小林久作品の書評/レビュー

「水」の力、「土」の力 足もとからの日本の国力再生と自立論(共著:鈴木誠)

持続可能な社会を目指した足元からの取り組み
評価:☆☆☆☆★
 1章〜3章は、日本における利水の歴史や、今後の地域エネルギーの中核になるかも知れない小規模水力発電を説明し、海外における水利用の事例などを紹介している。4章では、農業事業を行っている企業の社長による、現在の日本農業を取り巻く現状とあるべき姿についての見解が述べられている。どちらにも共通するキーワードは、持続可能性、サステイナビリティだ。
 そして5章では、著者二人の対談が繰り広げられる。内容的には下調べが不十分で若干薄い気がするけれど。

 読前は、最近話題のバーチャル・ウォーターや水戦争みたいなことがメインテーマと思い込んでいたのだが、実際は枯渇性エネルギーから再生可能エネルギーへの転換がメインテーマで、特に、発電量が千キロワット時以下の小規模な水力発電の有効活用に関する提案がなされている。
 水力発電は水のポテンシャルエネルギーを電力に変換するシステムであり、そのポテンシャルエネルギーは雨が山の上に降るから得られ、雨は太陽が水を蒸発させるから降る。風を起こすのは気圧差や対流であり、その起源はやはり太陽なので、再生可能エネルギーというのは基本的に太陽エネルギーだという見方は意識になかったので面白かった。

 ここで取り上げられる小規模水力発電は、石油などの枯渇性エネルギーを完全代替できる程の規模があるわけではない。実際、東京の荒川や江戸川に水車を並べれば、枯渇性エネルギー問題が解決するというものではないだろう。
 著者が提案するのも、主には地方の農山村部における自活のためのエネルギー源としての利用だ。昔の農山村は食料や薪などの燃料等、資源の供給源だったが、今では石油を使ってハウス栽培や畜産を行い、逆に消費地となってしまっている。だから、それを変えようということらしい。

 4章では、日本の産業構造のアンバランスさや、農業金融の不備などの問題を指摘している。農業実務家が語るということで、もっと実績について語られるかと思っていたので、その点では期待はずれではあったが、農業金融の話やリスク分散の話は興味深かった。

 どちらにも共通して感じたことではあるが、これらの問題を解決するためには、日本全体としてどこを目指すのか、という着地点を定めることが不可欠だと思う。
 例えば、石油の代替エネルギーを考える場合には、全てを同じエネルギーで代替することは困難だろう。地域特性やエネルギー消費量、時間帯などを考慮して選択する必要があるのだろう。この場合、中央省庁がお仕着せで何かを決めるやり方でもダメだし、地方に丸投げしても決めきれないこともあるだろう。大まかなヴィジョンと選択肢の提供は国が行い、その決定は地方が行うなどの役割分担が必要になるかも知れない。

 産業構造についてもそうだ。自給率を上げようとすれば労働力を農業に奪われ、必然的に工業労働力は低下する。これまでの日本の繁栄が工業力に牽引されてきたことは事実であり、工業力が下がれば、日本というお財布の収入は減るだろう。この時に、多少収入を減らしても家庭菜園(=自給率上昇)でカバーするから大丈夫というような判断は、国としての方針でしか決められない。
 もし、国内だけではなく、国外まで含めて考えればどうだろう。自給率100パーセント以上の国は、農作物を国外へ輸出することで生計を立てていることも多い。その利益で工業製品を輸入したりもするだろう。いわゆる比較優位という考え方だ。
 このとき、日本の自給率を上げるために外国からの農作物の輸入を減らせば、その国の収入は減るだろう。そうすれば高い工業製品を購入することができず、日本の利益は減り他の安い工業製品を売る国のシェアが増すかもしれない。しかし、日本の食の安全保障を考慮すれば、こういった不利益は許容範囲内であるという判断を下すのも、国としての方針だろう。

 こういった検討は各要素が複雑に入り組んでいて、要素単独で判断を下すことはできない。将来を見据えての総合的な判断が必要だ。一時的には不利益を被ることがあっても、あえて断行するという決断も必要になるかもしれない。
 それなのに、目立つ要素だけを取り上げてアピールするような政策、選挙対策的な政策がもてはやされることもある。これは議会制民主主義の負の面の一つでもあるから、仕方のないことでもある。しかし、仕方がないであきらめてしまっては、そこで試合終了だ。
 ではどうすれば良いのか。有権者の皆さま、そして将来は有権者となる皆さまならお分かりのはずだ。

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