伊藤計劃作品の書評/レビュー

ハーモニー

みんなが平和に暮らせる世界
評価:☆☆☆☆☆
 21世紀後半に起きた大災禍は人類に滅亡を感じさせた。旧来の政府が弱体化した代わりに、人々は生府という共同体を作り、個人の情報をすべてオープンにして危険を事前に回避し、また、個人の身体を共同体の資産として管理することが常識的となった。
 だから、自らの体を傷つけるような行為は常識的ではない。人々はWatchMeという恒常的健康管理システムを導入し、異常には瞬時に対応することにより、人類から病気や苦痛という単語はほぼ駆逐された。その代償として、酒やたばこ、カフェインなどの嗜好品も健康に悪影響を与えるものとして遠ざけられているのだが…。

 そんな世界において、霧慧トァンは友人の御冷ミァハの誘いに乗り、一緒に自殺をしようとする。自分の身体を自分のものとして扱えない世界に対して、決意表明をするためだ。しかし、トァンの自殺は失敗し、生き残ってしまう。
 それから十数年後、螺旋監察官という世界の生命権を保護する立場に就いたトァンだったが、少女時代の影響はこっそり残り、どこか世界の在り方に対して息苦しさを感じていた。そんなとき、世界中に点在する数千人もの人々が、何の前触れもなく、一斉に自殺するという事件が起こる。その事件の影には、死んだはずの御冷ミァハの影が見え隠れしていた。

 この本の結末にもたらされる世界を、ユートピアと呼ぶのか無と呼ぶのか、あるいは地獄と呼ぶのかは読者により異なるだろう。何故マークアップ言語風の記述になっているかも、その時に分かる。
 世界の最も効率の良い管理方法は、人々の間に差異を認めないこと、そしてそれを人々が受けられている状態なのだろう。しかし実際には、個人個人で価値観は異なるし、文化圏でもそれは異なるので、世界中の対立の根源としてなくなることはない。
 作中世界は、一度滅びを目前に見た人類の世界だ。だから、人々の争いの根源に対する恐怖感は、現代に生きる人々より現実感がある。ゆえにそれをなくそうなどという冒涜的な試みが現実に計画・実行されてしまうわけだ。

 みんなが平和に暮らせる世界をユートピアと呼ぶならば、この物語が導く世界はまさにそれであろう。しかし、人間が暮らすという意味は何かと考えてみれば、その答えによっては、作中世界はユートピアとまったく正反対の世界に見えるに違いない。

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メタルギアソリッド ガンズオブザパトリオット

戦争経済が成立した世界
評価:☆☆☆☆★
 同名ゲームのノベライズであり、単体で読めるSF小説となるように書かれている。このため、世界観や背景の説明も加えられており、ゲームをやったことのない読者(ボクの様な)に親切な設計になっていて、おおよその事情は理解できるのだけれど、やはり色々な出来事を積み上げてきてここに至っているので、これ1冊で背景を完全に理解できるかというと、それは難しいと思う。なので、ボクはこれを単体の小説として読む。
 主人公はソリッド・スネークというコードネームを持つ、現在は軍に所属していないスニーキングのスペシャリストだ。過去、数々の世界平和を揺るがす事件を解決してきた彼は、ビックボスと呼ばれる、これまた英雄のクローンとして生み出され、今まさに、急激な老化と間もなく訪れる死に直面していた。しかし世界は彼を休ませてはくれない。因縁のある敵であり、同じくクローンとして生み出された兄弟であるリキッド・スネークの陰謀を打ち砕くため、戦場に赴く。

