- 給食の話
- 【学校】
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代官山へ行くのに東急線に乗っていたら、目の前の女子学生が次の給食のメニューの話をしていた。久しぶりに会った、別の学校の友達らしく、お互いの学校の給食の自慢あるいは不満を述べている。そういえば、次の日の給食を異常に気にしていた頃もあったなあ。
ここまではほほえましい話なのだが、ここからは少し政治的な話になる。で、一方の子の学校は、昔はクリスマスの時の給食の時間には、給食をつくる人がサンタの格好をして、お菓子を配りに来ていたらしい。しかし、ある年、校長が変わったら、その制度が無くなった。理由は、クリスマスが宗教的行事だかららしい。教育の中立性・公平性というヤツに引っかかったのだろう。
まあそれは分からんでもないが、日本におけるクリスマスというのは既に宗教色は無くなり、独自の年中行事と化している気もしなくも無いけど。いわゆる、やりすぎというヤツ?
しかし、この考え方に則ると、キリスト教徒でもないのに教会で結婚式をする人たちも認めないといけないかも、なんだよな〜。
- 書評の書き方(論考)
- 【読書】
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何年か前から、書評という名の感想文を書いている。小学生の頃は、もっとも嫌いな夏休みの宿題の一つが読書感想文だったことを思い起こすと、面白いものである。
何となく書き始めてオンライン書店ビーケーワンに投稿したら、今週のおススメ書評に選んでいただき、おまけに3,000円分のポイントまでもらってしまった。そこから調子に乗って続けている、という感じである。既に600本以上は投稿しているので、結構な量だ。
おかげさまで、ビーケーワンの書評の鉄人にも選ばれ、アマゾンのベスト500レビュアーにも入り、一人や二人はボクの書評がきっかけで本を買った人がいるかもしれないから、わずかばかりは出版・小売業界にも貢献できているのではないかと思っていたりもする。
大体1本あたり、10分〜1時間くらいの時間をかけて書評を書くのだけれど、どういう視点から書くかはいつも迷う。そもそも書評の定義が良く分からないし、字数制限もあったりするから、ある程度書き方は限られてしまうと思うのだが、どの様な書評の書き方があるのか、自分の経験に基づいて並べてみたい。
本当はもれなくダブりなく書かなきゃいけないのかもだけど、そこまできちんと分析していないので…以下の6点で。
(1)あらすじを書く
小学生のときにボクが書いた感想文は大概こんな感じ。
読んだ本のストーリーをコンパクトにまとめて、読みたい、という気分にさせる。書評としては面白みがないが、ネット書店のサイトに概略がない場合には情報を捕捉する意味がある。
主観が混じりにくいので、実は一番参考になるのかも。
(2)感動・楽しさ・怒りなどの感情を想いのままに書く
面白かった、つまらなかったなど、極端に書けば一文ですんでしまうタイプの書評。読んだ人の主観そのものなので、書いた人が偏った考えの人の場合にはゆがんで表現されてしまうが、一方で、おススメする気持ちは一番伝わるかもしれない。
特に取り上げたい内容がない本の場合には、ついつい多用してしまう方式。
(3)キーワードを選び、その視点から切り取った断面で内容を分析して書く
内容が盛りだくさんの本の場合には、全てを書くことは難しいので、もっとも感心した部分、興味を引きそうな部分をピックアップして、その視点から読んだ本を見直してみる。そうすると、内容の関連性が浮き彫りになったりして、意外に鋭い指摘ができることもある。
この人よく読んでる、とか、ちょっと賢いかも、と思われたい場合には、使える方法だと思う。あと、実は本の内容が最も頭に入る。書く前にはどういう視点で書くか結構悩むけれど。
(4)本の内容と実社会の現象を対比して書く
本の中で描かれていた構造と、実社会の現象を対比して、本の内容あるいは実社会を分析してみる手法。読んだことが身になっている、と見せ付けるには良い方法だと思う。
ビジネス書などだとこういう書き方はとても楽なんだけれど、ファンタジーとかでこれをやろうとすると結構悩む。相手に伝わらない場合や、的外れになる場合も多し。
(5)本を読んで考えたことを書く
もう本の内容にはほとんど触れないで、それを踏まえた上での自分の意見を展開してしまう。これを書評と読んで良いかは迷うところだが、本を自分に生かしているということはとても伝わってくる。
自分の意見をダイレクトにかけるので、書くのは面白い。反面、本の内容は直接伝わらないかもしれないので、本を純粋に紹介したい場合には向かない。
(6)一見内容とは関係ないのだが、本の論理構造を再現して書く
全く本の内容の延長線上にないような話を書くのだけれど、実はそこで使われている論理構造などが、本の中で使われている論理構造などのアナロジーになっているというもの。大概の読者には伝わらないが、アナロジーが的を得ていれば、おそらく作者には伝わるのではないかと思う。(未確認だし、作者が読むかは分からない。)
これは最も分かりにくい。はっきり言って、書評としては失格かもしれない。ただ、作者に伝わっていることを想像して、一人ほくそ笑むには最適。
他にも色々方法はあると思うけれど、限られた字数の中で何を実現したいかによって、どの様な手法を選ぶかが決まると思う。
- バファリンよりも配合率の少ない社会
- 【社会】
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最近、他人が優しくない、と思うことはないだろうか。もちろん他人なので、家族や友人、恋人(いれば)の様に優しくしてもらいたいと思っているわけではないのだが、明らかに社会からやさしさの成分が薄まっているように感じる。
思い起こしてみてほしい。例えば、こんなとき。
朝。目を覚まして慌しく身支度を整え、家を出る。最寄の駅に向かって道路の右側を歩いていると、前方から自分の方に向かってくる人がいる。まるで道路に線路が引いてあるかのごとく、猛スピードで一直線。避ける気配はまるでない。ぶつかりそうだと思ってこちらがかわすと、肩に掠る勢いで通り抜けていった。(1)
何とか駅についた。ホームで停車目標位置に並んで電車を待っている。ふと脇を見ると、こちらの停車位置と隣の停車位置の真ん中あたりに人がいる。電車がホームに入ってきて止まると、その人は両側を見渡し、空いている方の列に割り込んできた。(2)
何とか電車に乗り込めた。ギリギリ肩がぶつからない程度に人が詰め込まれている。そして次の停車駅に到着。これまで座っていた人が、突然立ち上がり、無言で人ごみを掻き分け、押し飛ばし、出口に向かう。(3)
色々あったけれど職場に到着。近くのコンビニで朝食を仕入れる。棚で商品を選んでいたら、それを押しのけて店員が商品の補充を始めた。レジに並べば、店員は面倒そうに商品を袋に投げ込み、無言で台の上に放置した。(4)
これらは日常茶飯事に各所で発生している現象だろう。もしかしたら自分も知らないうちにこういうことをやっているかもしれない。
でも、社会にもう少しやさしさ成分が配合されていれば、ここまで殺伐とした情景は見なくて済むだろう。(1)はお互いに半歩譲れば済む話だし、(2)は空いている方の最後にならべばよい。(3)は「すいません」とでも声をかければ道をあけてくれるし、(4)はサービス業なのだから、お客さんが選んだ後で補充すれば良いんじゃない?
