朝永振一郎作品の書評/レビュー

物理学とは何だろうか (下)

一応の解決と永遠の謎
評価:☆☆☆☆☆
 化学実験の発展により、化合物の生成比が整数であることから、物質の構成要素が存在するのではないかと考えられるようになる。そして、気体の研究から分子の存在が明らかになってくる。この分子が、熱の起源として注目され始めるのである。
 気体の分子運動論では、熱は分子の運動エネルギーであり、圧力は分子が壁に衝突する際の力であると考えられる。つまり、熱学における現象は、初めの条件を与えれば、分子の運動方程式を解くことにより明らかにできることになる。しかし、ここで問題になるのが分子の数である。空っぽの牛乳パックの中に入っている空気でさえ、0が20個以上並ぶような膨大な数の分子を含んでいるわけで、分子1個1個の運動方程式を解くなどということは、一生かかっても出来るわけがないのである。

 ここで、新たな着想を物理に導入したのがボルツマンである。そもそも、熱の問題を解くのに分子1個1個を個別に考える必要はないのである。なぜなら、温度計にしろ、圧力計にしろ、分子Aがぶつかったから圧力を受けた、などと感じるわけではなく、ともかく何かがいっぱいぶつかったから圧力を受けるわけである。そこでボルツマンは、空間を見えない小さな箱に分けて考えることにした。同様に、分子の速度もある間隔ずつのグループに分けた。例えば、秒速280~290m/sのグループや、秒速290~300m/sのグループという具合である。
 分子は自由に動き回るので、その箱から自由に出入りする。しかし、実験的に同じ温度では気体は同じエネルギー持っているので、この保存則も満たさなければならない。そこで、ある小さな箱の中にいる分子は、入れ替わったりはするけれども、速度のグループの割合としては変わらないという仮定をしたのである。例えるならば、あるアパートの201号室には60代の田中さんと40代の鈴木さんが住んでいたのだが、いつの間にか入れ替わって、60代の加藤さんと40代の佐藤さんが住むようになったという感じである。住む人は変わったが、201号室は60代1人と40代1人という構成は変わっていない。このような仮定を置くことによって、ある温度において分子がどのくらいの速度でどこにいるかという分布を考えれば、真面目に運動方程式を解かなくとも、物事を説明することができるようになったのである。

 しかし、このようなある種突飛な考えが簡単に受け入れられるわけもなく、おそらくもともと神経質だったボルツマンは、マックスウェルなど援護射撃をしてくれる物理学者もいたのだけれど、マッハなどにボロクソに言われ、鬱になり、自殺してしまうのである。それはさておき、物理学は、自然現象を説明する法則を見出すという方法に加えて、仮定を置き、それを確かめる実験を行うことにより証明するという方法を得たことになる。

 本書は、著者の他界により、ここで未完のままに終わっている。しかし、おそらくはこの後に続くはずだった議論を予期させるものとして、「科学と文明」という講演の議事録が掲載されている。
 物理学の扱う対象は自然現象であり、それ自体に善悪の区別はないが、物理学を扱う者は人間である。前述したボルツマンとマッハの関係ではないが、最終的には正しい主張をする者も、中途では無理解や中傷、攻撃を受けることもある。ナチスが核を持つのでは、という恐怖は、現実に原子爆弾を生み出してしまう。著者がこれらの事実を受け止め、どのように考えていたのかを知る方法は、もはや永遠にないのである。

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物理学とは何だろうか (上)

高校数学の知識で物理学の成り立ちを知る
評価:☆☆☆☆☆
 文明が発生して以来、すなわち日々の食料の確保に奔走せずとも生きていけるような社会が確立して以来、世界の成り立ちを知りたいという欲求は、知識人たちを思索に向かわせ、古代ギリシャでアリストテレス哲学に結実し、以後、占星術や錬金術を発展させてきた。しかし、占星術や錬金術は、物理学や化学の前身であることは確かだが、近代の物理学や化学とは別物であることもまた事実である。では、一体何があり何がなければ物理学であり化学というのか。中世の研究者たちの思考の後を辿ることにより、これを定義しようというのが本書である。

 上巻では、まずは力学の成り立ちについて語っている。現代でもそうかもしれないが、中世の人々は占星術により運命を知ろうとした。占星術は天体の運行から運命を読み取る技術であるため、天体の動きを知ることが非常に重要であり、天体観測が発展した。この時代に登場するのがケプラーである。ケプラーも占星術師であったが、なぜ天体の運行が人の運命と結びつくのかということに疑問を持ったらしい。そこで、天体の運行の仕組みを明らかにすることにより、この関係性が分かるのではないかと考えた。
 ケプラーは、師匠のブラーエが生涯を掛けて集めた正確な天体記録を継承し、未だ確立していない幾何学を駆使し、苦心の末、火星の軌道が長円であることを突き止めた。こうしてケプラーは、思索による哲学ではなく、実際の記録に基づく計算により、天体の運行が単純な幾何学により表されることを明らかにしたのである。
 同時代に生きていたガリレオは、単なる観察に基づく計算だけでなく、自らの考えを証明するための装置を作成し実際に試すという作業、すなわち実験により、証明するという方法を編み出した。そして実験により、地上における物体がどのような運動をするのかを明らかにしたのである。
 しかし、彼らの考えがそのまま受け入れられたわけではない。中世にはカトリック教会という大きな壁が存在していた。教会は聖書の記述を疑わせるような考えを否定し、弾圧したのである。
 ケプラーやガリレオが世を去ったあとに登場するのがニュートンである。ニュートンは、完成した幾何学を駆使し、いくつかの法則を前提とすれば、ケプラーが発見した天上世界の運動とガリレオが発見した地上世界の運動を導き出すことができることを明らかにした。これにより、力学の世界を説明するための言葉を人類が手にしたことになる。

 これまでは哲学的な側面から発展した物理学を見たが、物理学には技術的な側面からの発展もある。ワットによる蒸気機関の発明は、人類に産業革命を起こすと同時に、蒸気機関を改良する試みの中で、なぜ熱からエネルギーを取り出せるのかという疑問を生み、熱学の発展を促すことになるのである。

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