一肇作品の書評/レビュー

小説版 魔法少女まどか☆マギカ 下

希望と絶望の果てに訪れる現実
評価:☆☆☆☆★
「僕と契約して魔法少女になってよ」
 なんでもひとつ願いを叶える代わりに、魔法少女になって魔女と戦うというキュゥべえの契約。それには、その奇跡に見合う対価が要求される。その対価とは、絶望だ。
 鹿目まどかの友人である美樹さやかは、想い人の上条恭介の怪我を治し夢を取り戻させる奇跡を得たけれど、彼自身はさやかが代償を支払ったことを知らない。そしてそのギャップは、どんどんとさやかを追い込んでいく。

 上巻と同じくまどかの一人称で語られるため、さやかが絶望に落ちていく過程の描写は間接的になってしまい、いささかマイルドだ。ただ、色々とその不備をフォローする構成となっているため、情報量的にはさほど差はないだろう。
 しかし、最後には暁美ほむらでなければ語れないエピソードもあることを考えると、さやかの部分はさやか視点で描いても良かったかも知れない。そして次の章は佐倉杏子視点で描いても良かっただろう。

 アニメ版における円環の理のボクの解釈は、希望と絶望と現実の妥協点に生まれる救いというものだった。だが小説版におけるそれは、どちらかというと愛である気がする。それはエピローグに進むほどそう感じる。まどかのそれは、自らの家庭の世界への拡張だったのではないだろうか、と。
 ほむらの最後のシーンも、小説版ではもう少し含みを持たせた終わり方になっていると思う。

 初回限定版の特典として、ファンアートブックを同梱。10人のイラストレーターが描く魔法少女まどか☆マギカが収録されている。


小説版 魔法少女まどか☆マギカ 上

魔法少女にならない魔法少女
評価:☆☆☆☆☆
 見滝原中学二年生の鹿目まどかは、主夫の鹿目知久、キャリアウーマンの鹿目洵子、弟のタツヤと暮らす、ちょっとおっとりした女の子だ。活発で明るい美樹さやか、おしとやかでしっかりした志筑仁美という友だちがいて楽しいのだけれど、ぼんやりとした不安も感じている。
 そんな彼女の生活が日常からずれ始めたのは、早乙女和子が担任するまどかたちのクラスに、暁美ほむらが転校して来たことからはじまる。その少女は、前日の夜にまどかの夢の中で怪物と必死に戦っていた少女だった。

 そして、暁美ほむらが襲うキュゥべえという不思議生物を助け、巴マミという先輩と出会ったことで、この世には負の感情を体現して人々を殺す魔女という存在がいて、それと戦う魔法少女がいることを知る。暁美ほむらも巴マミも、その魔法少女だった。
 もうひとりの魔法少女・佐倉杏子や、美樹さやかの幼なじみの上条恭介も含め、魔女と魔法少女、ソウルジェムと希望を巡る物語が始まる。

 TVアニメ「魔法少女まどか☆マギカ」のノベライズ版で、内容的には第6話までに相当する。鹿目まどか視点の一人称で描かれているためか、章題はまどかのセリフで統一されている。
 また、このため、さやか視点でしか描写できない部分などは、まどかが察するという形で補間されている。まどかは鈍いわけではなく、表現できないだけなので、このくらいは察せられるということだろう。

 まどか視点のメリットとして、まどかがどんなことを考えて魔法少女への道を歩むのかが、はっきりと分かる。
 まどかの周りにはまどかがすごいと思う人物がいる。ママは自分の好きな生き方を貫いているし、パパは好きな人のために人生を生きている。さやかは自分にはできない決断をして動くことが出来るし、ひとみは女の子として憧れだ。
 そして何より、まどかの理想として登場するのが、マミとほむらだろう。マミは頼れる先輩として、ほむらは出会い方が最悪なのだけれど、運動も勉強もできるクラスメイトとして、まどかの関心をひく。
 しかし実は彼らも完璧な存在ではない。魔女と魔法少女に関わりながら、まどかはそういったことを徐々に悟っていく。そして明らかになっていく真実の中、自分はどんな道を進むのかを決めていくのだ。

 「魔法少女まどか☆マギカ」というタイトルにもかかわらず、まどかはなかなか魔法少女にはならない。それでも何故タイトルがそうなのか。その理由は下巻で明らかになるだろう。
 イラストはフルカラーで、マミの<前><後>のイラストや、さやかとまどかのイラストが掲載されている。解説は田中ロミオ氏。

くくるくる

死ねない少女が死にたい理由
評価:☆☆☆☆★
 語木璃一は、桜の木から吊り下げた荒縄の輪に首をかけ、自転車の荷台の上に立つ密森なゆたと出会う。誤解の仕様もない自殺の光景だ。ところが枝は折れ荒縄は切れ、自殺は失敗してしまう。なゆた曰く、百二十二回目の自殺の失敗。死のうとしても死ねないという彼女の特質に「なゆたエフェクト」と名付けた語木璃一は、なゆたの記録者を自認して彼女に付きまとう。いわゆるストーカーだ。
 ありとあらゆる手段で自殺に失敗したなゆたは、世間を騒がす猟奇殺人者キリングKを探し、殺してもらおうとする。一方、璃一はなゆたが死のうとする理由を調べ始めるのだった。

 自ら望んで自ら命を断とうとする少女と、対価を得て人を殺す殺人鬼、そして最後に明かされるもう一つの勢力の視点から、死ぬことと生きることの意味を問いかける作品だ。
 自殺はいけない、人を殺してはいけないというのは一般的には全く正しいけれど、自殺をしようとか人を殺そうと思い切る過程には、そうせずにはいられない理由があることもある。ただ正論を唱えるだけでは、それを翻意させることは容易ではない。

 最後にすごい機関が出てきて最初の伏線を回収していくんだけど、それはどうしても必要だったのか?生きているかどうか微妙な気がする。ふつうの話で終わっても良かったんじゃなかろうか。

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