イタリア旅行記

項目 内容
正式名称 (首都) イタリア共和国 (ローマ)
通貨単位 ユーロ(EUR) (1 ユーロ=128.50円、2009/03/31現在)
人口 (国土面積) 約5,800万人(2004年) (301,230ku)
GDP (ドル換算) 約2.1兆ドル(2007年)

 イタリアの旅行記を年別に分類して掲載しています。

【2005年】


街中が迷路のような、ヴェニス

ヨーロッパ旅行 第十九日(2005年5月9日月曜日)
 一転して朝食が質素になった。いや、元に戻ったというべきか。それにもかかわらず、スプーンやコップが使い捨てなのは理解できない。そういうところを削って、食事にまわして欲しい。それとも、食器を洗う人件費の方が高いのか?
 ミラノからVeneziaに遠征。ユーレイルパスがあると、こういう遠征の決断が簡単にできてよい。朝のミラノの地下鉄は、日本の通勤風景と非常に良く似ている。満員に近いくらい人がいるし、スーツを着ている人もたくさんいて、暇つぶしに新聞を読んでいたりする。
 念のため、駅でヴェニスに行くのにユーレイルパスが使えるかどうかを確認する。駅員のおじさんは、親切にも何時の電車に乗ればよいのかまで教えてくれた。感謝。電車は意外に混むので、予約をした方が安全だと思います。1等車に乗り込んできた親子、態度は大きかったのに、チケットを持っていなかったらしく、車掌さんによって、2等車に追いやられました。度胸がすごい。

 ヴェニスに到着。駅の外に出ると、目の前には大きな運河が。

ヴェニス

本当に車は走っていませんね。というか、走れません。

ヴェニス

こんな道では船以外には使いようもありませんよね。

ヴェニス

狭いし、段差が多いから、自転車も使いづらいし。徒歩が主な交通手段。

リアルト橋

少し雨がぱらついていて、いつ本降りになるか不安でしょうがない。正直な話、それ程綺麗なところとも思えないので、サン・マルコ広場まで行ったら帰ることにしようと思う。
 道路が入り組んでいて、細く、どこに行くか創造がしづらいが、行き先の看板が豊富にあるので、有名な場所に行くにはそれ程苦労がない。歩いていけば、いずれは着ける。

サン・マルコ寺院

 サン・マルコ寺院。観光客の行列があまりにもすごいので、外から眺めただけ。一体何があるんだろうか。この広場には、人も多いが鳩も多い。上野か浅草か、という様相。そして、名物ゴンドラ。

ゴンドラ

時期が早いせいか、あまり乗っている人を見かけませんでしたね。天気が悪いのも影響しているのでしょうけれど。僕の印象では、滞在まではしなくても良いけれど、一度くらいは見に行っても良いかな、という評価。あの格言によれば、これでいつでも死ねるのでしょうけれど、まだまだ死ぬ気はありませんよ!

 ミラノに帰ってきて、駅でクレジットカードを使って電話をかけようとする。イタリアは、カード番号の入力によって、カード払いができる方式。うまく使えず。悪戦苦闘していたら、カードはいらないか、と声をかけられる。いらないといったら、そのおじさんは、隣の電話で普通に電話をかけ始めた。カード売りのプロの人じゃないの?地下鉄に行けば、切符の自販機の前で、切符を売りつけようとしている人がいた。もう、ちゃんと買えますから必要ありません。どちらにも共通していることだが、引っ掛けることに罪悪感はないらしい。あくまで商売で、上手くだますのは自分の商才だと思っている節がある。
 YH近くの公園で、ローマの宿の予約に四苦八苦。初めに電話したホテルは満員だったが、他のところの電話番号を教えてくれた。そのアドバイスに従って電話する。僕の発音が悪いことは十分承知だが、まったく話が伝わらない。無理やり何とかねじ込んで予約をするが、確認メールを受け取らないことには予約が完了しないらしい。でも、ミラノでインターネットカフェ、見かけなかったよ。無理だよ。だめなら、明日もう一度電話して来い、とのこと。電話しますとも。