知らない他人に対しては、自分中心で行動するのが当たり前になっている気がする。
まあ、別にそれはそれで人それぞれの選択だし、構わないのだけれど、そういう人に限って、自分が困ったときには人が助けてくれないことに不満を並べるのだったりする。やれ、補助金が足りないとか、やれ、給付が少ないとか。
自分に余裕があるときに譲れないにもかかわらず、どうして自分が苦しいときに譲ってもらえると思えるのだろうか?全く分からん。
- ストレス解消法
- 【会社】
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最近お仕事がなくて、東京から少し離れた事務所で待機していることが多かった。とりあえず席に座っていれば文句を言われないので、主に本を読んで過ごしていた。周りの食事処は値段設定が高めであまり美味しくもないので行く気にならず、もっぱら、コンビニで購入した菓子パン1個とかで暮らしていた。
ところが、先週あたりから東京の事務所に呼ばれ雑用などをやらされているのだが、作業量がそれほど多いわけではないので暇な時間もあり、かといって、本を読んでいて許されるような雰囲気ではないので、なにやらストレスがたまる。地方の事務所にいるときはじっと座っていても大丈夫だったのだけれど、こちらではあまり座っていたくない。だから、特にお腹も空かないのにご飯を食べに行って時間をつぶしたりする。無駄にコンビニで買い物をしてしまったりする。
非常に良くない。ストレスは何かで発散しないとただいるだけもできないのだと実感した。
- ハコは鬱にならない
- 【会社】
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インフラ系のアウトソーシングをしている人と会う機会があった。その席上、アプリ系のアウトソーシングでは人間関係的な苦労があるということが話題に上がった際に飛び出した名言。
「ハコは鬱にならない。ただし、突然止まる。」
【意味】
ハコとはアプリが動いているサーバーなどのこと。人間は追い込むと鬱になったりして色々と大変だけれど、ハコは鬱にはならないので安心。ただし、自分が寝ているときに限って突然止まったりしてたたき起こされる可能性はある。
大爆笑しました。
- 確定給付型年金(キャッシュバランスプラン等)の移換
- 【会社】
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厚生年金基金の上乗せ分もしくは企業年金制度がある場合も、支給要件を満たしている場合は移換が必要。1年以内に移換しない場合は企業年金連合会に自動移換されてしまうので、やはり手続きをしたほうがお得。
移換時の対応としては、@脱退一時金を受け取る、A脱退一時金相当額を企業年金連合会に移換する、B選択を一時(最大一年)保留するの3パターンがある。ただ、規約により脱退一時金を受け取れる条件が定められているため、企業ごとに確認が必要。
ちなみにボクが勤めている会社の場合は、(1)加入期間3年以上10年未満の人が脱退したときか(2)加入期間10年以上の人が60歳未満で脱退したときが条件と定められている。(2)で60歳以上の場合は老齢年金として受給するし、加入期間3年未満の人は何ももらえない。
また、企業年金連合会以外の基金に移換したい場合は、Bを選ばなくてはならないようだ。
移換先としては、(a)厚生年金基金(b)確定給付型企業年金(c)確定拠出型企業年金(以左、転職先に制度がある場合のみ)(d)確定拠出型個人年金(転職先に制度がない/自由業者等)(e)通算企業年金(企業年金連合会)の5パターンがあるようだ。 ボクは公的年金制度は確実に破綻すると思っているので、(a)にすることはない気がする。
- 確定拠出型年金の移換
- 【会社】
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確定拠出型年金制度のある企業を退職する場合は、年金資産を移換する必要がある。6ヶ月間放置すると国民年金基金連合会に自動移換されるが、手数料を取られること、加入期間に通算されないことなどから、まったくメリットはないので、面倒でも移換手続きを行ったほうが良い。
移換手続きとしては、@企業型へ加入、A個人型へ加入、B個人型で運用、C課税後に受け取りの4パターンがある。転職先に確定拠出型年金制度がある場合は@を選ぶことになるだろう。少なくとも、ABよりは手数料等の面でお得のはずだし、Cは特定の条件を満たしていないと選べない。(後述)@は勤続年数(*1)および加入期間(*2)に合算される。
(*1)退職所得控除を計算する上で用いられる年数
(*2)支給開始年齢を計算する上で用いられる年数
転職先に確定拠出型年金制度がなく、Cの条件にも該当しない場合は、ABを選ぶことになる。今後も掛金を拠出する場合はAを、拠出せず既にある年金資産のみを運用する場合はBを選択する。Aは勤続年数・加入年数ともに合算されるが、Bは勤続年数には含まれない。
このとき、転職先に確定拠出型以外の企業年金制度がある場合には、Aを選択することはできない。また、転職した場合のBの掛金は転職先給与から天引が通常の処理らしいので確認が必要。
Cを選択できる条件は、(1)年金資産が50万円以下で(2)加入期間3年以内であり、さらに、(a)転職先に他の企業年金がない(b)第3号被保険者(主婦/主夫)にはならない(c)公務員にもならない(d)海外にも移住しないのいづれの条件も満たす必要がある。
