スペイン旅行記

項目 内容
正式名称 (首都) スペイン王国 (マドリード)
通貨単位 ユーロ(EUR) (1 ユーロ=128.50円、2009/03/31現在)
人口 (国土面積) 約4,300万人(2004年) (504,782ku)
GDP (ドル換算) 約1.4兆ドル(2007年)

 スペインの旅行記を年別に分類して掲載しています。

【2005年】


緩やかな時の流れる街、バルセロナ

ヨーロッパ旅行 第八日(2005年4月28日木曜日)
 お腹がいっぱいだったので、ビールを飲むことはできなかった。到着しても起こしに来てはくれないし、パスポートコントロールもありませんでした。
 スペイン国境の駅Port-Bouで乗換え。次の電車が出るまでに、朝食を取る。といっても、昨日買っておいたチーズ。ちょっと酸味のあるフレッシュチーズなのだが、濃密な味なので、朝からはキツイ。ふたを開けてしまうともう一度閉められないので、持ち運ぶと汁がこぼれてしまう。断腸の思いで捨てる。ごめんなさい。
 ポルボゥからバルセロナ間では、普通電車に乗る。あんまり良く写っていなかったけれど、スペインの車窓です。

スペインの車窓

途中駅で、スペインの女子高生?が乗り込んでくる。当然ながら、私服。日本の中学1年生の英語の教科書のような内容の、フランス語の教科書を読んでいた。
 バルセロナに到着。3時間も走る電車だったのに、トイレがついていなかったのが痛かった。
 荷物を預けて、地下鉄で移動。さすがに緊張する。バルセロナの治安が悪いというのは常識だから。1日券を購入して地下鉄へ。次の電車が到着するまでの時間が秒刻みで表示されているので、待っていてもイライラ感が無い。スリに警戒するが、露骨に近づいてくるような人はいなかった。
 サグラダ・ファミリアは駅の出口のすぐ前にあった。あまりに近くに大きな建物があるので、その全容がつかみづらい。

サグラダ・ファミリア

入場門のすぐ脇では、物乞いの人が待機していて、財布を出すのを待ちわびている。露骨に観光客狙いだなあ。

サグラダ・ファミリア

 サグラダ・ファミリアは、自然界の構造物をモデルにして、それを人工物で再現するという、奇妙な思想の元に建てられている様だ。

サグラダ・ファミリア

つまり、植物や昆虫、もしくは蜂の巣などの生産物をモチーフにしてデザインをしているらしい。ガウディの哲学なのだろう。涼しげで、綺麗だ。
 塔に登る行列に並ぶ。並んでいたどこかの人と、ちょっとお話。お疲れのようです。螺旋階段を上って、頂上の方へ。

サグラダ・ファミリア

壁一面に落書きがいっぱい。英語、フランス語、ドイツ語と様々な落書きが、本当に壁を埋め尽くしている。じっと見ながら上っていくが、日本語は見つからない。日本人観光客は常識を知っているなあ、とホッとしていたら、頂上付近で発見してしまった。「人生最高!」いや、あんたは最低ですから!

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頂上付近からの眺めはすばらしい。モンジュイックの丘と思われる丘もみえた。

モンジュイックの丘

出口のところに、仮装して像の振りをしている大道芸人がいたが、人間と気づかず、ふらりとそちらに寄ってしまった。彼もとてもびっくりしていた。
 午後になると郵便局が閉まってしまうらしいので、とりあえず切手を確保しに行く。すさまじいまでに局員にやる気が無い。意思疎通をしようという努力をする気が無い。内輪で話をして盛り上がっている。それでも何とか切手は確保する。
 喫茶店のようなところでご飯を食べた。米を使ったマリネみたいなものを食べた。現地の人は、パエリアとステーキみたいなものを食べていた。これがスタンダードらしい。みんな注文している。あれが食べたいと言えばよかった。
 街をフラフラとする。確かに、ちょっと路地裏に入ると人通りが少なく、不気味なところもある。でも、観光ポイントは、シェスタの時間でも人がいっぱいいるので、比較的安心。行動できないほど危険、というわけでもないようだ。

ピカソ美術館

 ピカソ美術館に行く。初めに入ろうとしたときは、現金に手持ちがほとんど無く、カードも使えないので、入場料を払えなかった。出直して、ATMでお金を下ろしてから、再度アタック。キュービズムに入ると、僕にはわけが分からないが、初めの方の絵は素直に上手いと思う。一瞬の感情を切り取って絵にした、と感じた。多分、その色々な側面を、いっぺんに表現したかったんだろうなあ、と思う芸術的な一瞬。日本人のおばさんが色々と薀蓄をたれていたけれど、僕には分かりません。
 市場に行く。

市場

観光客用に、カットした果物などがたくさん売られていた。よく、ヨーロッパのオレンジはむちゃくちゃ甘いと言うけれど、僕が買ったのはそれ程でもなかった。やはり、安いのを買ったのが良くなかったのだろうか。物乞いのお姉さんにお願いされたけれど、断る。心苦しくて、しばらくその辺りに寄り付けなかった。
 少し不便だったのが、ほとんどクレジットカードを使えなかったこと。現金をわざわざ下ろさねばならず、面倒だった。でも、よく言われているように、お釣りをごまかされることは無かった。きちんと数えながら渡してくれた。(これは、他の国、イタリアなどでもそうだった。)
 イギリスの後だから特にそう感じるのかもしれないが、物価は比較的安いのではないだろうか。レストランで飲んだビールも、1杯0.90ユーロだったし。物価が安いところでは、治安が悪くなるのかもしれない。
 駅に戻って、夜行列車の出発を待つ。荷物を取り戻し、駅のベンチで、昨日買ったビールとサラミを消費する。さすがに通行人に変な目で見られたかも。



 午後9時15分。Hotel train出発。設備はすばらしい。でも、車掌には露骨に馬鹿にされた。”Can you speak English?”あと何度言われるのだろう。同室の人は、パリからアフリカに帰るらしい。慌てて来たのか、すごい汗をかいていた。隣の部屋は、日本人の夫婦らしい。
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