ドイツ旅行記

項目 内容
正式名称 (首都) ドイツ連邦共和国 (ベルリン)
通貨単位 ユーロ(EUR) (1 ユーロ=128.50円、2009/03/31現在)
人口 (国土面積) 約8,200万人(2004年) (357,021ku)
GDP (ドル換算) 約3.3兆ドル(2007年)

 ドイツの旅行記を年別に分類して掲載しています。

【2005年】


歴史ある街、ケルン

ヨーロッパ旅行 第十六日(2005年5月6日金曜日)
 このYHの朝食は、非常に豪華だった。ハムやチーズが何種類かあり、ゆで卵まであった。卵なんて、久しぶりだなあ。かなり嬉しくなる。ここも、最後までパスポートチェックが無かったなぁ。
 アムステルダム駅の反対側は、海だった。海の水が黒っぽい。運河の色と同じだ。

アムステルダム

船で反対岸に渡れるらしい。通勤、通学の人達が、自転車で乗り込んでいた。
 電車でケルンへ。女の車掌さんに、ユーレイルパス自体に改札をされてしまう。ギャー。あんたは本当に、プロの鉄道員ですか!次、ちゃんと使えるだろうな?

 ケルン駅に到着。荷物を預ける。ここのロッカーは、オートマティック。荷物をいれると、勝手に地下に持っていく。立体駐車場みたいな感じ。しかも安い。ドイツはすばらしい。駅舎から外に出ると、目の前にケルン大聖堂がそびえ建っていた。

ケルン大聖堂

でーん。本当に大きい。駅よりも地盤は高いところに建っているのだが、それでも見上げなければならない。人ごみに沿って、中に進入する。

ケルン大聖堂

天井がかなり高いのが分かりますか?

ケルン大聖堂

ステンドグラスも高いですよね。しばらく座って、雰囲気に浸る。ここには、真剣に祈りに来る人と、おちゃらけて遊んでいるただの観光客と、2種類の人達がいる。

ケルン大聖堂

真ん中の金色の棺?は、東方の三賢者(イエスの生誕を予言した人達)の聖遺物らしいのですが、この前では、ひざを折って祈る人々も散見されました。真剣な人は真剣なんですね。少し感動する。そうそう、ベネディクト17世(現ローマ法王)の肖像も置かれていましたよ。彼はドイツ人ですからね。
 ケルン駅の近くの小さなレストランでご飯を食べる。ここに入るまでには、色々と葛藤があったが。何せ、メニューが読めないから、何があるかも分からないし、ランチタイムを過ぎているから、ほとんどの店が閉まってしまっている。ミートローフを食べる。ジャガイモとソーセージみたいなハムを焼いただけのものなのだが、結構美味しい。単純な料理を美味しくつくるのは難しいから、ドイツ料理は美味しいのだろうと推測する。もちろん、ビールも美味しいんですけどね。クイクイいけます。  鉄橋を歩いて渡れるらしいので、渡ってみることにする。

ケルン大聖堂

鉄橋から見るケルン大聖堂。やはり大きいなぁ。
 特にやることも無いので、ウィンドーショッピングをしたあと、公園のベンチで休む。座っていたら、物乞いのお姉さんがやってきて、多分、何かくれ、とドイツ語で言った。断ると、僕のリュックやポシェットを指差しながら、悲しそうな顔で何か言う。多分、そんなにいっぱい持ってるのに、どうして何もくれないの?みたいなことを言ったんだろう。そんなこと言ったって、これは僕が一生懸命稼いだお金で買ったものだし、ガイドブックや時刻表が欠けたら、旅を続けられなくなってしまう。でも、何も言うことはできなくて、結局逃げ出してしまう。何を言ったら理解してもらえるのかな?

 前にも書いたかもしれませんが、ヨーロッパでは、トイレが有料であることが多いです。ケルン駅のトイレは特に高く、3,4ユーロくらいはしたと思います。とてもそんなお金を払う気にはなれません。一般的な方法としては、レストランや博物館などに入ったときに、トイレを済ましてしまうことが挙げられます。
 歩いていたら、だんだんトイレに行きたくなってきた。仕方ないから、どこか適当な美術館にでも入ろうかと思う。ケルン駅に近い美術館に行ってみたところ、料金を払う以前の場所に、なぜかトイレがあった。入ってみると、掃除の人もいないし、その待機場所も無い。ということは、ここは無料トイレだということだ。早速、使用。すっきり。ここは、閉館間際にも、もう一度使用させて頂きましたが、地元の人も良く使っているようです。便利スポット発見。