(だから、この条件を満たせる人は既にかなり限定されていると思う。)
ABのポイントは、手数料がかかること。手数料の支払先は、(i)国民年金基金連合会(ii)事務委託先金融機関(iii)運営管理機関の3つがある。直近の手数料で、(i)加入/移換時に一時金2,000円、拠出時に100円/月、(ii)口座管理手数料は63円/月、(iii)口座管理手数料は0円〜500円/月くらい取られる。特に(iii)は金融機関によるので、拠出金額や信託報酬との兼ね合いで決めるのが良いかと思われる。
移換時には、現在の投資商品はすべて解約され現金化されるようだ。この際に気になるのは、売却損益の扱い。確定拠出型年金は運用時は税金の支払いを免除されるという性質があるため、おそらくは売却損益が出ても無視されると思われる。
普通の投資ならば損益合算で税金を節約するという方法がとられるが、そもそも税金を取られないため、損益合算する意味がないからだ。このため、現在、運用損が出ている人が多いだろうが、損金の繰越みたいなことはできないだろうし、意味がないだろう。確定拠出型年金にかかる税金に関係するのは、支給時の資産額のみのようだ。
- 当初とは真逆の視点から
- 【ドラマ】
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久しぶりにテレビ朝日「必殺仕事人2009」を見た。たまたま最終回だったのだが、これを見て、以前とは真逆の視点が入っていることに気づいた。当初は、ひたすら体制を批判し、そいつらを無残に殺すことでスカッとするみたいな描き方をしていたのだが、今回は逆に視聴者を批判するようなセリフがあった。
劇中、瓦版屋が出てきて、仕事人を悪の手先みたいに宣伝するのだが、彼が悪党の親玉との会話の中で、庶民は瓦版を信じて踊らされるばか者、という趣旨のことを言ったのだ。これはまさに、マスコミを盲信する視聴者を刺す言葉ではなかろうか。
時代劇の中にも現代の要素あり、ということで。
- イメージ戦略の巧拙
- 【マスコミ】
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テレビ朝日「サンデープロジェクト」に、足利事件で無期懲役の判決を受けた後、つい先日、刑の執行停止を受けた菅谷さんが出演していた。素人だから緊張していたのだろうし、刑務所では人と話すこともないから話術が低下していたのだろうと思うが、まるで自分が犯人であるかのように犯行当時の状況を語るのにはビックリした。田原氏のインタビュー手法にも問題があるのかもしれないが、本人の性質的問題もあるのだろう。あの内容ではテレビ出演しない方が遥かにまし。弁護人は事前に予想される質問とその答えに関する事前練習をしておくべきだったろう。今後もああいう感じで報道されると、疑わしいと思う人も出てくることと思う。釈放されたとはいえ、無罪判決が出た訳ではないのだから、未だ世論を同情に向かわせるためのイメージ戦略は必要と思う。
一方、フジテレビ「ウチくる」にDAIGOが出演していたが、彼の高校時代に人気者になるための涙ぐましいプロモーション活動は、どぶ板選挙活動を思わせるもので、さすがに祖父の背中を見て育ったのだと感心した。そういう、精神の底に染み付いた能力を生かしていければ、今後、どの世界でも立派に生きていけそうな気がする。まあ、今のところはあまり有効活用されていないのかもしれないけれど。
不特定多数の人に好感を持たれるには何が必要か、ということを少し考えさせられた日曜日。
- 存在しないフロア
- 【生活】
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最近行ったビルのエレベーターのパネル。
よく見ると、2階と地下1階のボタンが無い。もちろん、ビルのフロアとしては存在している。
おそらくは、1階に銀行があることと関係しているのだとは思うけれど。。。
- 満開宣言
- 【生活】
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実家の藤の花が満開になりました。
ボクが小学一年生のときに遠足で出かけた場所で拾ってきた種を植えたもの。立派に育ったもんだ。
- 何を作った? ナンを作った
- 【料理】
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毎日薄味野菜ばっかりで飽きてきたので、その出汁でカレーを作ってみました。カレーにはナン。ということで、ナンを作ります。
混ぜて発酵。
一次発酵後。
6個に分けてもう一度放置。
伸ばして、間にとろけるチーズをはさんで焼く。チーズははさんでいるので、ガスレンジのオーブンでも両面焼きが可能。
チーズナン?の出来上がり。
- 有名人でもみんなと同じように勝負しようよ
- 【テレビ】
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テレビ東京系の大食い女王戦。魔女・菅原にギャル曽根が挑むという構図が実現されるはずなのだが、東京予選にギャル曽根は出場しなかった。どうするのかと思っていたら、そのあと、菅原さんとの小芝居が挟まれ、何故か番組推薦枠でギャル曽根が出場することになった。
