トラファルガー広場

ナポレオンから制海権を護る

 1805年のヨーロッパは、皇帝ナポレオン一色に染まっていた。ロシア、オーストリア、プロイセンという三帝国をものともせず、陸上戦闘においては無敵を誇ったナポレオンだったが、制海権はイギリスに属していた。この状況を打破するための最大の海戦がトラファルガーの海戦であり、広場の名称はこれに由来している。

 1805年10月21日、スペインのトラファルガー岬沖で、ピエール・ヴィルヌーヴ提督率いるフランス・スペイン連合艦隊と、ホレーショ・ネルソン提督率いるイギリス艦隊が衝突した。
 数に劣るネルソン艦隊は縦列陣を組み、一点集中砲火による敵陣の分断を試みた。この戦法は功を奏し、連合艦隊を壊滅に追いやることに成功するのだが、ネルソン提督自身は、ピエール・ヴィルヌーヴ提督の狙撃作戦により命を落としてしまう。

 この戦いにより、フランスは制海権奪取を諦めざるを得なくなるのだが、大陸におけるナポレオンの無敵状態は、あと10年ほど続くのである。

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