻ってWEB連載の話である。実際に単行本を売る前に雑誌連載をする利点はなんとなく分かったこととしよう。この雑誌の部分をWEBに変えるとどうなるか。
WEB連載でも雑誌連載と同程度か少ない程度の読者が見込めるとすると、WEB連載における出版社のうま味が理解できるだろう。まず、雑誌の場合に必要だった印刷→流通→販売→売上回収というプロセスがほとんど一体化する。雑誌の場合は毎週売れないと売上が上がらないが、WEBの場合は月額いくらと言う料金形態にしておけば、定期的にお金が入ってくる。数百円/月くらいにしておけば、解約もほとんどされないだろう。そして、営業費用はWEB上だけのものなので、グンとお安くなる。
このように考えると、実験的にではあっても、雑誌連載⇒WEB連載と言う流れを作りたい気持ちは分からなくもない。携帯電話で読めるようにすれば、読者にだって色々とメリットはあるしね。一方で、取次や書店は、このおこぼれに与れないため、あんまり嬉しくないかもしれない。
- 荒いほどイメージを想起しやすいのかも
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従妹の結婚式が舞浜のディズニー・リゾートで開催されたため、行ってきました。愚かにも、舞浜から会場のホテルまで歩くということを試みる。ほとんど歩行者もいない沿岸を歩くのは何か虚しさも感じたのですが、歩きながら見えるディズニーランドの建物を見て思いました。それほど精密に作られていない、と。
建物を見ると、中世のヨーロッパ建築をモデルにしているのだろうな、とは思うのだが、壁面などを良く見ると本格的に再現しようとしている雰囲気は感じない。正直言って、団地の建物にデコレーションした、という程度の出来栄え。しかし、この場所が人々をひきつけて止まないのもまた事実。これはなぜなのか。
仮に、本当の中世のお城などを移築するなどした場合、逆に城の古さなどが目立ちイメージするお城とのギャップを感じるお客さんもいるのではないか。その点、実際とは異なっても内装はむしろ綺麗にして、本物の再現よりもイメージの再現を優先する。このような方針を採ることにより、お客さんの想像力を刺激して夢の国を感じさせる。サービスによりイメージを助長する。
ミッキーマウスを見ても、実物よりイメージ重視という方針はひしひしと伝わってくる。だって、ミッキーって言っちゃえばねずみですよ、ねずみ。本物はむしろ嫌われ者ですよね。ウォルト・ディズニーの意図がどうだったかは知らないけれど、そのあとを継いだ人達が上手くビジネスに結び付けていったのでしょうね。まるでキリスト教みたいだ。
- 誰を生かすか
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プレパンデミック・ワクチンの話題を最近よく見かけるようになった。これは、実際に大流行が起きる前に、亜種のウイルスから作成されるワクチンのこと。大流行が発生すると、世界規模で一斉に発症し、社会インフラの維持もままならなくなる可能性があるため、それを少しでも防ぐために、開発されるものらしい。このワクチンを、社会維持のために、優先的に、医療関係者、治安関係者、社会インフラ運営者、政治家などに摂取しようという計画があるという。現在用意されているワクチンは、約二千万人分。
このワクチンが実際に大流行ウイルスに有効かどうかは、パンデミックが発生しないと分からない。でも、自分の生存確率を0.01%でも上げるためならば、数が限られたワクチンに対して奪い合いが起きてもおかしくない。この件に関しては、正しく情報が開示されることを望む。
- 垂れ流し
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午後10時近辺に放送されているテレビ朝日のニュース番組を見ていたら、鳩山法務大臣の死刑執行についての話題を取り上げていた。彼はアホな発言が目立つが、死刑の執行を粛々と行っていることについては評価しても良いと思う。
ニュースキャスターは、死刑を執行する刑務官の気持ちを考えて…とか発言していたが、刑務官だって死刑執行を行う可能性があることを理解した上で刑務官になっているはずなので、的外れな見解だと思う。もし、死刑執行が自分の信条に反するならば職を辞すれば良いのだし、生活のためにやめられないというならば、心情よりも生活を取るという選択をしたに過ぎないのだから、変に感情移入をするのはやめた方が良い。おそらく、ニュースキャスターは昔、読書感想文の課題図書になったような本でも読んで発言しているのだろう。
死刑が是か非かについては諸説あっても良い。死刑というのは、社会の安定維持を阻害する異分子を排除するという仕組みの一つに過ぎないのだから、社会構成員の合意によって、続けることもやめることも思いのままだ。おかしいと思うならば、正当な手続に則って、法律改正を行えばよい。それが民主主義というものだろう。盤外戦術を使おうという思考がそもそも間違っている。
死刑はいずれはなくなるかもしれないけれど、死刑に値する人間に衣食住を税金で提供して天寿を全うさせるというのは、何か釈然としないものがあるなあ。
- 大食い効果のアピール
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テレビ東京の大食い女王決定戦を見ていたら、大食い対決を見ることによって偏食が治った子供の話が取り上げられていた。大食い正当化のため、色々アピールしているねぇ。
- 分類学
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ラーメン王の石神さんが、50杯のラーメンのお店を当てるという番組を見た。麺だけだったり、目隠しで当て続けるのはすごいと思った。しかし、本当にすごいのは、数々のラーメンをきちんと分類して整理していること。そうでないと、数あるラーメンを覚えられるはずもない。
ラーメン分類学。
- 許容度が狭まる
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ボクがどちらかというと悪のサイドの人間であることは、少し真剣にボクを観察したことがある人なら分かると思う。しかし、それにも増して、最近、自分の許容度が狭くなってきたなあ、と痛感する。
例えば、電車に乗り込もうとしているときや、改札口の行列で割り込みをしてくる人がいる。(大抵、40代後半くらいの男が多い)こういう人に対して、実力行使に出てしまう。しかも無意識に。
方法も結構悪辣で、一見して周りの人にはボクが実力行使したのが分からないくらい。具体的にいうと、パソコンの入っているカバンを棒に見立て、ヒザを使いカバンを経由して押すとか、着地する相手の足の下に足を入れ、踏まれそうになると即、足をはずすことでバランスを崩させるとか…書いてみてもやっぱり悪辣だな。
ここで問題なのが、無意識にこういう行動に出る時のボクに罪悪感がないこと。正義の味方とは思っていないが、こういうやつらは実力行使されないと分からないのだから仕方ない的なことを考えて行動しているようだ。悪いと思わなければやめないわけで。モラルハザードを起こしているやつを懲らしめる行動がモラルハザードを起こしているというこの矛盾。どうしたものか。
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