ヴァン・ヴォークト作品の書評/レビュー

非Aの世界(訳:中村保男)

理解が追いつかないうちに状況は変化する
評価:☆☆☆☆★
 ギルバート・ゴッセンは、ある試験を受けるために、ゲーム機械が設置された都市を訪れる。地球においては、この試験にパスした者だけが要職につくことができ、非Aの思考法を得た者だけが住む金星へと行くことが出来るのだ。
 しかしその第一歩でゴッセンは、自分が持っている記憶が実際の世界とはまるで異なっている事に気づく。そんな彼に、テレサ・クラークを名乗る女性が近づいてくる。それが、銀河系を舞台とする陰謀劇に巻き込まれる第一歩となるのだった。

 冒頭の登場人物紹介を見ても何のことだかよく分からないし、相当に読み進めてもはっきり分からないところがある。そもそも、ゴッセンが認識している世界の外側に遥かに大きな世界が広がっており、それについては全く説明されないことが特徴的だ。
 この本を理解するためには、発表されたのが1945年であること、そしてその少し前にアルフレッド・コージブスキーにより提唱された一般意味論について知っておく必要がある気がする。全くの素人ではあるが、少し調べたことをまとめておきたい。

 一般意味論とは、世界の捉え方のひとつということが出来る気がする。コージブスキーの見解では、それまでは世界をアリストテレス的・ニュートン的・ユークリッド的に捉えていた。つまり、物事を白か黒かの二元的に捉え、時間と空間を全く別のものとして考え、平面の幾何のみで理解していた。しかし、実際の世界には灰色もあるし、現象は相対的で、曲面上の幾何も考慮する必要がある。この様に、言葉による枠にはめることをせずに、あるものをあるがままに感じる方法を、非A的な思考法というらしい。
 人間は自分の外側の世界を内面に取り込んで理解し、それを言葉で表現する。その抽象化の過程では、現実の世界の何がしかを取りこぼしたり、歪めて理解したりする恐れがある。ゆえに、自分が認識している世界は、現実の世界とは異なっているかも知れない。そこで、非A的な人間は、感覚を司る視床と、意識を司る皮質を統合し、あるがままの世界を認識できるように訓練をする。

 この様な前提を把握した上でゴッセンの行動や置かれた状況を見直してみると、色々と納得できることがある。なぜゴッセンは過去の記憶がない状況で登場するのか?どうしてゴッセンは金星と地球を行ったり来たりするのか?仮説や推論に基づく現状分析が行われないのか?そんな疑問に対してだ。
 一方で、65年以上も前の著作であり、現在では古くなった考え方や、常識となってしまい目新しさがなくなった考え方もあるかも知れない。また、原爆投下の直後の発表であることと、作中で原子魚雷なる兵器が登場していることの相関を考えても面白いかも知れない。

 コージブスキーは、人間には情報や知識、経験を時間を超えて指数関数的に伝達させる固有の能力があると考えていた。そして非A的な人間はこの能力を遺憾なく発揮し、全ての人が全体のことを考えて行動し、平和な世界を作ることが出来ると思っていた。だからこそ、この作品の中でも非Aな人間は強力に活躍するし、銀河系帝国の人間は戦争を繰り返す。
 非A的な考え方によれば、全ては流動的で時間が経てば変化する。よって、この考え方が現在も生きているかは分からない。しかし、当時の状況を考えた時に、作者が何を表現したかったのかを考えてみるのも良いだろう。

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