本選出場者は、多くの予選出場選手を下した上で出場する。有名人とはいえ、このプロセスを経ずに出場できるのは若干不公平な気がする。まあ、視聴率という、テレビ界における絶対の神の前には、このような公平性など無視されてしまうものなのかもしれない。
本選の序盤でギャル曽根に冷たかった他の選手や司会の中村祐二の対応は、当然の感情といえるかもしれない。(結局、途中で敗退しちゃったしね、ここまで優遇されていても。)
- 生活の中で見る営業戦術
- 【日常】
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ボクは圧倒的に消費者のポジションなのでモノを売るための方法とかをあんまり考えたりしないのですけれど、売り手が考えた結果である場所、例えばスーパーやコンビニにはよく行きます。何も考えないでものを買うのですけれど、そこには売り手の血と汗と涙の結晶が隠れているのかも知れません。
朝ごはんは仕事場でパンとかおにぎりとかを食べるのが最近の習慣ですが、それらは仕事場近くのコンビニで入手します。パンならセブンイレブンが美味しいとか、おにぎりなら断固ローソンだ、とか言うボクの主張は置いておくとして、最近よく行っているコンビニに一つの変化がありました。
そのコンビニはテナントビルの1階に入居しているコンビニで、10mX30mくらいの長方形をしているのですが、その長辺の半分くらいをレジが占めています。だから、レジが10台くらいあるわけです。とはいっても、このレジは常時すべて稼働しているわけではなく、朝は2,3台しか稼働していません。当然、レジに稼働位置には偏りが生じるわけです。
これまでは長辺の真ん中あたり、レジに向かって右端の何台かが稼働していることが多かったのですが(ここは飲み物売り場の隣なので、お客さんの動線の終点に直結している位置と言える)、それが最近、レジの左端、出口のそばに移動になりました。お客さん的に言うと、食べ物を手に取り、飲み物をつかんで、空きレジの前をずっと歩いて会計を済ます動線になります。
なぜこんな変更をしたのか、その答えはおそらく、空きレジの真ん中にある機械にあります。そう、肉まんコーナーです。これまでの動線では、会計を済ませた後に肉まんの前を通ることになり、これをついでに購入しようと思っても、時すでに遅し、という状況になり得ます。これを避け、機会損失をなくすようにレジの位置を変更したのではないでしょうか。
真実はボクには分かりません。しかし、何気なく過ごす日常の中にも、誰かの知恵は確実に埋め込まれているのだと思います。
追記:
最近、レジの位置がまた元に戻りました。さすがに動線が長くなりすぎだと思ったのかも知れませんし、あるいは何も考えていないのかも知れません。
- ダブル・スタンダードはやめて
- 【社会】
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マンナンライフ「こんにゃく畑」の誤飲事件で、提訴が2件続いている。こんにゃく畑は喉に詰まらせやすいというのはかなり常識だったと思うのだけれど、全ての責任を企業に押し付けるのはどうかと思う。
経済問題に関してはアメリカ流儀を否定して離れようとしているのに、訴訟問題に関してはアメリカ流儀に近づいているみたい。自分の過失を認めず、なんでも人に押し付けて乗り切ろうという姿勢は勘弁して欲しいな。
この事件のせいで、こんにゃく畑が食べられなくなったら哀しい。
- 点心にチャレンジ
- 【料理】
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今回は餃子を作ります。もちろん皮作りから。
伸ばします。丸くつくるのは結構大変。
包みます。
焼きます。
水餃子も出来ました。もう少し皮が厚めでも良かったかも。
- 今度は上手く焼けました
- 【料理】
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ピザに再挑戦。今回はぬるま湯を使い、イーストも多め。水もたっぷりと練りこみました。
おお。めっちゃ膨らんだ!
ガス抜きして再発酵。
底面をフライパンで焼いてからオーブンで焼きました。
もうちょっとオーブンで焼けば良かった。中心部がちょっと生だけど、でも美味しく焼けた。
- エコとは節約じゃない、何かを手放すことなんだ
- 【テレビ】
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日本テレビ系「太田光の私が総理大臣になったら…秘書田中。」の2/20の放送を途中から見た。松居一代さんが『全家庭、電気代を毎月2000円分節約することを義務付けます。』というマニフェストを提出していた。ふかわりょうが、「IPCCってなんだよ!」というヤジをとばしていた時点で、真面目に環境問題を討論する番組ではないと思って見るのをやめたのだが、ちょっとこの議案について考えてみたい。
まず、定額規制というところが疑問。月1万円の電気代を支払っている家庭ならば2千円は20%だが、4千円の電気代ならば50%削減しなければいけない。所在によっては、暑い/寒いで電気代を多く使わざるを得ない家庭もあるだろうし、季節によっては、日没が早いから、という理由で多く電気代を使う家庭もあるだろう。こういう規制は比率で行わないといけないし、単なる比率ではなく、家庭構成(人数が多い少ない)も考慮に入れた仕組みにしないとダメ。そもそも、ボクの家なんか電気代は1,500円くらいなんだけど、どうやって2,000円節約すれば良いのだろう?