 スーパーがなかなか見つからなくて、うろちょろ。スーパーの袋をもっている人を目標に探して、何とか発見する。買ったのはいいんだけれど、割引されるべき商品が、割引かれていない気がするんだよね。
 地下のスペースで晩餐。

食事

さすがにワイン1本、一人で空けるのは無茶だったかなぁ。安物だけに、ちょっと匂いが気になりました。料理は、きゅうりのパイとパプリカの肉詰め。

洗練された街、ミラノ

ヨーロッパ旅行 第二十日(2005年5月10日火曜日)
 チェックアウト時にも、レセプションの人に、さようなら、と言われた。日本語が流行っているのか?
地下鉄の中では、若い女の人もハンカチで大きな音を出して鼻をかんでいたりする。文化の違いを実感。あと、ミラノではほとんど信号無視をする歩行者がいない。歩行者のモラルが高いのか、それとも車の運転がそれだけ荒いのだろうか。

 ミラノといえば、ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」。これは是非みたい。ミラノ中央駅に荷物を置きに行くのももどかしいので、すべての荷物を持ったまま、サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会に向かう。外はあいにくの雨。キャリーバックにゴミ袋をかけて、さあ出発。袋には、思いっきりゴミ袋と書かれていますが、どうせ誰も読めんでしょう。

サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会

 ここに最後の晩餐があるのです。勢い込んで受付へ。でも、その勢いは空回り。今日の分のチケットは完売だそうな。がっくりして外に出ると、JTBのツアーの団体のご到着。ここは昨日休みだったから、今日、混んでいるんだね。やっぱり予約しておけばよかった。イタリアでの英語に自信を喪失していたから、電話できなかったのも仕方ないことだけれど。
 かといって、このまま諦めるわけにはいきません。奥の手は最後まで取っておくものです。観光地には、その場所を短時間で巡るバスツアーが大抵は存在します。ここ、ミラノにもそれはあって、そのバスツアーでは、「最後の晩餐」の見学が保障されているのです。保障。なんという良い響き。
 急いでバスツアーを扱っているインフォメーションに向かいます。バス予約完了。午後のツアーに混ぜてもらうことにする。これで見られる。ツアーに参加するので、有名どころはそのときに回ってしまう可能性が大。すると、ツアー出発までに見に行くところの選択が難しい。ここまで来て見る物ではないと思いつつ、科学技術博物館に行く。日本の国立科学博物館には何回も行った事があるから、比較の上で面白いかもしれない。

 博物館には、学生の団体が大勢来ていた。いつもこんなにいっぱいいるのだろうか。展示は、ダ・ヴィンチの絵とその科学思想の関係や、日本でも良く見かけるような展示。聞くところによると、ダ・ヴィンチは、自分で調べた自然現象などを自分の絵に盛り込んでいたらしい。彼にとっては、絵は研究の集大成だったのだろうか。

科学技術博物館

この写真はそれとは全然関係ないのですが。この碑文は中心から右回りに外へ読むんですよね。考え方が面白い。
 ぶらぶらと散歩しながら、パン屋さんの前でタルトを買おうかどうか迷ったり。お菓子には、よく生チョコが使われているんですが、美味しいんですよ、これが。そして、サンタンブロージョ聖堂。

サンタンブロージョ聖堂

ゴシック様式の教会なんかと違って、本当に祈るためだけの場所、という感じがしませんか?質素で。まあ、時代が違うだけなのかもしれませんけれど。ここは現在、大学として使われているそうです。
 そのままフラフラと中心部の方に向かいます。

リッタ宮

これは、リッタ宮付近の街並み。何か、味わいがありますよね。
 シティーバンクを見つけたので、ATMでお金を下ろそうと思う。ところが、銀行の中に入れない。入り口が、一人ずつしか入れないようになっていて、どうやったら扉が開くのかも分からない。なんかイタリア語で言っているけど、理解できるはずもない。どうすれば良いって言うの!
 王宮のある広場近くのファーストフード店でご飯を食べる。7ユーロくらいのところを20ユーロ紙幣で払ったら、おつりをすべてセントの硬貨で返してきた。金額はちゃんと確認しながら渡してきたから良いのだが、すべて小銭で返す必要なないだろう。何の嫌がらせだ!

