永田ガラ作品の書評/レビュー

星の眠る湖へ ―愛を探しに―

許しが得られるまで
評価:☆☆☆★★
 大きな湖のある地方の旧侯爵の息子として生まれた壮と、居候という体で一緒に暮らしている廉は、ある夏に羽衣子という少女と出会う。彼女は壮の許嫁となる予定だった。
 そして高校を卒業する時がやって来て、三人はバラバラの進路を選択する。壮は侯爵家の跡取りとして家に縛られ、廉はその束縛から離れて美術の道へ進み、羽衣子は二年間の予定で欧州へ留学する。それから十年が過ぎ、壮と羽衣子は結婚をし、子供が生まれ、二十年が過ぎた。そして、偶然、湖畔のホテルで壮と廉は再会する。それは、孤独への始まりだった。

 幼い時に親しかった三人が、ほんの少しのボタンの掛け違いで離ればなれになり、永い間、孤独に自分を責めるように人生を生きる。それに対する許しが得られるまでの物語だ。

五感を研ぎ澄ませて

切り取りきれない群像劇
評価:☆☆☆☆★
 美大の院生の田村浩介、チェロ教室に通う林一花、兄に扶養されている留学生の折原檀、外資系企業で働く折原恭一、フランスでウェイターをしていたジャン、どんな料理もコピーできるクロードなどという人物が登場する群像劇だ。基本的にはそれぞれの男女関係の在り方を描きつつ、出会いと別れが連なっていく様を示している。

 個人的に群像劇はあまり好きにはなれない。小説は人の生き様を切り取るものだが、群像劇は人間関係の都合の良い部分だけを切り取っている気がするからだろう。何となく、それが役に立つ、役に立たないという視点で関係を継ぎ接ぎしている感が気に入らないのだと思う。
 群像劇には主人公がいないとも言う。しかし、多くの場合、主軸となる人物はおり、その人物の行く末に到着することで物語は幕を下ろす。その意味で本作には、二人ないし四人の主人公がいる気がする。だがその主人公たちは最後まで登場することはなく、途中で主人公のバトンを渡して切り替わっていく。最後の主人公に至っては、エピローグのところにしか登場しない。

 そんなわけで、個人的には無駄に長い様に感じられる物語だった。もう少し上手い切り取り方があったであろうと思う。
 ただ、シャープひとつで歴史を否定するというような解釈が出来る「古風な舞曲」の話は面白かった。こういう部分に注目して展開するのは良い気がする。

秀吉の交渉人 キリシタン大名小西行長

何も投げ捨てない
評価:☆☆☆☆☆
 商家の次男に生まれながら、その父・小西隆佐の財力を欲した豊臣秀吉により大名へと取り立てられ、朝鮮出兵の先鋒として娘を嫁がせた対馬の宗義智と共に平壌まで進み、明との和平交渉を行った。一方で、秀吉が追放令を出した後もキリスト教への信仰を捨てず、高山右近などと違って、残された武家信者の支柱となって戦った。
 加藤清正などの武闘派からは蔑まれながらも、意外な柳腰で粘り強く物事を成し遂げる。積極的には見えないのに、最後まで何も投げ捨てない。そんなキリシタン大名・小西行長の朝鮮出兵から刑死までを描いている。

 作者の他の作品と同様に、この作品にも主人公を陰から支える女性・日向が登場する。彼女は治部少輔に囲われながらも、小西行長に惚れ、彼の苦悩の時にやって来てそれをそっと拭い去っていく。そんな彼女が惚れた男とはどんな生き様だったのかが描かれているわけだ。
 人はどうしても相対的にしか評価できない。誰と比べてどうか、というのが最も伝わりやすいのだろう。ここで対比として描かれるのは、高山右近や加藤清正、石田光成などの武将たちだ。彼らに比べれば目立たないようにも見える、しかし実は面白い。そんな事実を読んで見て欲しい。

信長の茶会

変革という流れの中で
評価:☆☆☆☆☆
 本能寺の変で討たれた主君・織田信長と討った家臣・明智十兵衛光秀は、地獄での生活を満喫していた。だがある日、冥府王からの命を受け、本能寺で焼け残ったという名物の茶器つくもがみを始末するために現世に戻る。ところが信長はどこかへ消えてしまい、十兵衛は時を遡ってつくもがみと主君を探すことになる。
 その現世側で時代を生きる絵師の狩野元秀は、兄・州信の命により堺の天王寺屋を訪れ、そこで武家の姫君なべに出会う。そしてなべには、十兵衛というどこから来たのか分からない付き人がついていた。