 いよいよやることが無くなる。イタリアのYHの予約にも失敗するし、良いことが無い。仕方なしに、ケルン駅で夜行電車の出発を待つことにする。あと5時間。



 ケルン駅には、ファーストフードの店やスーパーがたくさんある。遅くご飯を食べたので、あまりお腹はすいていないのだが、他の人が食べているものが美味しそうに見える。フランクフルトソーセージや鳥の丸焼き。ドイツの人は、肉とジャガイモで体をつくっているに違いない。誘われて食べてしまう。とても美味しかった。
 トイレにお金を払いたくないので、水を飲むのを我慢していたのだが、だんだん馬鹿馬鹿しくなってくる。自由にできなくて、何のための旅なのか!それまで我慢していたのを取り返すように、がぶ飲みをする。ああ、美味しい。
 ベンチに座りながら、イタリアの旅の計画を立てる。各地の間の移動に時間がかかりそうだ。回る順番を考えないといけないな。そんなことを考えていたら、どこからとも無く、熱狂的な声援?が起こる。よくよく見ると、紅白のタオルを首に巻いた若者達が、何かの歌を歌いながら練り歩いている。今日はサッカーの試合でもあるのだろうか。この騒ぎは、午後11時過ぎまで続いた。
 色々なところでシスターの集団を見かける。10人ずつ位で固まって、駅の各所にバラバラに集まっている。何事があるのだろうか。

 午前0時近くになって、チューリッヒ行きの電車が到着。乗り込む。すぐにトイレに行く。今回は、6人クシェットで一番下のベッド。最後に乗り込んだので、電気は消えているし、寝る準備がしづらかった。頭もぶつかるし。車掌もチケットを回収に来ないけれど、大丈夫なんだろうか。不安だ。

歩くには広すぎる、ベルリン

ヨーロッパ旅行 第四十一日(2005年5月31日火曜日)
 プラハ本駅に到着。出発の時間までは、まだもう少しある。現金を使い切るために何か買わないと。一応、お札は使い切るというのが、僕の決めたルール。コインは残しても良い。飲み物は高かったので、サンドイッチを買う。あとで食べよう。この駅では英語のアナウンスもされているため、非常に便利だ。海外に行くと、たとえ英語ができなくても、英語の案内があるだけで、とてもありがたいと思う。まあ、他の言語の方が得意な人は、その限りではありませんが…。

プラハ本駅

ヨーロッパでは、こんな風にガラスにヒビが入ったまま放置しているところが多い。フラフラしていたら、アコモデーションの客引きに声をかけられる。これから出るっていうのに。

 午前9時18分、出発。席を予約してあるので安心。2等車なのに、1等のようなコンパートメントだった。快適、快適。腕を怪我していた女の人に、ドイツ語で話しかけられる。荷物を棚の上に上げたいようだ。手伝ってあげる。
 途中、ベルリン・シェネーフェルド駅を通る。明日、タリンへ行くための飛行機に乗る空港があるところ。同じベルリンの名を冠しているだけあって、意外に近いようだ。普通電車で30分くらいだろう。どこかの国の、新東京国際空港とはわけが違う。飛行機に乗るまでに疲れちゃうよ。
 ベルリン・ツォー駅で降りようと思っていたが、ベルリン・オスト駅で停車しているときに、ここで降りた方が宿に近いということに気づく。慌てて下車。先ほど挨拶を交わしたばかりの、オストから乗ってきたドイツ人に苦笑されてしまう。ごめんね?

 オスト駅で降りたは良いが、宿の近くの駅であるアレキサンダー広場駅へ行くにはどの電車に乗ればよいのかが良く分からない。Sバーンは複雑すぎる。どれが路線図なのかが分からない。同じホームから、色々な電車が出ているので、余計に分からない。1日券を買ってあるので、間違っても良いと思い、エイヤっと乗り込む。どうやら正しい電車のようだ。しかし、アレキサンダー広場に着いたは良いものの、今度はその駅からホテルへどうやっていったら良いかが分からない。地図は持っているのだが、それに書いてあるストリートが見つからない。結局行ったり来たりしながら、バス停を目標にそれを見つける。どうも、道の途中から名前が変わっていたようだ。そんなの、分かるか!



 ホテルは、ユダヤ人墓地を通り過ぎて、ガソリンスタンドの隣にある。2つ星だけれど、僕にとっては高級ホテル。ノン・スモーキングにしてもらって、チェックイン。部屋は、ツインのバス、トイレつき。ベッドルームの電球が暗いのが何だが、ユニットバスの照明はそれよりも明るい。鏡に囲まれていて、我が身の醜さを痛感させられる。シャンプーは、そこに備え付けられている。持って帰れないように?

 シャワーを浴びてから市内へ。時間がないけれど、歩いてブラブラ。1日券を買ってあるので、トラムにも乗れるのだけれど。テレビ塔を通過して、ベルリン大聖堂へ。

ベルリン大聖堂

周りには、オペラ座などもあります。今年は、世界物理年なので、アインシュタインのポスターがたくさん。時間があれば、そちらにも顔を出したかったのに…。

ブランデンブルグ門

 アエロフロートのオフィスを通り過ぎて、ブランデンブルグ門に到着。
かつてはここで、大量の血が流されたのだろうなぁ。

ベルリンの壁跡地

かつてはこの通りがベルリンの壁だったのなんて、信じることができません。

 今日のベルリンは、警官の数が異常に多い。非常線が張られている感じ。道路封鎖もされている。仕方なく迂回したら、こんな建物を見つけました。

弾痕?