次に、節約した分は何に使おうというのか。仮に、ドライブに行こうと思ったらガソリンを使う分で節約した電気分のCO2なんかは消費しちゃうよね。ちっともエコじゃない。お取り寄せだって宅配便の燃料を使うし、何か消費することに節約分を使ってしまったら、トータルでは何も節約していないことになる。貯金してもダメだよ。貯金は将来の消費に使うことが前提だから、時間がずれるだけの効果しかない。
だから、本気でエコを考えるならば、節約分は召し上げなければいけない。つまり、環境税として取る。こうなると、節約するのが楽しみになるという提案者の意図とは全く違うものになる。
エコを口にする人が勘違いしているのが、節約することがエコだと思っていること。そうじゃない。エコは今まで使っていたモノの一部をそっくり消滅させてしまうことなんだ。減った分をどこかに使って良い訳じゃない。そこの認識違いが、こういう変なマニフェストを生んでしまうんだね。
- 単純なシナリオは美しいが現実にはそぐわない
- 【テレビ】
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金曜日の午後九時から放送しているテレビ朝日系「必殺仕事人2009」の視聴率が好調なため、延長が決まったらしい。私見ではあるが、経師屋役の松岡昌宏(TOKIO)が時代劇にぴったりと嵌っていて、ボクも可能な限り毎週見ている。
ご存知の方も多いかと思うが、必殺仕事人というのは、藤田まこと演じる中村主人を主人公とする時代劇で、南町奉行所の同心でありながら、晴らせぬ恨みを晴らす闇の稼業にも手を染めており、お上が裁けない庶民を泣かせる悪党どもを暗殺する、というのが毎回変わらぬ骨子である。このため、毎回必ず分かりやすい悪党が出てきて庶民を泣かし、それを最後に仕事人が始末することで終わる。
現在放送中のシリーズは、主役を藤田まことから東山紀之(少年隊)に替え、他にもジャニーズから出演者を投入することで全体の若返りを図り、投機による原油価格の高騰や消費税の値上げ問題など、現実で話題の問題を劇中に織り込んでいる。このような部分と、悪党を始末するという行為によって現実社会に対する憤りを少しでも晴らす代償という意味で、現在の高視聴率が維持されているのではないかと思う。
このような、誰が見ても分かる悪党を懲らしめる、という単純なシナリオは、ドラマの中で展開されているだけならば全く何の問題もないのだが、この筋書きが現実社会にも反映されると少し問題が出てくる。
最近のマスコミの報道の傾向を見ると、誰かを悪役に仕立て上げて一斉に叩くというパターンがあまりにも多くないだろうか。芸能界で言うと沢尻エリカ。彼女はあれほど悪し様に罵られるほど悪いことをしたのだろうか。芸能人といえども人間であり、作品の外ではどんな生き方をしても良いのではないか。そしてそれがファンのイメージから外れる行為ならば単に人気を失って失墜するだけだ。
医学界では、例えば、川田清弥医師。彼はそれまで数多くの不妊に悩む夫婦を救って来たであろうに、1回のミスでその全てを否定されるような破目に陥っている。このようなマスコミによる攻撃が続けば、医師は疲弊し続け、人材は流出し、残ったものはさらに疲弊してミスを多発させる結果になるであろう。
政界では中川昭一。G7での酩酊会見は明らかに大失態で弁解の余地はないが、辞任後も面白がった報道が続いている。もういい加減にして、もっと優先度の高い問題に対処して欲しい。そして、考えて欲しいのは、あの会見を成立させたマスコミの責任は全くないのだろうか、ということだ。ネットに転がっていた会見をさらっと見たが、彼が質問に対して頓珍漢な回答をしても全く突っ込むということをしないし、そもそも質問自体が、経済問題に対する認識不足のためか、非常に幼稚であったケースも見られた。
このような社会の単純さは何に起因するのだろうか。問題を起こす人たちが単純になったのだろうか。そうではあるまい。多くの人は情報をマスコミというフィルターを介して入手する。つまり、情報はいったん報道関係者が理解して、その理解の範囲内で配信されることになる。
また、報道を見てもらいたいというインセンティブがマスコミにはあることを考えると、正しいけどつまらない情報よりも、少しゆがんでいるけれど面白い情報・都合の良い情報の方が好まれる傾向があるのかもしれない。
正しい判断は正しい情報によってのみ導かれる。正しい情報が手に入らない世の中では、正しい判断もできないだろう。どうすれば歪みのない情報が手に入るのだろうか。どうすればマスコミは横並びの報道をやめるのだろうか。少し真剣に考える必要があるだろう。
- ナポリを見て死ねない
- 【料理】
- ナポリのピッツァが食べたい。それならば作ってしまおうのコーナーです。イースト菌を買ったのは初。粉を混ぜて水を徐々に混ぜていきます。 こねた結果がこれ。炊飯器のジャーを使用。ちょっと水が足りないかもね。でも経験値が低すぎて判断できず。とりあえず続行。 しばらく発酵させる。結果がこれ。ちょっとふくらみが足りないような気もするが、とりあえず仕方なし。イースト菌って味噌みたいなにおいがする。 形作り。とはいっても、一手負けにするわけではない。違うか。 ガスレンジの魚焼き器で焼いてみた。やっぱり、底面に焦げ目がつかないからイマイチ。 次回の参考としては、 ・水を少し増やそう ・もう少し膨らむようにしよう ・次に焼く時はフライパンで底を焼いてからオーブンに入れよう という感じ。
- 手打ちうどんを作ろう
- 【料理】
- 紀元節を記念して(大うそ)、手打ちうどんを作ってみることにしました。前日の夜にうどん玉を作って寝かせておきました。 (夜に捏ねて踏んでいたら意外に疲れて、なかなか寝付けなくなってしまった…) 一晩寝かせたうどん玉がこれ。踏むのに使ったビニール袋を開いて伸ばす場所を確保します。 伸ばした結果がこれ。上のほうに写っている緑のものは酒瓶。ビニール袋に入れて、のし棒の代わりに使いました。右に写っているプラスチックのタライは、粉と水を混ぜるのに使いました。全部ありもの。 切った結果がこれ。小麦粉(中力粉)400gくらいで、この束が6個出来ました。 茹でた結果がこれ。 きちんとうどんにはなっていたのだけれど、こうなると粉の味と水の味が良く分かってしまう。水道水だとちょっと厳しいかもと思ったり。
