長谷部恭男作品の書評/レビュー

憲法とは何か

憲法と戦争の関係
評価:☆☆☆☆★
 フランス王ルイ14世は「朕は国家なり」と言ったが、本書流に言えば「憲法こそ国家なり」となろう。
 フィリップ・バビットによると、絶対王政から革命期を経て立憲君主制に移り、三種の国民国家(議会制民主主義、ファシズム、共産主義)が鼎立する状態になる過程には、戦争形態の変遷が大きく影響を与えていたらしい。
 ナポレオン時代の様に騎馬隊などの突撃戦法・会戦が有効な時代には、短期間に兵力の集中運用を行えば戦争の決着がついたが、銃火器の発達はその様な戦法を無効にしてしまい、徴兵制による大量兵員の分散・包囲による戦略が主流となった。この徴兵の代償として、国民は政治参加範囲を拡大させることとなり、徴兵を正当化するために、戦争の結果として国民の福祉が向上することを国家目標とするようになった。これが国民国家であり、それぞれの性格を決定づける概念が憲法である。
 第二次世界大戦や冷戦では、異なる性格を持つ憲法に対する攻撃が行われた。前者では議会制民主主義と共産主義の共闘によりファシズムが粉砕され、後者では共産主義が崩壊して集結した。この結果行われたのは、勝者による敗者の憲法の書き変えだった。つまり、第一次世界大戦以降、戦争は憲法の書き換えを行わない限り終結しない仕組みになっていたのである。

 三種の国民国家は全く異なる性質に思えるけれど、いずれも国民の同一性・均質性を要求するという点では同じだ。ただ、その実現方式として、共産主義は階級の同一化を、ファシズムは民族の同一化を選択する。一方、議会制民主主義は、公と私を分離し、私には多種多様性があることを認めつつも、公として同一であることを要求される。
 では、これらの特質を決定づける憲法、特に議会制民主主義における憲法は、どのような性質を持っているのだろうか。H.L.A.ハートの慣行的理解によると、古い法律は新しい立法によって改廃されるが、道徳的な準則や原理はこうしたやり方では改正されないという。
 社会生活における人々の権利や義務は、本来、社会的慣行として成立する。それをテキスト化したものが憲法だという。ゆえに、テキストを改正したとしても、社会的慣行がいきなり変わるわけではない。逆に言えば、テキストを変えなくとも、社会的慣行が変われば、その運用として下位法を改正することにより、実際上、憲法改正されたのと同じ効果をもたらすことが出来るのだ。この考え方が一理あるということは、例えば、"憲法の政府解釈"という行為を見てみればよいと思う。

 前半は憲法の性質について、後半は首相公選制や憲法改正議論などに対する反対意見・無意味さの論理を展開している。個人的には、前半の議論が色々と考えさせられ面白かった。ただ、一文が長いことが多く、文頭と文末で何を言っているのか分からなくなることもあり、いかにも法律家的な文章だなとも思った。

   bk1
   
   amazon
   
ホーム
inserted by FC2 system