 ツアー開始。当然解説は英語なので、完全には理解できません。ドゥオーモの見学。警察によるセキュリティーチェックが入ります。カバンの中を見せたら、パーフェクトといわれる。中に入っていたのは、オレンジの皮と水のペットボトル。喜ぶべきかどうか、微妙な問題だ。

ドゥオーモ

本当はもっと明るいんですけど…。色々説明してくれるのは便利なんだけれど、自由に行動できないのはつらいなぁ。
 ブレラ絵画館を見学。解説の人は英語が苦手らしく、詰まりながら説明していました。もっとも、僕よりは上手いけれど。ここも、自分でゆっくり見たかったなぁ。
 バスは市内を巡りつつ、ついに「最後の晩餐」の見学へと向かいます。またもやJTBのツアーと遭遇したけれど、そんなことはご愛嬌。見学場所のセキュリティーは万全で、2つの扉で遮断されています。1つ目の扉を通って小部屋に入った後、その扉が閉まらない限り前の扉は開きません。ようやく中へ。
 ひんやりとした空気をたたえた室内に入ると、右手に、間接照明によって照らされた「最後の晩餐」が見えます。すぐにでもそばによりたい気持ちを抑えて、ガイドさんの説明を聞きます。ようやくご対面。写真で見ると、ボーっとして良く分かりづらいですが、本物には存在感があり、思ったよりも鮮明に感じます。見えている以上のものを感じさせる何かがあるというか。食い入るように見つめてしまいました。撮影禁止のため、写真が撮れなかったことが心残り。ガイドさんがいなければ、こっそり撮っていたかもしれないのに。

 元の王宮前の広場に戻る。ローマの宿に電話。話が通じない。予約されていないようなことを言っている。結局、もう一度、午後8時過ぎに電話するように言われる。英語をしゃべれる人が来るとのこと。
 荷物預かりの代金が高いので早めに引き取って、駅の中をぶらぶら。ナポリ行きの電車を待つ。待合室で、再びローマに電話。何とか泊まれるようだ。良かった。悲しそうな声で英語をしゃべるのがコツかもしれない。泣き落とし(英語版)。
 ナポリ行きの夜行電車は汚かった。掃除をしていないのか、棚の上などに、ホコリが層を成して積もっている。トレンイタリアの職員ぽいひとが来て、列車の感想をあとで聞かせてくれと、アンケート用紙を置いていった。事情が良く飲み込めず、流されるままに記入してしまった。あとで電話がかかってきたりしたら怖いなぁ、と思い返していると、ふと、電話番号を素で間違えたのではないかと気になりだす。日本の国番号は81ですが、49と書いたかもしれません。バーコードの国番号は49なんですよね。勘違い、勘違い、テヘッ。
 車掌さんが、シーツと毛布?を持ってきてくれた。一体型の紙製。使い捨てなんだ。だから掃除しないんだね。4人クシェットですが、ミラノから乗るのはどうやら僕一人。他の人は後から乗ってくるのでしょうか。それなのに車掌さんは、部屋の扉の鍵を閉めて、チェーンロックをかけておけと言う。そこまで危ないのか、この電車は。

