森博嗣作品の書評/レビュー

ηなのに夢のよう DREAMILY IN SPITE OF η

同じようだけど違う、つながっているようでつながっていない
評価:☆☆☆☆★
 自殺とは思えないような演出がなされた、自殺にしか見えない遺体が連続して発見される。そして、その死体の側にはギリシア文字を使ったメッセージが置かれていた。
 この事件と並行して、西之園萌絵は父母が亡くなった飛行機事故に秘められた事実を知らされる。

 ガケが崩れるまで待って落ちて死ぬ人もいれば、崩れる前に飛び降りて死ぬ人もいる。どちらも一度生きて一度死ぬことに変わりはない。作品中のキャラクターの一人がそんなことを言う。そして、この作品では多くの自殺者と不慮の死、天命を全うした死が描かれる。
 確かにどれも同じ死ではあるのだが、おそらく読者が感じる印象はそれぞれ異なるだろう。

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λに歯がない

境界外における価値観
評価:☆☆☆☆★
 事件は山吹たちが実験をしていた研究所で起きる。4人の銃殺死体。死体は歯を抜かれている。そして、システム的に監視された環境下での密室である。

 このシリーズで一番『すべてがFになる』との関連性が意識されているように感じた。もちろん全く異なる部分も多いのだけれど、事件に見られる表面的な現象や犀川創平と西之園萌絵等の会話から受ける印象が似ているように思う。もちろん演者は変化しているのだけれど。
 そして、死という境界を越えた先を、人はどのようにとらえるのか、ということ。死後も生者と同様の価値観を保持するのか、脳波がフラットになれば何の価値もなくなるのか。死者が何も語らない以上、それを判断することは生者にしかできない。

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εに誓って―SWEARING ON SOLEMN ε

偏在しながらにして個である存在
評価:☆☆☆☆★
 事件に影に見える真賀田四季の残像。事件の外側にいるものは、その存在を感じながら、ただ傍観するしかない。

 偶然東京に居合わせた山吹早月と加部谷恵美が一緒に乗る予定の、中部国際空港行きの高速バス。出発時刻に遅れた二人はそのバスを乗り逃がすはずだったのだが、雪の影響か、その出発が遅延し、運良く乗れてしまう。しかし、運が良かったのはそこまで。高速バスはハイジャックされてしまう。

 もし二人が時間通りバス停についていたら、事件はどういう風に変わったのだろう?事件に関わることのなかった人もいただろうし、変わらずに関わることになった人もいた様な気がする。直接事件とのつながりはないけれど、こんなことを考えながらも読めるかもしれない。

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φは壊れたね

どう捉えるかは受け取る側次第
評価:☆☆☆☆★
 Ph.DはDoctor of Philosophyの略であるが、どの専門分野で取得した博士号であってもこの称号を利用することができる。この理由は、どんな専門分野であっても突き詰めて考えれば哲学的になるからだと思う。ここでいう哲学的とは、物事を主体的に証明することが出来ない状態のことを指している。
 どういうことかというと、例えば、橋を架けようとした時に、どんな材料をどのくらい使えば壊れないかという問題は、実際に様々なパターンで橋を造ってみて、どれが壊れないかを確認すれば検証できる。現実には力学的な計算式を用いて算出するのだろうが、その答えが正しいことは実物で確認できるわけだ。(計算式が間違っていれば橋は崩れる)
 一方で、光速度やプランク定数が何故その値をとる必要があるのかは、人間がそれらのパラメータを色々変えて実験することはできないので、本当の意味でその答えを知ることはできない。ただ出来るのは、ある一定値をとると仮定して、現実の物理現象が正しく説明できることを証明することのみだ。つまり答えがそうだと誰かが考えて、他の誰もその矛盾を指摘できないという状態を以って、その答えが正しそうだと確認するのである。

