渡辺尚志作品の書評/レビュー

東西豪農の明治維新 神奈川の左七郎と山口の勇蔵

現代政治のルーツがここに
評価:☆☆☆☆★
 どこまでの機関を明治維新と呼ぶのかよく分からないが、本書が取り扱っているのは明治10年代周辺だ。旗本を領主に持っていた地域の豪農・山口左七郎と、長州毛利家藩士の知行地の豪農・林勇蔵の当時の行動の記録を洗うことにより、地域特性や考え方が明治維新に対する行動に影響したのかを明らかにしている。
 基本的には、個人の記録を積み上げ、特性によりグループ化し、そこから分析をしようというスタンスらしい。

 一言でいうと、明治政府下にあって彼ら豪農は、中央政府と民衆の間にある緩衝材の機能を果たしたらしい。近代的な明文法による統治を推し進めていく政府と、封建的な慣習により集落を形作っている農民たち。前者の目的を実現するために、後者の意を汲みながら彼らが納得できる形に実現して行ったのが、山口左七郎のような豪農たちだという。
 左七郎は、自分たちが前時代的な考え方と近代的な考え方の間にいることを自覚しており、より前時代的な考え方に近い庶民たちには、近代的な考え方を押し付けても対応できないことを理解していた。ゆえに、目的は達成するけれども、その実現方法は前時代的な考え方に沿った方法で実現するという、見えない苦労を積み重ねていったのだ。

 もちろん彼の様な理解のある豪農ばかりではなく、近代的な契約をたてに取り、相手の状況を鑑みない借金返済を迫る豪農たちもいた。彼らからすれば、それが新しい社会のルールなので、それを適応することに何ら呵責はないわけである。
 このような豪農たちが自由民権運動の中心にいたため、実は彼らと庶民の間の距離はかなりあった。もちろん、政府との距離はもっとあった。いわば三竦みの状態だ。その間を、左七郎のような人間が取り持っていたのだろう。

 一方、官軍に属していた豪農たちは、逆に自由民権運動を嫌っていたらしい。なぜなら彼らは、政府中枢との太いパイプを持っていたからだ。彼らは、動乱時の貢献を前面に押し出して、その褒美として、維新後の村落運営に便宜を図ってもらえるように陳情していく。このようなやり方が可能なことが、賊軍に属していた豪農とは違うわけだ。
 正しいルートで県から国へ陳情しても大概は却下される。だから裏ルートから権力者へのパイプを維持して陳情を通してもらえるようにする。これはまさに、現在にも脈々と続く方法ではないだろうか?

 実は、この頃の彼らのやり方が、現在の政治の雛形になっているとしたら、なかなか面白いとは思う。

 ひとつ本書に苦言を呈するならば、例えば左七郎の提案が県にどの様に扱われたのか、結果までも記してもらえれば、彼らの考え方が一般的であったか否かの検証が出来て、より良かったとは思う。

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