ジョセフ・E.スティグリッツ作品の書評/レビュー
スティグリッツ マクロ経済学 第3版 (共著:カール・E.ウォルシュ)
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完全雇用モデルから始めて、現実の経済とのギャップの源泉であろう、経済成長や経済変動の理論のさわりまで読み進めていたところで、急に忙しくなり2ヶ月ほど放置していたのだが、残されていたインフレーションと失業や金融・財政政策についてもようやく読了した。
終盤の第二次大戦後の復興やグローバリゼーションについては、これまで読んだマクロ経済学の教科書では触れられていなかったので興味深く読むことができた。また、この本の特徴として、英単語の対訳が掲載されているので、専門的に学ぶ際には役立つと思う。
読了までに間があいたことで、雰囲気に流されずに冷静になって本を見つめなおせた気がする。その結果として感じたのが、ミクロ経済学の理論に比べると、マクロ経済学の理論はどうにも手探りの部分が多いというか、"学"として確立しきっていないのではないか、ということだ。
例えば、ミクロ経済学では価格と生産量で議論していたものが、マクロ経済学では物価とGDPで議論される。ある製品の"価格"という概念が、経済全体の"物価"という概念に抽象化される訳だ。このような抽象化は物事の本質を分析するのには有効な手法で、科学的な分野でも利用されている。しかし、抽象化が許されるのは、それをしても物事の本質が損なわれないことが必要だ。
物理の場合で考えてみよう。熱力学はその名の通り、温度や圧力など熱に関する現象を取り扱う学問だ。熱の源泉は物体を構成する分子の運動エネルギーであるが、全体の熱現象を説明するのにひとつひとつの分子の運動を考慮する必要はない。これは、それぞれの分子に区別がなく、ある分子に未来で起きるまたは過去に起きた現象は、たくさんある分子のどれかに対し現在起きている現象と同じである、という仮定が成立しているためである。そしてこれを確認できるのは、分子の状態を的確に表現することができるツール(座標やエネルギーなど)が存在するおかげなのだ。
マクロ経済を考えた場合、まずプレイヤーには明確な優劣がある。労働者と一口に言うが、その能力は千差万別であり数値化することもできないから、失業率を計測したり摩擦的失業などの概念を考えることはできても、労働者の能力値から失業率を計算するようなことはできない。一人当たりのGDPが1万ドルということは分かるけれど、それにより人々が幸せかどうかを判断する基準はない。
このように考えると、経済学が本当の意味での科学になるためには、経済に影響を与えるパラメーターを全て洗い出し、その関係を明確に定義する必要があると思うのだが、GDP・利子率・物価・為替レートなどのパラメーターの複雑な関係を見る限りにおいて、定式化を行うのは難しそうだ。
スティグリッツ ミクロ経済学 第3版 (共著:カール・E.ウォルシュ)
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原著を三分割した翻訳版の内の二分冊目。一分冊目が「経済学入門」になっているが、第一章や随所にその内容が埋め込まれているため、必ずしも「経済学入門」を読まなければならないということはないと感じた。ただ、文章はとても読み易く明快に書かれているが、ある程度の前提知識がないと理解し切れない部分があるため、何がしかの入門書は事前に勉強しておいた方が良いかも知れない。
完全市場のケースとして、生産物市場、資本市場、労働市場のそれぞれについて具体例を挙げながら説明し、独占や寡占、各市場の不完全性について説明を展開している。また、最新のミクロ経済学として、近代の貿易政策やゲーム理論、外部性の問題として技術革新や環境問題にも触れている。
計算問題に習熟するというよりは、ミクロ経済学の概念について解説することに重点を置いているという感じ。アメリカの事例が多いのだが、日本版への訳者による追記も多く、日本での教科書としての利用にも配慮しているように思う。しかし、民営化に関する追記には前提条件などの記述の不足を感じた。
経済学に対する確信が揺らいでいる今だからこそ、新たな展開に対するスタートラインとして、基本を再確認してみるのも良いのではないでしょうか。以上、素人からの感想でした。
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