壁にあいているのは、弾痕?
 日本大使館前を通過して、フィルハーモニアの方へ向かう。ここは、ベルリンフィルの本拠地。やはり、小さなコンサートでも、中に入ってみたい。ところが、事態は意外な展開に。

フィルハーモニア

あたりを、警察が完全封鎖していて、中に入ることができない。チケットが買えない。当てが外れる。  仕方なく、スーパーを探し出し、ビールを購入。近くのスタンドで、カリーブラストという、カレー味のアメリカンドックみたいなものを食べました。
 宿に帰り晩餐。途中、チキンの丸焼きを買うかどうかで迷う。帰り道では、スーパーで買ったマンゴーを、雨の中、丸かじりしていました。ドイツか観光のためにもう一度来ないと。

ご飯

ご飯を食べつつ、ビールを飲む。WeissにSchwarz、Pilsener。よりどりみどり。ヴァイスビールは、独特の香りで、ビールが麦のお酒だということを強く感じます。シュワルツビールは甘さが残っていて、ピルスナーは香り高い。

ビール

少し酔ったら、ベッドにダイビング。快適生活。

旅立ちのベルリン

ヨーロッパ旅行 第四十二日(2005年6月1日水曜日)
 朝起きて、シャワーを浴びる。極楽じゃ。帰国便のリコンファームしようと思い、ヘルシンキのアエロフロートのオフィスに電話する。まったく話が通じない。自分の名前さえ伝わらない。そりゃ、僕の発音も悪いけど、あんたら気が短すぎるよ!たらいまわしにするな!結局、どのオフィスでもリコンファームはできるらしいので、ベルリンのオフィスに行くことにする。昨日、歩いた時に見つけておいて良かった。30分くらいかけて、ブランデンブルグ門近くのオフィスへ。窓口の人はドイツ人ぽかったが、やり方がわからなくてロシア人に聞いていた。ようやく確認が取れる。これで一安心。ホッとしました。問題なく日本に帰れるはずだ。以前、ナポリにいたフランス人が、国に帰るのを喜んでいた気分が今になってやっと分かる。やはり、帰るところがあるから旅に出かけることもできるのだ。



 豪華な朝食をたらふく食べる。チェックインのときにどこで朝食をとるか教えてくれなかったので、場所をフロントに聞きに行った。ビュッフェ形式の朝食。ビジネスマンや年配の人が多い。僕のような客は皆無。ゆで卵などは、白熱球で暖めた状態を維持していました。
 このホテルではインターネットが無料で使えるので、日本に帰ってから読むものを確保するために、本を注文しておいた。インターネットは偉大だ。チェックアウトギリギリまで粘ってから出発。荷物を持ってまで観光するほど体力は残っていない。

 シェネーフェルドまでは、S9で30分くらい。駅から5分ほど歩いて空港へ。意外に小さい。出発まではあと5時間ほど。ベンチに座って、チェックイン開始を待つ。ここでは、EasyJetはセルフチェックインをしなければならない。搭乗手続きを自分でして、荷物につけるタグも自分でつけるのだ。長時間待機ができるのも、トイレが無料で使えるおかげ。しかし何故か、ここのトイレでもコンドームを売っている。なぜ?
 お昼を過ぎてしばらくたったので、ご飯でも食べようと思ったが、ここにあるレストランはイタリアンだけ。なぜドイツ料理が食えないのだ!仕方なく、ファーストフードでフライドチキンセットを注文。パクパク。スプライトを飲んだのは久しぶりだ。結局、出発前にここでもう一度食べることになった。

 午後9時前にタリン空港に到着。荷物も無事回収できたし、言うことなし。外はまだ明るい。市内までの公共交通はバスなので、先ほど引き出したエストニアクローン(EEK)を用いて、キヨスクでチケットを買う。バスの運転手から買うと少し高いのだ。500EEK札で10EEKのチケットを購入。キヨスクのおばさん、お釣りありがとう!
 バスに乗ったは良いが、どこで降りるべきかが良く分からない。バス停表示をずっと見ていたが、降りるつもりの停留所が見つからないまま、港まで来てしまった。このまま出国する気?一応現在地が分かったので、旧市街へ向かって歩く。ホテル・ヴィルがランドマークとして都合が良い。それでも迷いながら、泊まるべき宿に到着。こうやって着けたのも、外が明るいおかげ。

 チェックイン開始。学生証を見せたら10%引きにしてくれた。ところが、大きい紙幣を出したら、ここは両替所じゃないなどとぬかしだす。さっき、おばちゃんに細かくしてもらっていて助かった。部屋は綺麗だし、快適。共同シャワーを使おうと思うが、スイッチの位置が良く分からず。暗いままで使用する。これもまた一興か。
 午後11時を過ぎてもまだ明るい。あまりに明るすぎて、なかなか寝付けなかった。
 そういえば、今日は写真を撮っていなかった。明日はいっぱい撮ろう。
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