塩野七生作品の書評/レビュー

ローマ人の物語 (30) 終わりの始まり (中)

映画「グラディエーター」の新しい見方
評価:☆☆☆☆☆
 ギボンらに帝国衰亡の元凶とされたコモドゥスは本当に元凶なのか、帝国の衰亡はこの時点で始まったのか。塩野史観を見ることが出来る。また、映画「グラディエーター」の解説を行っている部分を読めば、これまでとは違った視点で映画を見ることができると思います。

   bk1
   
   amazon
   

ローマ人の物語 (14) パクス・ロマーナ (上)

全く違うタイプの才能に引き継がれたローマ
評価:☆☆☆☆★
 カエサルの政治構想力に基づき広大な欧州の地にばら撒かれたパーツを、ローマ帝国として組み上げる仕事を残されたオクタヴィアヌス。同じ帝政を目指しながら、なぜカエサルは暗殺され、オクタヴィアヌスは皇帝となれたのか。この疑問はかなり興味深い。
 カエサルは、同時代に生きた政治家と比較して、明らかに飛びぬけた能力を持っていた。軍隊を率いさせればガリアを平定し、弁舌は兵士を魅了し元老院議員を沈黙させる。その政治的センスが際立っていたことは、反抗的だったガリアを属州の優等生と呼ばれるまでにした統治政策からも明らかだと思う。だが、後世から見れば明らかな事実も、同じ時代を生きている人間から見ればそうとは限らない。まして元老院議員から見ればカエサルは同輩でしかないのだから、一人カエサルが人気絶頂にあれば嫉妬の炎を燃やしもするだろう。しかし、おそらく彼はこの嫉妬が理解できなかったのだと思う。だから、統治すべき民衆に対しては細心の心配りができたのに、同輩の自尊心を満足させる策を打たなかった。カエサルは生まれながらの支配者だったがゆえに暗殺されたのではないか。
 一方、オクタヴィアヌスは元老院議員を嫉妬させることが無かったのだと思う。何しろ彼は、軍隊を指揮すれば必ず負け、演説をすればやり込められるような存在だったのだから。ただ、オクタヴィアヌスは自分が天才ではないことを知っていた。きらめくような人をひきつける魅力は無かったかもしれないが、人を利用することは知っていた。だから、元老院を自分の支配構造の中に取り込み、飼いならしていったのだと思う。権威と権力に酔う人間には夢を見させておけばよい。オクタヴィアヌスは元老院に共和制の夢を見させ続けることに成功した。
 このように考えると、現代日本で強力なリーダーが生まれづらい理由が分かるような気がする。カエサルとオクタヴィアヌスのように、政治的な意味で”幸せな結婚”が生まれる環境が作れれば良いのだが…

   bk1
   
   amazon
   

ローマ人の物語 (13) ユリウス・カエサル ルビコン以後 (下)

身の丈に合わない理想
評価:☆☆☆☆☆
 この作品では、アントニウスとクレオパトラがダメな人間として描かれている。アントニウスは、軍団長としては有能だが政治センスがない人間として、クレオパトラは、教養はあるが統治者として現実的に行動できない人間として。これは、知らないなりに抱いていたイメージを崩壊させるのに十分だった。
 自分で自分を冷静に見ることは難しい。アントニウスも、カエサルの下でとはいえ、十分な軍事的実績を積んだ人間。クレオパトラにしても、自分の美貌で国を取ったという自負がある。カエサル亡き後、ローマ世界を支配できると思ったとしても無理はないだろう。
 しかし、現実は残酷だ。オクタヴィアヌスと対比されることで、政治的センスのなさを目の前に突きつけられてしまうのだ。

   bk1
   
   amazon
   

ローマ人の物語 (12) ユリウス・カエサル ルビコン以後 (中)