 戦国の世という時代の変革期にあって、織田信長や狩野州信は変革を主導した側にいる。その周囲には綺羅星のごとき才能が集まってくるわけだが、そんな才能を持つ彼らは、彼らをはるかに上回る才能を持つ人々に対してどの様な感情を抱くのか。堺という街を舞台に、時代の流れの中に立つ人々の生き様が描かれる。
 どれだけの才能を持つ人間であっても、全ての瞬間において超越した存在でいられるわけではない。刹那の間だけだとしても、普通の才人が彼らに勝つ瞬間はある。もちろんその瞬間を捉えるためには、不断の努力というものが必要になるのだろうが。

   bk1
   
   amazon
   

夫恋-FUREN-

したたかに生き抜く女性の物語
評価:☆☆☆☆☆
 同僚の女房に連れられて縁結びの参詣房を訪れた小宰相の君は、猿楽太夫と出会う。日を空けず彼女の仕える宮家へと通う猿楽太夫に対して、それを受け入れ求めつつも、どこか冷ややかにそれを見つめる自分の姿があった。自らの行く末に不安を抱く同僚たちの多い中で、それすらも突き放して考える彼女。
 そんな彼女の異母妹であり、市井にて暮らす於次は、面打ちだった父にいないものとして扱われながら、一人、面打ちとしての修行を積み重ねていた。そんなある日、彼女が作業する地蔵堂に、怪我をした男、秋春が入り込む。彼は貴族の家で雑用をして働きながら、自らが何をすべきかも分からず、盗賊の助っ人としても働いていた。
 身内には愛されないながらも、周囲の他人からは愛される於次のつながりは、巡り巡って彼女と猿楽太夫との間を結び付けていく。そうしてついに出会ったときに生じる、彼女と周囲の人々の変化がもたらすものとは何か。

 一応の平安を得ながらも、どこか不穏な気配を漂わせる時代にあって、暴力が幅を利かせながらも、猿楽という文化が花開き始めたころ。猿楽太夫という稀代の舞手の周りを彩る女性たちの姿が描かれる。
 そういった女性たちの間を渡り歩きながらも、猿楽の大成を一番に考え、自らの技を磨き上げることに弛みがない太夫。その勢いは、新たな才能を呼び起こし、時代を盛り上げていく。

 前作、前々作は、犬王と猿楽太夫という舞手のサイドから描かれた物語であったが、今回は彼らを取り巻く人々の物語。それでもどちらかというと、猿楽太夫に近い。
 たとえ煌びやかな才能はなくとも、仮に迷いや不安があっても、自ら選び取る時には選び、彼らは彼らの人生を生きていく。そんなしたたかさがある、三部作の最後を飾る作品だと思う。

   bk1
   
   amazon
   

舞王-MAIOH-

少年らしい未来への希望と爽やかさ
評価:☆☆☆☆★
 足利将軍上覧の田楽興行で桟敷崩れが起きた日、猿楽の三郎太夫と出会った孤児の犬弥は、田楽一座に預けられる。数年後、桟敷崩れで死んだ舞い手、花夜叉の生まれ変わりと評判を取る仕手となった犬弥は、ある武家に召抱えられるのだが、本家と分家の争いに巻き込まれ、憧れの武士の醜い面と、遊芸者の強さに気づかされていく。
 観阿弥を主役とした前作は様々な意味で欲を抱えた、ある意味あくの強い物語だったけれど、今回の犬王を主役とした作品は、少年らしい未来への希望と爽やかさを持っているように思う。
 室町初期の能の黎明期の物語第二弾。

   bk1
   
   amazon
   

観-KAN-

剥き出しの欲望を描く歴史小説
評価:☆☆☆☆★
 南北朝時代から室町時代へと移り変わる頃、興福寺あたりに十七歳の猿楽太夫がいた。後に観阿弥と呼ばれる少年は、足利尊氏の持つ威容に魅かれ、その将軍すらもひき付ける芸を極めようと志す。その一歩として自分だけの一座を立ち上げようとするのだが、見込んだ田楽の舞い手の増にはすげなく断られ、その心意気を持て余してしまう。
 そんな時、増から頼まれたという志津が彼の前に現れ、一座立ち上げの手配を整えてくれるのだが…。

 自らの才を世に示し、人々の生死を支配する権力者すらも魅了する芸を作り上げたいという欲求、父の一座を引き継ぎ、地方巡業で日銭を稼ぐ兄を蔑む気持ち、自分を上回る芸を披露するものに対する嫉妬とそれを超えようとする気概などの剥き出しの感情がここにある。観阿弥が悩み苦しむ時にどこからともなく現れ、そして去っていく白拍子あやめや、裏から支える僧兵の忍性などという、彼を前へと進ませる人々がいる。そして、彼を政治的に利用しようとする権力者達も。
 それらの環境の中、彼はどこへと進むのか。

 メディアワークスの作品としては、かなり異色だと思う。ほぼ歴史小説と言って良い。しかし、この作品が売れるようならば、十分新たな読者層を獲得できた証明となるだろう。

   bk1
   
   amazon
   
ホーム
inserted by FC2 system