小島毅作品の書評/レビュー

父が子に語る近現代史

近代と現代の類似点を感じる
評価:☆☆☆☆☆
 日本の近代はいつから始まったのか?東アジアへの侵略を行った責任は誰にあるのか?という問いに基づき、父が娘に語るという体裁で、1トピックにつき5〜6ページで書かれている。この分量から分かるように、それぞれに詳細が語られるわけではない。だから、日本の近代史を詳しく知る役には立たないかもしれないが、大まかな流れは知ることができる。

 1つめの問いに対し、著者は寛政の改革からと答える。一般的にはペリー来航からという解釈がなされると思うのだが、明治維新が比較的すんなりと進んだ背景には、寛政の改革で実施された教育政策があると説くのだ。
 忠義という概念を定着させることにより、表面的には諸侯や直参が将軍に対して仕える構造を強固にした一方で、将軍ですら天皇に仕える構造を持っているのだということを衆目に明らかにしたという。それにより、大政奉還という制度の素地を意識にしみこませていったらしい。

 2つ目の問いに対しては、途中まで著者の意図を誤解していた。明治維新の元勲たちや高等遊民のような知的エリートたちが主導する歴史という視点で語ろうとしているかのように感じ、違和感を覚えていたのだが、結論はその逆だった。
 柳田國男の"常民"という概念を利用し、普通に生きる人々が作り出す流れを読み取って、彼らの民意を反映してエリートたちが政権運営をしていったことを、吉野朝を正統とする政府見解などが決定されていく様を事例に挙げながら説いていく。

 歴史というものは自分たちだけで紡ぐものではなく、自分たち以外の国との関係を考慮する上で初めて意味があるものになる。その際には、見たくない事実でも直視しなければならない。そして、歴史は普通の人々が積み上げていくものなので、誰かに責任を押し付けることはできない。
 まさにこれは、著者が娘に伝えたいことなのだろう。そして、いまの国会運営や国民へのアピールの仕方を見るにつけ、類似点を感じずにはいられないことでもある。

   bk1
   
   amazon
   

父が子に語る日本史

日本史における東アジアの影響
評価:☆☆☆☆★
 頼山陽「日本外史」を近代以降の歴史認識の典型例として、そこに至るまでに天皇が日本の歴史にどのような影響を与えてきたのかという問いを設定し、その回答を形成するであろう歴史の断片をつづっている。
 古事記、日本書紀にある神話の時代から室町時代後期くらいまでが対象となっており、特に平安初期から鎌倉時代くらいのエピソードが多い気がする。中学を卒業する娘に語る、という形式を取っているためか、口語調の記述になっている。

 著者が中国思想史の専門家であるためもあるとは思うが、日本の歴史にいかに中国・朝鮮が影響を与えてきたのかという点と、現在の歴史教育で行われているという日本国内に閉じた日本史認識がどれだけ狭い考え方かを主に説いていると思う。
 娘に語るという形式のためもあろうが、安易に結論を与えることなく、考える材料を与えるような書き方をしているのが特徴だろう。ただこれには、あまりにもナイーブなテーマであるため、著者の仮説を書きにくいという理由もあるのかもしれない。

 頼山陽流の仁義道徳史観の背景にあるもの、神話の背景にある歴史観が持つ日本優位の願望、日本の文化的発展に及ぼした中国・挑戦の影響をそれぞれ語り、それらが武家社会を経ることでどの様に絡み合い近代に至るかをひも解く。日本史の授業では語られない、当時の人々が信じていた世界観を知らせる。
 そんな試みとしては大変意義のあるものだと感じたが、著者がどの様な仮説を持っているのかも明らかにしていただいても良かったと思う。特に、ボクが読み落としただけなのかも知れないが、なぜ白雉改元について知っておいた方が良いのか、その理由については書いておいて欲しかった。
(読後にちょろっと調べた範囲での推測はあるのだけれど。)

   bk1
   
   amazon
   
ホーム
inserted by FC2 system