 さて、ここでこの作品に戻ると、いつものように密室も作られるし、西之園萌絵などおなじみのキャラクターも登場する。そして最後には犯人も指摘される。だが、それを以って事件が解決したと言えるのか。そんな疑問も同時に提出される。
 法治国家、特に日本における事件の解決とは、法律に基づいて行われる裁判において検察が有罪を主張し、弁護側がその主張を覆すに足る反証を提示できなかったと裁判官(裁判員)が判断した時になされる。確実に真実を知っている神のごとき存在はいないわけで、ある説明が確からしいと過半数の裁判官が思えばそれが真実になる。
 他人を理解するという行為は、実は他人を自分の中にある型にあてはめる行為だと思う。多くの人はその型の数があまり多くはないので、類似した型に当てはまるよう、瑣末だと判断した事象を切り落としてしまう。例え切り落とされたものが重要なことだとしても、ピッタリ嵌ってしまえば納得できるのだ。逆に言うと、嵌らなければ納得できないということでもあるのだが…。

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有限と微小のパン―THE PERFECT OUTSIDER

舞台に幕を引く
評価:☆☆☆☆☆
 萌絵の幼なじみ塙理生哉が社長を務めるナノクラフトの招待で、テーマパークを訪れた三人。空港で偶然再会した島田文子から、目的地で死体が消失するという不可思議な事件が起きていたことを聞かされる。そして実際に萌絵たちは死体が腕だけを残して消えてしまう現場を目撃する。犀川や萌絵を観客と見立てたように次々と起きる事件。その背後に見えるあの天才の影。いったい誰が何のために事件を引き起こしているのか?
 シリーズを通して1話完結の形式を取りながら、作品構成としても、作中人物達にしても、それぞれに関連性を持ちながら全体として1つの作品群を作り上げたと言える。これをなしえた理由の一つとして、シリーズを一貫する思想の存在が挙げられるだろう。
 すなわち、謎の全てに常に解答が用意されているわけではない、と言うこと。そして、読者は事件の直接的な観測者にはなりえないと言うこと。だからこそ、どこまでが事実でどこからが作中人物の意見なのかを見極め、解くべき課題設定を行い、事実に基づく仮定を組み立て、事実との突合せをする必要が出てくるのだ。

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数奇にして模型―NUMERICAL MODELS

理解できないままの状態は不安なのでとりあえず理解する
評価:☆☆☆☆☆
 公会堂の鍵のかかった一室で、首なしの女性死体と気絶した社会人ドクタ寺林が発見される。そして、寺林の所属する研究室でも女性の死体が発見される。その部屋の鍵は寺林が保持していた。他に疑いようもない状況からどう抜け出すのかを、事件発生前から解決までを曜日ごとに分けて描いている。萌絵の従兄にして犀川の友人である大御坊や、萌絵の高校時代からの友人、反町愛なども登場する。

 世界を認識するという行為は、自分の意識の中に世界のモデルを作る行為にも思える。ただし、材料として使えるのは、自分が知覚でき、かつ理解できる情報のみであり、作り上げられたモデルが世界を正しく反映しているとは限らない。しかし、自分の中ではそれが正である。そして、アウトプットが現実に近づくようにインプットを調整するプロセスを、理解と呼ぶ。
 他者を理解することは、他者を自分のモデルの枠組みの中で理解することだ。上手くはまらなければ、多少削ったり付け足したりも平気でする。そうやってつじつまを合わせるのが普通だが、とにかくブラックボックスのまま受け入れて処理するという方法論もあろう。注意が必要なのは、どちらも得られる解が近似解であり、解析解ではないということだろう。そのズレが大きいか小さいかはモデルの出来栄えに因るし、たまたま答えが近くても論理が全く違うということもあるかもしれない。

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今はもうない―SWITCH BACK

認識のすり合わせ
評価:☆☆☆☆☆
 避暑にやってきた笹木は、散策中に西之園のお嬢様に遭遇する。自分の別荘に戻りたくないと言う彼女を、仕方なく滞在中の別荘に連れてきたのだが、その晩に、双子姉妹が密室で死体が発見されるという事件が起きる。笹木の視点で描かれる事件後の人々。繰り出されるトリックの数々。事件の真相は?