- 明日のために - 結婚式参加で気づいたこと
- 【生活】
- 昨年後半に弟と従妹の結婚式が立て続きあり、それに出席してきたわけだが、その際に気づいたことを今更ながらメモしておこうと思う。 冠婚葬祭の問題点が改善されにくい理由の一つは、問題に気づいた人がそのイベントをもう一度行うことがほとんどないためである気がする。結婚式を二度行うのはあまり好まれない(一度は離婚しなければならないから)し、葬式は人の死という禁忌の感情に付け込んで葬儀屋にやりたい放題にやられてしまう、などの理由があるからだ。そういう意味で、今回気づいた点をメモしておくことは将来の役に立つかもしれない。 (まあ、役に立つ明日がボクに訪れるかは不明だが…) ■事前(結婚式当日) 【事象】 ・遠方から来る出席者のために和室の控室を別途予約し、昼食を15人前頼んでいたが、担当者の勝手な判断(披露宴でご飯が出るから)により、12人前に減らされていた。その結果、遅れて到着した人の食べ物が足りなくなった ・同じく昼食は、年配者が多いためおにぎりと指定してあったが、なぜかサンドイッチとフライドポテトだった ・親族控室の準備が定刻までに出来ておらず、残暑が厳しい日だったにもかかわらず冷房がかけられていなかった 【推奨される対策】 結婚式場との交渉は大抵、結婚する本人達が行いますが、彼らは別の場所に隔離されるため、親族達の状況は把握できません。式場との取り決めは出来るだけ細部まで行い、可能ならば書面として残しておくことが望ましいと思います。 また、事前に両親などに引継ぎをし、前日までに式場に調整内容の確認を行っておく必要があると思われます。 ■結婚式中 【事象】 ・神前式の結婚式が行われたが、神殿が会談でしかいけない箇所にあり、足の不自由な人(新郎新婦の祖父母などはこれに該当する可能性あり)には難儀な構造になっていた ・披露宴会場に下りる際に、近くにエレベーターがあるにも拘らず、見るからに足の不自由な人をわざわざ遠いエレベーターに誘導しようとした(当該エレベーターを新郎新婦が使用する事情があったため、それ以外に優先される事項は頭になかったのであろう) ・写真撮影の際に、全く何の仕事もしない職員が撮影場所にぞろぞろいた(これまでの不満もあり、遠くから彼奴らは動きもせずにこっちに姿勢だのを偉そうに指示するのでムカつきは頂点に達しつつあった) 【推奨される対策】 自分達の動線だけでなく、招待客たちの動線も考慮に入れるべきです。普通の式場関係者は、経験上、考慮に入れてくれると思いますが、そうではない人もいるようなので、足の不自由な人などを招待する場合には注意した方が良いと思います。 また、式場関係者の怠慢により、サービスの不均衡(新郎新婦は満足だけど招待客が不満)が生じる可能性がありますので、可能であれば、事前に式場関係者の働きぶりをさりげなくチェックすることをオススメします。 ■披露宴中 【事象】 ・バンケット部門の人たちの動き(パンを配るなど)が頻繁に発生し、招待客を押しのけてでも自分達の仕事を優先する姿勢が見られた ・後になって判明したことだが、披露宴中に流す予定になっていた曲が流れていなかった。(DVDにより明らか)しかし、その点について抗議した所、担当者に、「うるさくて聞こえなかったのではないですか」とうそぶかれた 【推奨される対策】 このあたりは事前にチェックするのは難しいです。式場関係者はウェディングのプロであり、最善の行動を取ってくれると思いがちですが、必ずしもそうではないようです。問題点が発覚した場合は、適切に抗議した方が後々の利用者のためにもなると思われます。 ■事後(結婚式当日) 【事象】 ・招待客の一人のクローク預けの荷物が見当たらないため、その前に荷物を受け取った別の招待客たちの荷物をチェックさせて欲しいと、式場関係者が言ってきた。しかし、荷物はクロークの奥のほうで発見され、式場関係者自身の見落としであることが判明した(幸い、疑われた招待客は何とも思っていなかったが、自分のミスであるにも拘らずまず客を疑う姿勢には疑問がある。しかも彼らへの謝罪はなかった) 【推奨される対策】 ・結婚式場にとっては招待客は客であって客ではありません。式場にとっての客は結婚する人たちのみです。彼らには適切なサービスが提供されますが、招待客にとってもそうとは限りません。招待客が不満を持っていないか、両親・親族などを通じて情報収集した方が良いでしょう。 ■有名リゾートで結婚式を行う場合 ・式場には多くの結婚式をこなすインセンティブがあります。このため、有名式場のスケジュールはタイトです。ベルトコンベアに乗せられるがごとく、次々と神の祝福が与えられていきます ・ホテルの式場の場合、式場関係者にバイトっぽい人がいます。そういう人たちのサービスは期待できないレベルであることがありますので、注意が必要です。どう注意するんだ、と言う話もありますが… 大体こんな感じ。メモ書きなので読みづらい点もあると思いますが、皆様のご参考になればこれ幸い。
- 権利の不平等
- 【法律】
- マスコミが掲げる錦の御旗に、表現の自由がある。これがあるために、日本の内閣総理大臣が内容を理解せずに読み上げているだけだから漢字の読み間違えをしても気づかない、なんていう報道をマスコミがしたとしても、権力者から(表立っては)弾圧されることがないわけ。根拠条文は以下の通り。 日本国憲法 第二十一条 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。 ○2 検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。 この権利は非常に強力で、基本的人権の中でも相当優先されている。だから、表現の自由の名の下に行われた報道で傷つく人も出てきてしまう。特によく対立する権利はプライバシー権で、これは憲法で保障されている権利ではないので、表現の自由と一緒によく語られる知る権利によって、比較的簡単に無視される。 