ヨーロッパをを創る人
評価:☆☆☆☆☆
 天才の行動は当代の人には理解できないのが特徴である。しかし、後世の人から見れば、その行動の正しさが明白であることも特徴だ。その意味で言えば、カエサルは天才だったと言える。
 ローマ人がイタリア半島周辺に留まっていた時期には有効に機能していた共和制も、支配地域が拡大してしまうと機能不全に陥ってしまう。なぜなら、ローマで開催される市民集会に参加できない市民が増えすぎ、多数の声が反映されなくなった結果、地方に火種が燻る状態となってしまったからだ。この火種を消そうと軍を差し向けても、その指揮官以下中核は1年交代の任期制。敵地で戦争をしなければならないのに、戦争の才を持たない指揮官が任命されるかもしれないのだ。
 カエサルは、ローマ共和制の欠点を明確に認識していた。そして、どういう支配制度を敷けば、広がったローマ世界を平和のうちに治めることが出来るかを考えて行動していた。この制度が有効であることは、カエサルの後継者オクタヴィアヌスの手により生まれ変わったローマ帝国が存続した事からも明らかだろう。しかし、カエサルにとっては自明なローマの欠陥も、当時の元老院議員には理解できなかった。彼らにとって、カエサルの行動は王を目指すための利己的な行動にしか見えなかったのだ。

 現代の政治家は理想を持って政治を行っているのか。こういう話を読むと疑問を感じてしまう。確かに、自分なりの理想を持って政策を立てている人もいるかもしれない。でも、その政策とは、例えれば、いまある道を右に曲がるか左に曲がるかを決めるという程度のものではないのか。新しい道を切り開くように、滑走路を敷設して空を飛ぶというように、抜本的に何かを変えるということまで考えて政治をしている人はいないように思う。
 現代の政治制度は、ローマ共和制が抱えたような問題を孕んでいる気がする。これを劇的な変化によって乗り越えるのか、緩慢な衰退を迎えるのか、静かに選択の時は迫っている。

   bk1
   
   amazon
   

ローマ人の物語 (6) 勝者の混迷(上)

重なる問題
評価:☆☆☆☆☆
 地中海の制海権を確保した共和制ローマ。急速に勢力圏が広がるにつれて、逆に国内に問題を抱え込むことになった。そのひとつが富の格差問題である。ローマ人は農耕民族であるため、多くのローマ人は農業を行っている。この小規模農業が立ち行かなくなり、低所得層に落ちる市民が発生してしまったのである。この原因は大きく2つ挙げられる。
 一つは領土が拡大したことにより、安価な農作物が輸入されるようになったこと。もう一つは領土拡大に伴い獲得した奴隷により、大規模農業が行われたことである。この貧富の格差拡大は、ローマの戦力低下を招いてしまった。兵役はローマ市民の義務であるため、従軍中の賃金は支払われない。このため、従軍中に残された家族が生活できるだけの資産を持たない市民は、兵役の義務を免除されるのである。
 勢力を拡大するほどに混迷の度合いを増していく姿は、いまの日本に重なる部分もあるかもしれない。

   bk1
   
   amazon
   

ローマ人の物語 (4) ハンニバル戦記 (中)

英雄同士の決戦
評価:☆☆☆☆☆
 戦争とは外交の一手段。そんなことを言ったのはどこの誰だったか。しかし、この戦争に限って言えば、そうではなかったかもしれない。第二次ポエニ戦役は、天才ハンニバルの私怨により引き起こされた戦争だった気がする。
 幼少の折、第一次ポエニ戦役でのローマに対する父の無念を晴らすよう神に宣誓したハンニバルは、28歳の時、双方の本国から離れたスペインでローマの同盟都市を攻略し、無理矢理カルタゴとローマの全面戦争に持ち込む。その後、アルプスを超えイタリア半島に侵攻し、次々とローマ軍を撃破し、蹂躙する。
 国家が一人の天才の前になすすべも無く敗れるかという時期にローマに登場するのが、スキピオだ。ハンニバルより12も若いスキピオは、敵将を戦術の師とし、カルタゴ本国を攻略することによって、ついにハンニバルをイタリア半島から追い出すことに成功するのだ。
 一人の天才によって戦争の形式が劇的に変わる様と、共和制ローマのシステムが最も有効に機能していた時代を知ることができる一冊。

   bk1
   
   amazon
   
ホーム
inserted by FC2 system