 シリーズ5作までは自己に内在する論理の発露としての事件だったのに対して、6作以降は他者から見た自己の認識に対する干渉としての事件に移り変わっているように思える。
 シリーズはそれぞれ完結して事件間のつながりは全くないのだけれど、それぞれの作品が後の作品の伏線として機能している部分もあり、とても面白い関係性だと思う。

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夏のレプリカ―REPLACEABLE SUMMER

相補的な関係
評価:☆☆☆☆★
 西之園萌絵の高校時代の友人である簑沢杜萌は、二年ぶりに帰省する。しかし、実家には両親も、姉もいない。ただ一人、兄は自室にいるようだが、鍵がかかっていて会うことは出来なかった。翌朝、まだ誰も帰宅しない家の中で、仮面をかぶった男に監禁される。両親と姉は別の場所に監禁されているらしい。
 その後に殺害される二人の監禁者と、逃亡した一人。一体誰が殺したのか。そして兄はどこへ消えてしまったのか。

 「幻惑の死と使途」と同時期に発生した事件。前作では西之園萌絵の内情が分かるのに対して、こちらは同時期の犀川創平の思考を追跡することが出来る。それぞれは全く関係しない事件なのだけれど、二人の思考の跡に、それぞれの事件の影響を見ることが出来るので面白い。

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幻惑の死と使途―ILLUSION ACTS LIKE MAGIC

虎は死して皮をとどめ
評価:☆☆☆☆★
 過去に一世を風靡した奇術師有里匠幻が、大脱出マジックのテレビ収録中に殺害された。ちょっとした縁で収録を見物に来ていた西之園萌絵は、大学院入試の直前にもかかわらず、トリックの解明に夢中になる。一切が謎のまま、有里匠幻の遺体が葬儀の最中に消えるという事件が発生。謎はさらに深まっていく。いったい誰が、何のために奇術師を殺害し、遺体まで隠したのか。

 本作と「夏のレプリカ」は同時期に起こった事件をそれぞれ分離して紹介しており、こちらは主に西之園萌絵が関わった方の事件。前作までの変化・成長を引き継いでおり、本作においてそれはますます助長されています。
 今回は奇術を題材にしていることもあり、トリックを見破られにくくする方法も奇術的。前半に組み込まれた会話の中でありえないと意識から排除させられているようなものが、実はありえたという感じの手法が使われています。ミステリーに詳しい人を対象にしたものかも知れません。

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封印再度―WHO INSIDE

実際に再現可能ならちょっと見てみたい
評価:☆☆☆☆☆
 儀同世津子の土産話として、50年前の密室死の現場に残された、取り出せない鍵の入った壺とその鍵で開ける箱の話を聞いた西之園萌絵は、現場となった旧家を訪ね、現物を見せてもらう。その後、50年前に亡くなった香山風采の息子、林水も、父と同様の状況を残して死体で発見される。萌絵から話を聞いた犀川創平は、嫌々ながらも事件に巻き込まれていくのだが…。密室と家宝の謎に関係はあるのか、果たして自殺なのか、他殺なのか?

 提示された謎に対して、問題を分割し、状況を再現する仮説を立て、実際に検証するというのが、解決へのステップ。この際に作者は、問題を、論理的に解決できる問題(=どうやって密室を作ったか、何のために密室を作ったか)と、解決できない問題(=事件の動機、など)に分け、後者に対しては不定のままにしてしまう。一方で前者については、一意に解を定めるのだが、その際に使用する道具立てとして、おそらく一般読者があまり知らなかったであろうことを平気で使用する。これをアンフェアだと否定する向きもあるかもしれない。しかしこれは、作品を読むに当たって前提とする常識の、拡張的再定義を読者に求めているともいえる。あなたの知らない常識が世の中には溢れているのだよ、というわけである。
 この、これまでの常識と新しい常識の接触と融合というプロセスは、犀川と萌絵の関係の変化という形でも比喩的に表現されているのではないだろうか。このようなミステリーの枠組みを拡張するための試みがなされていることが、本作を、単に読み捨てられるのではない、再読可能な物語たらしめている原因ではないかと思う。