このプライバシー権が何を指すかには諸説あるのだろうが、ボクの意見を述べさせていただくならば、自分が知られたくないと思っていることを知られない権利、と言えるだろう。まさに知る権利の対極にあるわけだ。 で、最近これを改めて思い起こさせたのが、2006年に奈良県田原本町で起きた母子放火殺人事件の調書をそのまま出版したことによって、情報源の鑑定医が逮捕・起訴された事件の公判。事件当時は公権力によるメディアへの介入として話題になった。 この暴露本の著者の公判での証言が、出版社に責任転嫁するは、ジャーナリストを名乗っているのにわざわざ意味もなく情報源を明かすは、大変に気分悪い言動であるのは置いておくとして、そもそも、なぜ調書を公開することが必要だったのかという疑問がある。 捜査資料というのは大概プライバシーの塊だ。何が事件に関係するかは分からないから、事件関係者についての情報を細大漏らさず調べ上げて記録したものが捜査資料であることを考えれば、当然であろう。調書はそこから組み上げられたストーリーであり、やはりプライバシーを多分に含んでいることは想像に難くない。 被告は調書を公開することで、犯人である少年に殺意がなかったことを社会に知ってもらいたいと主張しているらしい。しかし、これって鑑定医の仕事なのか?たまたま鑑定を依頼され捜査資料を読むことになっただけの人間が、その特権的立場を利用して、少年や周囲の意向を踏まえた訳でもなく、第三者(しかもそれを公開することに強いインセンティブを持つ人間)に調書を開示することが。おそらく検察に指嗾(しそう)されてのことではあろうが、被告を告訴したのが当の少年とその父親であることは皮肉としか言いようがない。 一般的に考えて、プライバシー権を表現の自由が侵すことができるのは、その行為によって得られる公共の利益が、プライバシーを侵害されて個人が負う損害よりも、遥かに大きい場合だろう。確かに、公権力による表現の自由への介入は許すべきことではないが、今回のケースに限って言うと、暴走したのは被告と出版社および著者である気がする。多分、今回の暴露によって幸せになった人は、もともとの事件関係者の中に一人もいない。そして、彼らを犠牲にして得られた公共の利益というのはいったい何なのかもよく分からない。 表現の自由と言うのは、両端に刃のついた矛のようなものかもしれない。一方の刃で表現の自由を振りかざすと、もう一方の刃は操り手ではなく、背後にいる誰かを切りつけることになる。行使者は正義の味方のつもりで矛をブンブン振り回すのだけれど、それが切り開いた分と同じだけ、犠牲者が出るケースもあるだろう。 自らは傷つくことなく振りかざすことのできる権利であるからこそ、その行使には慎重にならなければならない場面もあることを肝に銘じる必要があると思う。そうでなければ、無駄に傷つけられた人々は、その大権を封印させようという動きに出てくるかもしれない。
- その対応はなぜ?
- 【報道】
- 大相撲において横綱朝青龍が優勝しました。気になるのは最近の横綱バッシング。ワイドショー大好き視聴者の反応はともかくとして、横綱審議委員会(横審)の対応が解せない。 横審の主張を要約すると、相撲は単なる格闘技ではなく神事なのだから横綱には品格が求められる、という感じだろう。しかし、それをいうなら横審も横綱に対する敬意が必要なのではないか? 相撲の起源は良く知らないけれど、相撲を神事というならば勝負の結果は神意であろう。つまり、どんな勝ち方をしようとそれは神が定めたもの。そのあり様について意見をするのは、相撲を神事と考える人間にしては不敬が過ぎるのでは?そこまでは言わなくとも、横審メンバーには出来ない相撲と言う行為を通じて神事を行っている力士、特に横綱に対する敬意を失うことは許されない。 最近、横審のメンバーの中には、マスコミを通じて横綱批判をするような輩もいる。彼女(もしかすると彼かもしれないが)は、横綱を諭したいと思うならば、横審の権威によってそれを行うべきであって、マスコミを通じて批判をするようなことは、大相撲自体の権威を貶める行為であろう。そんなことをして喜ぶのは、彼女(もしかすると彼?)と視聴率が取れているワイドショーのプロデューサーくらいのものだろう。 もっと俗に考えても、内部のゴタゴタをリークするのは、外部の力を使って自分の権力を増大させようと考えている人間か、内部がどうしようもなく腐っている場合くらいしか考えられない。前者ならば人間として最低だし、後者ならば同じ列にあるものとして相応の責任があることだろう。 かつて若貴人気が去った後の相撲界を盛り上げてくれたのが誰だったのか、一度よ〜く思いだしてみると良い。恩人につば吐くような真似は、日本人の美徳とするところではない。
- この世には2種類の本がある
- 【本】
- 本を読む目的を2つに大分すると、楽しむためと勉強するために分けられるだろう。趣味で読む場合は前者が多いし、仕事の場合は後者が多い。楽しむための場合は、仮に読んだ本がつまらなくてもまあ別に良いか、という感じになるが、仕事のために読む場合は、つまらない本に当たった場合は最悪の気分になる。貴重な時間を投資したのに得られるものが何もないということは、ビジネス的には失敗ということになるからだ。 本の楽しみの一つは手に取るまでにもあるだろう。どんな内容かと想像しながら装丁を眺める。タイトルを見る。お金のない頃は購入する本を厳選するため、じっと表紙を眺めながら悩んだものである。そうすると不思議なことに、買うべき本が呼んでくれている様な気分になった。大抵そういう本は、読むと面白かった。 会社員になり定期的に給与が入ってくるようになると、普段本屋さんに行く時間もないし、お金もあるので、ネット書店で適当に購入することが増えてくる。とりあえず買ってみてから判断するのだ。そうすると、自分の読書傾向からは買わないであろう当たりに当たることもある分、金の無駄と思えるようなハズレに会うこともある。このため、前述したような失敗が発生するわけだ。 このような無駄を可能な限り避けるために利用するのがネット書店の書評だ。時には的外れな意見や役に立たない意見もあるが、大抵は正しい。ネットから受けた恩義はネットに返すのが礼儀なので、自分でも読んだ本の書評はなるべく投稿する様にしています。
