Ian R. Calder作品の書評/レビュー

水の革命―森林・食糧生産・河川・流域圏の統合的管理 (監訳:蔵治光一郎、林裕美子)

近い将来に備えた意識の変革を促す
評価:☆☆☆☆★
 水はタダという考え方は、日本では普遍的に定着している考え方だろう。しかし、最近では輸入食料に対する仮想水という考え方が紹介され、食料自給率の低さと共に問題とされている。本書は、そんな時代に必要とされる、統合的土地・水資源管理、青の革命について紹介している。
 かつての食糧問題は、化学肥料導入や灌漑設備充実などによる増産、緑の革命で対処した。しかしこれは、食糧生産に水を無尽蔵に使用できる前提の対処法である。実際には、農業だけでなく、工業、林業、上下水道、環境維持などにも大量の水を必要とする。今後見込まれる人口増加に対処するには、農業以外の分野に配分されている水を奪わなければ対応ができない。このため、緑の革命では、食料はあるけど調理器具がない、という状況も起き得る。
 これを回避するには、正しい科学的知識に基づき、利害関係者の意見を調整し、それぞれが最低限納得できるような土地・水の配分を実現していかなくてはならないというのが本書の主張だ。ここには、あっと驚くような技術革新もなければ、全員が100%満足するようなやり方もない。そういうギリギリの所でしか解決できないことを理解するのが、青の革命である。

 この革命を阻害するのが、根強く浸透している神話だ。例えば、植林で山が保水効果を持つので洪水が起きない、ダムや放水路を作らないと洪水が起きる、というのがそれである。しかし、人工林が保水効果をほとんど持たないばかりか、土壌浸食を起こしたり、水を大量消費するという弊害も併せ持っていることが検証されているらしい。また、ダムによって下流域の環境汚染が起きたり、放水路によって下流域の洪水が引き起こされたりもするらしい。
 この錯誤はいったい何によって起こるのか。一つには、その方が得をする人たちがいるということだろう。植林業者や土木工事業者と、その利権に群がる権力者はその代表格だろう。青の革命では、こういった利害関係も調整していく必要があるのだ。
 もちろん、植林やダムにも良いところはある。植林には炭素固定の効果もあるかもしれない。ただ、どれか一つの側面にとらわれて、水を無駄に消費してはならないということなのだ。それぞれの良い所をバランスよく取り入れて計画していく必要があるという。

 ここで日本の食糧問題を考えてみたい。江戸時代の人口は約3,000万なので、食生活を当時と同じ水準にしても、日本の国土が養えるのは、せいぜい現在の人口の半分という所だろう。仮に、山を潰し湖を埋め立てて田畑を増やしても、今と同じ水準を維持することはできないと思う。今後の気候変動によっては、日本が食糧生産に適さない気候になる可能性も考えられる。まさか食料を求めて侵略戦争をするわけにもいかないのだから、地理学的な分野で勝負を挑むのは間違っていると思う。
 そこで参考にしたいのが、水の経済学的な価値を考える手法だ。要するに、生産物の販売価格から、生産に要した水の価格を推定する方法であり、これによると、農産物では低く、工業製品では高い。この視点では、限られた水を有効利用するには、農産物より工業製品に投入した方が良いという結論になるだろう。つまり、食料は生産に適した所に頼るということだ。
 この考えは危険な所もあって、もし食料輸出規制などが行われると一気に日本は飢餓状態になってしまう。しかし、どうがんばっても国内完全自給は無理だと思うので、人口を維持したいならば、こうでもするしかないだろう。それにおそらく、儲けるためには、自国の貧乏人に売るより他国の金持ちに売るという奴は出てくるに違いない。資本主義の非人間的なところだ。

 どんな道を選ぶにせよ、その方向性は明らかにしておく必要がある。そうでなければ、どこに重点的に資源を投入すれば良いか決められないからだ。それには、条約を管理する外務省、農業政策を決める農林水産省、経済政策を決める経済産業省、河川を管理する国土交通省などが有機的に連携して政策立案をしなければならない。そして、水文学、生物物理学、経済学、社会学、政治学など、様々な学者が協力して、あるべき姿を描き出していく必要もあるだろう。どちらもそう簡単には実現しそうにない。

 本書はreview paperのような構成になっていて、研究者が分野の概要を知るには便利なのかもしれないが、一般の読者が内容を把握するにはかなりの苦痛を伴う。また、日本語訳も意味が分からない部分もあるので、併せて少し評価を下げておく。

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