山田奨治作品の書評/レビュー

日本の著作権はなぜこんなに厳しいのか

権利と文化の間に
評価:☆☆☆☆★
 著作権は重要な権利だ。作品を消費するに当たっては、正当な対価を支払う必要がある。しかし正当な対価を支払えば、私的複製は消費者の権利でもある。これは、創造のはじまりが模倣であることを鑑み、文化の発展のためには権利だけを守っていればよいのではない、という理念の現れだと思う。
 ここで論点となるのが、正当な対価とは何で、私的複製が許される範囲はどこか、ということだろう。これを巡って、権利者と権利者がしのぎを削り合って、落とし所として生まれたのが現在の著作権法だと見る見方もある。ここで、消費者がその議論の舞台に上がっていないことに注目すべきだろう。

 本書では、時代による著作権法の変遷のうち、違反への厳罰化とダウンロード違法化の流れについて、特に詳しく解説をしている。

 著作権法への違反者が増えれば業界の利益が減る。厳罰化を求める権利者の動機はそこにある。この根拠として、違法な無料ダウンロードサイトの利用数などが挙げられ、それが正規に販売された場合の売上を被害額と捉える訳だが、ここでは単純な経済学の原理が見落とされている。それは、需要と供給が一致する点は、価格により決まるということだ。
 書籍でよく見られる現象として、単行本よりも文庫本の方がよく売れるということがある。文庫化によりやすくなったことで、需要が増したのだ。つまり、読みたい気持ちはあっても高ければ買わない。この心理は、先の例にも当てはまるため、ダウンロード数から被害額を単純に推計することは出来ない。

 ダウンロード違法化の議論には、私的録音録画補償金制度が大きく関わっている。デジタル化は、私的複製を劣化なしに実現させる環境を生みだした。その代償として権利者が求めたのが補償金制度だ。私的複製をされるのは避けようがない。ならばそれが可能なデバイスに初めから複製による損害を上乗せしてしまおうという考え方だ。
 ところがこの議論は簡単にはまとまらなかった。なぜならこの場合の権利者には2種類あって、コンテンツの権利者とデバイスの権利者がいるからだ。互いに対立しあい、議論は錯綜し、互いに影響のない落とし所として、インターネット上のコンテンツが槍玉に挙げられる結果となった。

 筆者は明らかに、著作権法による過剰な制限に反対する立場で本書を描いている。そしてそれを、国の検討委員会の議事録をひも解くことで、現在の制度設計のいい加減さを明らかにしようとしている。
 個人的には本書の内容に賛同できる部分とそうでない部分があり、一様に評価することは難しい。ただ、ロビー活動によってこの様な権利のあり方が定められてしまうならば、それがしにくい消費者の権利は誰が代弁するのか、それは考えるべきだと思った。

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