寺脇研作品の書評/レビュー

憲法ってこういうものだったのか!(共著:姜尚中)

憲法改正議論の前に憲法を読もう
評価:☆☆☆☆★
 元文部官僚であり「ゆとり教育」推進の槍玉にあげられる寺脇研氏と、在日韓国人である東大教授の姜尚中氏という、憲法に宣誓した人と憲法番外地(本人談)の住人の対談を文章に起こしている。
 対談集の性格上、文章にダイナミズムはあるけれど、話しているうちに微妙に論点がすり替わっていったり、結論が見えなくなってしまったりもするので、論理が明確ですっきりと分かるという性質の本ではないと思う。ただ面白いのは、おそらく普通の人があまり意識することのない憲法という存在を自分なりに消化している二人の対談だということだろう。だから互いに相手の言いたいことがすぐに理解できる。

 本書で取り上げでいる主な条文は、第一条(象徴天皇)、第九条(戦争放棄)、第十条(国民の要件)、第十二条(権利と公共の福祉)、第十四条(法の下の平等)、第十五条(公務員の選免)、第二十五条(生存権)あたりだ。(略説はボクが勝手につけた)特に寺脇氏が挙げているのが『公共の福祉』という言葉だ。
 憲法においては国民の自由と権利が保障されている。しかしこれは何でも好き勝手にやってよいというわけではない。公共の福祉に反しない限りは、という条件が付く。ここを勘違いしている奴が多すぎる、というのが大まかな論旨で、これには同意できる。ボクが中学校で憲法を習ったときにも強調されていたのが公共の福祉というやつで、当時のボクは公共の福祉によって制限される自由の境界はどこにあるのだろう、と疑問に思ったものだった。  そして、寺脇氏と姜氏は、ここから新自由主義批判に論理展開する。公共の福祉があるから弱者は救わなければならない。ところが新自由主義は一部の虚業のやつにばかりもうけさせる。だからイカンというわけだ。
 前半は確かにその通りなのだけれど、セーフティネット(福祉)の話と経済の話は本来分離して考えられるべきと思う。なぜなら、どうやって稼ぐかが経済の話で、それをどう分配するかが福祉の話なのだから。稼ぐ段階で最適配分になっているのならば、その後の分配を考える必要はないのだが、社会主義国家ではあるまいし、現実的にはそんなことはあり得ないだろう。

 姜氏は、日本に永住する外国人、という立場で憲法をとらえる。そして外国人の権利の話になるわけだが、法律は法律、国籍は国籍として、永住する国で外国人としての文化的意識を保てる環境があればいい、という感じでおさめている。
 要は、永住外国人は、永遠の異邦人として、憲法番外地の国民として暮らせば良い。日本国民として権利の行使をしたいならば、国籍を取得するのも良いだろう。そしてその後に日本の文化に帰依するのか、自分たち固有の文化を守り続けるのかは、彼らの判断にゆだねられる、ということなのだと思う。このあたりは、民主党が掲げる外国人地方参政権の考え方とは全く正反対の見解だろう。

 読んでいれば同意できるところもあり、疑問符が浮かんでくる部分もある。だが、憲法改正を議論する前に、まずは憲法を読み直してみてもいいんじゃない?という問題提起としては、十分に成功していると思う。

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