- 矜持の問題
- 【生活】
- コンビニの雑誌売り場にはよく立ち読みしている人がいます。たいてい外に面した窓際に雑誌売り場を設置しているため、客寄せになって良いという説もありますが、必ずしも全てのコンビニに当てはまるとは限りません。ボクが良く寄るコンビニの雑誌売り場は壁に面しており、外からは見えません。こうなると立ち読み客は単なる害悪になってしまいます。 この前も帰りにコンビニによると、雑誌売り場でマンガの立ち読みをしているおっさん(ボクと同じくらいの年代だが敢えていう)がいました。スーツを着ているのでサラリーマンだと思います。ボクはマンガ雑誌を買おうと思ってそこに行ったのですが、彼は堂々と立ち読みをしたまま、少しも避けようとせず、邪魔で仕方ありません。 ボクも御幼少のみぎりは立ち読みが悪いことなんて思ったこともありませんでした。実際、夏休みともなれば、3時間くらいは平気で立ち読みをしていました。今は金がないから立ち読みするけれど大人になったら買うので勘弁して欲しい、というのがその頃のボクの理論武装でした。だから、その頃ボクが立ち読みしていた時の出版社のコストは、どこかの大人か金持ちの子供が払っていたはずです。 大学生になり定期収入が得られるようになってからは、雑誌も本も購入するようにして、その頃に受けた恩は返しているつもりです。(もっとも、当時立ち読みしていた本屋は店仕舞いしてしまったので、直接的に恩返しすることはもう無理ですが) ここで前述のサラリーマンに話を戻すと、彼らが受益した分は一体どこで取り戻されるのであろうか。彼らは自分が雑誌を購入しないばかりか、購入したいと思っている人の邪魔までしている。(実際ボクは混んでいるとその店で買うのを止める) 彼らのような存在は、自分では意識もしていないのだろうけれど、出版業界を窮地に追いやっているのだ。買うお金がないわけではなく立ち読みをしているなんて、どこかの内閣総理大臣ではないが、さもしい。いま小学生くらいの子達は彼らのせいでマンガが読めなくなってしまうかもしれないのだ。 どうせ彼らは学生の時にも金を払って雑誌を買っているはずもないので、一体いつまで人の金におんぶに抱っこでマンガを読みふける気なのかと問いただしたいところだ。もしかすると、年金をもらう年齢になったら購入するつもりなのかもしれないけれど、その頃に年金制度があるという保証もないし、彼らが年金積立をしているかどうかもよく分からない。
- 定額小為替の使用をやめようキャンペーン
- 【生活】
- 定額小為替というものをご存知だろうか。ゆうちょ銀行もしくは郵便局の貯金窓口で振り出される証書のことである。50円、100円、200円、300円、400円、500円、1000円の7種類があり、所定の手数料を支払うと発行される。この証書をゆうちょ銀行もしくは郵便局の貯金窓口に持っていくと額面金額を支払ってくれるので、郵便などによる小額の送金に使用できるものである。 所定の手数料と書いたが、民営化前には10円だった手数料が、現在では100円になっている。つまり、50円を送ろうと思うと(そんなことがあるか分からないが)、以前は60円で済んだものが、今では150円必要なのである。送金金額よりも手数料が多いというのが訳が分からない。250円を送金するより、300円送金する方が、トータルコストはお得なのである。 こんなもの使わないから関係ないと思われるだろうが、企業による応募者全員キャンペーンのようなもので要求される支払方法として、現在でも定額小為替が指定されている場合があるので、もしかするとどこかで関係することもあるかも知れません。ということで、ぜひ、皆様お勤めの企業では、この定額小為替を使用しないようにしていただければ幸いです。
- 生臭金満坊主
- 【生活】
- ボクの家のお墓は生地である福島県にあります。このお寺の坊主がひどい。何がひどいって、まずは坊主の格好をしている時に、金の腕時計をしている。どんだけ儲けているのか。まあ、見掛けだけなら許せるかもしれないが、本来の仕事をしないのがもっとひどい。 まず、墓場の掃除をしない。寺の敷地内にある墓なのにほったらかしだから、そこかしこに雑草が茫々。そして敷地内に自分のためのガレージを作ったため、本堂から墓に行くまでの道がなくなった。おかげで、ガレージと壁の隙間を横歩きして墓に行かなくてはならない。しかも、持っている車がミニクーパと趣味丸出し。このおかげで参拝者用の駐車場もなくなったため、文句を言うと、人間少しは苦労したほうがよいなどと説教をかます。さすがに高徳の僧は言うことが違う。自分はどんなに楽な生活をしても堕落することはないのだろう。 極めつけは、弟子とかいって女を囲っていること。この坊主は大阪から下ってきたのだが、向こうでは厄介払いできたと清々しているのではないか。こんなやつが親鸞法要の寄付金を強制してくる現状には、苛立ちを通り越して怒りしか感じない。 いまはボクが管理者ではないので特に口出しはしないが、もしボクが管理者になることがあり、そのときも現状のままであれば、どこかに墓を移した方が良いのかもしれない。
- 今年を示唆するような駅伝
- 【生活】
- 年頭の定番、ニューイヤー駅伝がありました。始めと終わりの方しか見ていないのですが、レース運びにがっかり。スタートから団子になってお見合いをするし、最後の三区間では、トップ3チームが様子を見合って中継所付近まで併走し、最後数百メートルになってからダッシュするという繰り返し。まるで短距離のレースを見ているようでした。何のために、タスキを引き継いで駅伝しているのだかよく分からない。 最終的に様子を見合った挙句、逆転で富士通が優勝。日清食品の人は他の人を気にしすぎでした。年の始めなのだから、自分たちのチームらしいレース展開をするのに力を注いでほしかった。まあ、並走が多いというのは、スターがいないという日本男子長距離界の課題を突き付けられているようでもありましたけど。年初からちょっとがっかりでした。 明日の箱根駅伝もこんな調子だったらどうしよう?