 物語中で盛んに語られるのが「戦争経済」という言葉だ。戦場に立つ兵士たちはナノマシンを注入され、その行動は全て管理される。火器は完全に管制され、自由に撃つこともできない。この仕組みがもたらすのは、戦争の完璧なコントロールだ。
 なぜ戦争を完璧にコントロールしようとするのか。モノが消費されなければ経済は発展しない。そして、究極の消費を生み出すのは大規模な破壊だ。しかし、その破壊が自分たちの社会を壊しては元も子もなくなってしまう。自分たちから遠く離れた場所で、自分たちが得をするように破壊が起きることが理想的だ。完璧な戦争のコントロールには、これを実現する力がある。儲かるモノが永遠に儲け続けることが可能な仕組みを作り上げることが出来るのだ。その代償として、永遠に傷つく者たちも存在することを許容するならば、だが。
 ちなみにこの対極にあるのがテロリズムだろう。いつどこで破壊が起きるか分からず、コントロールできない。その戦火は兵器を提供している側にも及ぶことがある。だからこそ、抵抗の手段として選択する者が後を絶たないのだろう。まあこれも、それだけとは限らないのが難しいところだが。

 ソリッドは自ら死期が迫っているのに、なぜ世界のために戦うのだろう。人は自分が死んだ後にも、何かを残したいと思うものなのかもしれない。しかし彼は子供を残すことが出来ないように作られているので、子供に何かを伝えるという形で実現することは難しい。だから彼は、スネークという虚構が生み出す全ての悪影響を完全に消し去ることで、逆に世界に何かを残そうとしたのではないだろうか。そしてその行動は、関わった者たちすべての中に何かを残して、消えていく。

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虐殺器官

平和の礎となるものを直視せよ
評価:☆☆☆☆☆
 9・11後の先進国では、テロへの抑止・防止のために、全ての人・物にトレーサビリティが要求されるようになった。カウンターテロのための暗殺という禁じ手は秘密裏に解禁され、世界の平和を守るという名目で行使される。アメリカ情報軍大尉クラヴィス・シェパードは、途上国で自国民を虐殺する大臣の暗殺命令を受け、現地へ向かう。だが、同時暗殺対象であるアメリカ人ジョン・ポールは既に去った後だった。
 訪れる国々で必ず虐殺が起きるという経歴を持つジョン・ポール。幾度もの暗殺命令にも拘らず、彼がターゲットスコープに入ることはない。かすかな痕跡を辿り、クラヴィスはプラハを訪れる。そこから明らかにされる、人類に組み込まれた虐殺器官の正体とは?

 クラヴィスは文学的素養にあふれた軍人で、会話の教養レベルが高い。物語の骨格に関連するためもあるが、特に、プラハで出会うジョンの昔の女で言語学者のルツィア・シュクロウプとの会話は面白い。
 作品中では多くの種類の死が描かれているが、病死の様な意図せざる死は基本的にない。全ての死は、誰かが何かの目的を持って引き起こした結果に伴って生じる死だ。この様に死の描写が多いのだけれど、しかし、本当の物語の核のひとつは、"わたし"という主体に括られる範囲の、人による違いではないかと思う。
 自分たちに何らかの危害が加えられるかもしれない事象があるとする。そのときに、どこまでを保護しようと思うか。自分だけという人もいれば、家族までという人もいる。友人や知人までという人もいれば、たまたま近くにいる人、見ず知らずの人も全てという人もいるかもしれない。そのときに守ろうと思う範囲、そしてそれ以外はどうなっても良いと(無意識に)思う範囲が、ここでいう"わたし"という主体に括られるそれだ。

 クラヴィス、同僚のウィリアム、アメリカ軍上層部、ジョン、ルツィアと、それぞれ守ろうと思う範囲が全く異なる。そこにあるのは、範囲内における寛容である。だから、野生のクジラやイルカは保護の対象なのに、類似する人工育成のそれらは利用の対象にしかならない。自分の子供は世の中のきたないものに触れないようにしようとするけれど、銃を持って立ち向かってくる他国の子供たちは容赦なく撃ち殺す。
 この範囲の他者と重なる部分に平和が生まれ、境界線上に争いが生まれる。

 本書中に散りばめられた様々な専門用語は、ややもすると生きた言葉ではない、単なる知識としての言葉になってしまいがちだが、その辺はギリギリで回避されている気がする。
 また、他作品のパロディなども散りばめられていて、特に物語に入り込むまでの閾値を下げる役割を果たしてくれている気がする。

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