ライトノベルの定義って何だろう?


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ライトノベルの定義って何だろう?
【ライトノベル】
 週刊少年マガジンを読んでいたら、第1回講談社ラノベ文庫新人賞募集という広告が目についた。そこには次のようなアオリが書かれていた。

「ライトノベルというものは、未だ確定した定義はない様ですが、主要な書き手と愛読者の間では、何かしら確実な共通認識はすでに生まれています。この文章を読む方で、とくに、新たな作品を『ライトノベル』として生み出したいと思っている方々は、すでに間違いなく、その本質を理解されていると思います。(後略)」

 この文章を読んだ瞬間に思ったことは、「定義も分からないのにどうやって評価するのだろう?」という単純な疑問だった。読者は読んで面白いか否かが作品の全てだけれど、出版社はそれじゃプロと呼べない様な気がする。なぜ面白いのかがあって、面白くないものをどうすれば面白く出来るのかを追求するのが出版社じゃなかろうか?それなのに、定義が分からん!と投げっぱなしの姿勢は共感できない。
 ここで我が身を振り返ってみて、自分はライトノベルが何か分かっているのだろうか?と疑問に思った。ボクは一般読者なので、別に定義が分からなくても作品を楽しむことが出来る。しかし、他者を批判するからには、自分なりの立ち位置を最低限、明確にしておく必要がある気もする。そこで、この機会にちょっと整理してみることにしました。

 なお、あくまでも以下の議論は、ボクが身近な本棚を見回して、目についた範囲で検討したものに過ぎないので、十分な網羅性がある見解だとは思っていません。あくまで議論のたたき台にする仮説程度のものだと理解してお読みいただければ幸いです。


 ライトノベルとは何か?という問いに答えるために、まずはライトノベルの構成要素は何かという問いを出発点としたい。どういった要素があればライトノベルと呼べるのかを、ボトムアップの観点から洗い出しを行い、それをグループ化することで構成軸を明確にしようという試みだ。
 手近にあるいわゆるライトノベルレーベルの本を眺めて、それにどんな要素があるかを洗い出してまとめたのが次の表だ。(Fig.1 参照)

Fig.1 ライトノベルの構成要素

ライトノベルの構成要素


 いきなりがっつりとまとめてあるので一見して理解し難いかもしれない。まずは構成要素を洗い出して成分にグルーピングした。成分にブルーとピンクがあるのは、同じ分解軸の中で方向性の対立構造があるという仮定に基づいている。

仮説1

ライトノベルは理想像の射影である

 一般小説は、著者の現実を書き下ろしたものであると考えて良いだろう。現実の経験をさらけ出して抽象化し、適切にフィクション要素を付加してまとめる。あるいは取材に基づいて再構成する。どれほど架空世界を構築したとしても、そこに生きている人間は現実の存在であるからこそ、小説として意味があると思う。
 一方、ライトノベルレーベルの小説は、現実から乖離した設定であることが多い。登場する主人公は大活躍し、また異性によくもてることが多い。必ずしも現実の人間を反映したものである必要はなく、むしろ現実を忘れさせたり、現実を面白く解釈したりする物語の方が読者に受け入れられやすい気がする。
 このように考えると、ライトノベルとは、著者の、あるいは著者が想定する読者の理想を文章として結実させた作品だと考えて良い様に思える。ゆえに、仮説1を提示することとする。


仮説2

ライトノベルは読者を強く意識している

 これまでの議論の中で、読者の存在を意識した。一般小説においては、私小説などの例もある様に、著者の考える世界が全てであり、極論すれば読者がいないとしても小説として成立するだろう。これは素人的な意見かもしれないが、ノーベル文学賞を受賞する様な作品には、分かりやすいエンターテインメント性は無い。そこで評価されるのは、文化であり、描かれる人間であり、強烈なメッセージ性である。
 一方、ライトノベルは読者がいなければ成立しない。売れないラノベが打ち切りになるのはよくある事だし、この本は儲からなくてもよいから出版する価値がある、などという判断が編集によってなされることは無いはずだ。売れることが正義、エンターテインメント性が全てなのである。ゆえに、ライトノベルは読者の存在なくして出版され得ない。
 この議論は、メタ要素を含んだり、人気ラノベ等を模倣・参照した様な作品が多いことからも補強される。


仮説3

ライトノベルは、現実像と理想像の間で一定の束縛を受ける

 仮説1、2を前提とすると、読者が喜ぶものならば何でも良いということになってしまうが、実際にはそこまで無軌道なものが売れることはあまりない。何を規範としているかを明確に指摘することは難しいが、社会的道義性など現実世界から一定の制限を受けたものとなることが多い。この結実したものが「お約束」と呼ばれる型だろう。そしてこれは、より簡潔で分かりやすいことが好まれる傾向がある。
 この様に、ライトノベルには、理想へ向けて突っ走ろうとする方向性と、現実へと引き戻す方向性が対立軸として存在していると考えられる。


 以上の仮説1〜3を考慮して整理したものが、<Fig.1 ライトノベルの構成要素>である。この議論は、思いつきをベースとして書いたものなので、十分なデータや論理性がないかも知れない。そして、今の所はそれらを求めようとも思っていない。なぜなら、研究論文のつもりもないからだ。
 だが、これにより、個人的にはライトノベルの範囲がどういうものか見えてきた気がする。そして、この分類法によれば、現在ライトノベルのレーベルから出版されている書籍のうちにも、ライトノベルのジャンルから飛び出しているものは多くあるという結論が導かれる。

 これまで、ライトノベルのジャンルから一般文芸へと抜けだそうというラノベ作家たちは多くいた。桜庭一樹氏などを筆頭に、有川浩氏など、枚挙にいとまがない。(その割には例が女性作家ばかりだが)
 この動きは、作家のエゴみたいなものと捉えがちかもしれないが、実は違うのかもしれない。ライトノベルが読者を重視するならば、この動きは読者の変化を捉えたものという見方もできる。

 ライトノベルは、いままさに現代を生きる小説だ。これからもどんどん変化していくことは間違いない。


ライトノベルは何によって評価する?》につづく。
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