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詩的私的ジャック

知らないことは謎のまま
評価:☆☆☆☆★
 二つの大学の構内で、二人の女子大生が死体で発見された。それぞれ自らの所属する大学ではない方で。発見された場所はどちらも内部からロックされた状態にあり、死体は衣服をはがれた上で、腹部に文字が刻まれていた。それぞれが事件関係者とちょっとした知り合いだった関係上、犀川や西之園はまたも事件の渦中に巻き込まれていく。一体なぜ犯人は密室を構築したのか。
 シリーズ第一作と第三作が似た雰囲気を持っているように、第二作と第四作にあたる本作品も似た雰囲気を持っている。事件現場が大学構内であるということだけでなく、極めて論理的に構築された密室が、一般に非論理的と考えられる動機によって作られているという構造そのものが似ている。
 探偵役の二人も、考え方が少しずつ変化してきているようだ。さて、次はどのような展開になるのか。

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笑わない数学者―MATHEMATICAL GOODBYE

定義の問題
評価:☆☆☆☆★
 数学者天王寺翔蔵が終の庵と定めた三ツ星館。天空に輝くオリオン座を模したこの館で、二人の死体が発見される。一人は昨夜、翔蔵博士が消して見せたオリオン像の下で、もう一人は寝室の床上で。翔蔵博士の出題と、殺人事件との間にはどのような関係があるのか、あるいはないのか。

 シリーズ3作目。しかし、執筆順で行くと2作目であり、「すべてがFになる」よりも前の作品。このことから、本作はデビュー作の習作という見方も出来るかもしれない。しかし、デビュー作とは異なり、トリックは伝統的なもの。ただ、殺人の動機が不定のまま残るという構造は、ほぼ同じと言えるだろう。何となくだが、シリーズを通して描きたいことが見えてきたような気もする。

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冷たい密室と博士たち

事件現場に懐かしいものを感じる
評価:☆☆☆☆★
 犀川や西之園が在籍する大学にある極地研の低温実験室で、大学院生二名の刺殺体が発見される。それも衆人環視の密室状態で。偶然見学に来ていた二人は、必然的に事件に関係することとなるが…
 事件現場がかなり特殊だという以外は、普通の(殺人事件が普通と言うのも奇妙だが)ミステリーだと思う。論理的に組み立てられた密室なのに、殺人を引き起こす動機は、非論理的な感情だという矛盾。ある意味、前作の動機とは対称の位置にある動機で事件が引き起こされていると言えるだろう。

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すべてがFになる―THE PERFECT INSIDER

異常な動機を常人が理解しようと思うのが間違い
評価:☆☆☆☆★
 孤島にある外界と隔絶した研究所の中で、隔離されて生活をしている天才博士、真賀田四季。彼女は14歳の時に両親を殺害した罪で裁判にかけられ、心神喪失で無罪を勝ち取って以後、ずっとそこで生活している。地方の名士の家系である西之園萌絵は彼女に興味を持ち、自分が通う大学の助教授であり、父の教え子でもある犀川創平や研究室のメンバーとともに、この研究所がある島でキャンプを行うことにする。その夜、彼女に会うために研究所を訪ねると、そこで見たのは、ウェディング・ドレスをまといながらも、両手両足を切断され、ロボットで移動する彼女の死体だった…。いわゆる密室ものに分類される作品です。

 ボクはあまりミステリーを読む方ではないので間違っているかもしれませんが、多くのミステリーでは、読者は犯人に対して共感なり、反感なりを抱きます。探偵役はそこに至るために、異常な状況を理解できる状況に置き換えます。この際に、動機の解明ということが行われるわけです。
 しかし、この作品では、このような動機の解明にはあまり重点が置かれません。そもそも、探偵役が状況を異常と思っているかどうかも疑問です。事実として死体があって、それを実現するにはどうすればよいかを、日常の論理で理解してしまう訳です。まあ、必ずしも読者がそれを理解できるとは限りませんが、それは天才の所業なので凡人に理解できないのも仕方ない。
 では、登場人物たちが魅力的ではないかというと、決してそんなことはない。それぞれの思考方法や背景などが随所に埋め込まれ、それが彼らを彼らたるものにしています。個人的には事件と直接関係ないこれらの会話などの方が面白いとも思う。すでに世間的に十分評価されている作品なので、こういったことは十分語りつくされていると思いますが…。

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