小路幸也作品の書評/レビュー

僕たちの旅の話をしよう

いまできることとできないこと
評価:☆☆☆☆★
 一言で感想を述べるならば、正統派ジュブナイル小説になる。山奥に住む小学生の女の子が風船に手紙をつけて飛ばす。それは東京まで飛んで、3人の小学生がその手紙を手にする。そこから4人の文通が始まる。初めは手紙を飛ばした藤倉舞のミステリアスさに3人が興味を持ち、みんなで夏休みに遊びに行こうということになるのだけれど、実は3人が3人とも自分の家庭に様々な事情があって、実現までにちょっとした冒険が巻き起こる。
 実はこの3人は、それぞれ、人より秀でた五感を一つずつ持っているのだけれど、それを使って、悪い大人をバッタバッタとなぎ倒す、というようなファンタジー方面に話は向かわないところが特徴的なのだ。その力は、普通より簡単に他人を信用できたり、普通だったら確認できない事実を確認できだり、普通の人でもできることを少しだけ手っ取り早く行う、という程度にしか使われない。つまり、おおよそにして、どこにでもいるような小学生の行動力の範囲で物語が進行していくのだ。

 文通が物語のベースにあるので、構成も手紙のやり取りが繰り返される形で進む。手紙の特性として、意思疎通する一方のある時間断面での出来事しか記されず、やり取りにはタイムラグが発生するということがある。この特性を反映するかの様に、たまにストーリー展開が飛ぶ。しかも飛び方が意図的で、決定的何かがあった局面があえて描かれなかったりするのだ。
 ボクはこのストーリーの跳躍を、小学生の実力の限界というように解釈する。この作品で描かれている子どもたちの世界は、とてもさわやかですがすがしく、その行動の率直さには濁りがない。しかし、彼らの置かれている世界は、親や周囲の大人たちの様々な事情があり、全く明快ではない。でも、この大人の世界に対して、子どもが干渉できることは限られている。だから、彼らの下に訪れた結末は、彼らの努力だけではなく、見えるところや見えないところで大人たちが尽力した結果でもあるだろう。この見えない部分が、ストーリー展開の跳躍の理由だと考えたい。
 子どもが大人に勝る部分が確実に一つはあって、それは未来の可能性を持っているということだ。今は自分だけではどうにもできないことがあっても、いつかは出来るときが来る。世の中は単純なことばかりではないけれど、子どもの頃くらい、世の中を純粋に感じられるときがあっても良いと思うのだ。

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