ヴァカンスの聖地、ナポリ/カプリ島

ヨーロッパ旅行 第二十一日(2005年5月11日水曜日)
 Napoli Centaraleは、かなり暗い雰囲気がする。沈んだ感じ。こういうところは危ない気がする。気を引き締めていかなくては。YHはNapoli Mergellinaにあるので、そこまで地下鉄で。ここはユーレイルパスが使えるので嬉しい。問題は、料金が浮くことのメリットと、ユーレイルパスとパスポートを携帯しなければならないことに対する危険性のデメリット。どちらを優先すべきかは考えどころだ。
 メルジェッリーナは港町。変に奥まった方に行かなければ、雰囲気も悪くない。YHは駅の裏山にあるのだが、そこまで行くのが大変。荷物を持ち歩くのも大変なのだが、歩道がなく、横断歩道すらなく、車がビュンビュン通るので、道路を渡るタイミングを見計らうのが難しい。冗談じゃなく、命がけ。宿自体は、予約はしていなかったけれど、すんなりと泊まれることになった。かなり綺麗。荷物だけ置かせてもらって、観光に出かける。さて、ポンペイとカプリ島、どちらに行くべきだろうか。

 まずは港に行ってみて、カプリ行きの船を探して見ることにする。港からの眺めもなかなか。

ヴェスーヴィオ火山

遠くに望む、ヴェスーヴィオ火山と卵城。海の上に、黄色い霞がかかっているのが気になります。何の煙?何だろう。潮の高さによって、青の洞窟は閉鎖されると聞きますから、心配です。

ナポリ

ナポリって、海の街であると同時に丘の街でもあるんですね。「段々住宅」と名づけましょう。
 海岸通りを歩くが、なかなかフェリー乗り場が見つからない。諦めて、ポンペイ行きに切り替えようと思ったときに、乗り場を発見。すぐ出発するらしいので、チケットを買ってフェリーに乗り込む。出港間際になって、日本人の団体が駆け込んできた。必死に走っているなぁ。
 船は波にあわせて、ブワン、ブワン。結構ゆれます。波を乗り越えていく、って感じです。みんなへ行きそうな顔をして乗っていますが、僕は気を抜くと酔いそうです。でも、段々ゆれが気持ちよくなって、眠くなってきました。実は船に本格的に乗るのは初めてだったけれど、これなら大丈夫かな。ギリシア行きの不安材料が少し減る。そんなこんなで、カプリ島に到着。

カプリ島

 先ほどの駆け込みの方達はツアーのお仲間らしく、現地にいたガイドの人に急き立てられ、小さなボートに向かってかけていきました。多分、青の洞窟に向かうのでしょう。せきたてられてかわいそうだな、と思うと同時に、準備がされていて便利そうだなとも思います。僕にはそんな便利なものはついていないので、観光用のボート乗り場へと向かいます。
 その乗り場のボートは、青の洞窟行き専用と、島の周遊も含むものの2種類がありました。少し高いけれど、迷わず周遊のチケットを購入します。せっかく来たんですから。そして、出発。さっきの船より揺れません。ボートは小さいのにねぇ。

カプリ島

 カプリは、断崖絶壁の島です。その中にいくつか集落があるようです。普通だったら廃れてしまってもおかしくない島ですが、今でも観光客がたくさん訪れます。

カプリ島

理由は簡単、わざわざここに来るだけの価値のあるものが見られるからでしょう。これは「白の洞窟」と呼ばれるところ。この写真では良く分かりませんが、洞窟上段の部分に、天然の像のような構造物があります。

白の洞窟

ここは多分、「エメラルドの洞窟」。ちょっとした岩陰なんですけれど、光線の妙、何でしょうね。

エメラルドの洞窟

そしてここは、確か、「緑の洞窟」。小さい洞窟に入り込んだ、行き止まりの部分です。向こうからわずかに入る光が、海を照らし出しています。

緑の洞窟

同じ海の水なのに、どうしてこんなに色が変わるんでしょうね。

緑の洞窟

 しばらく退屈な航海が続いたあとに、ついに「青の洞窟」の入り口に到着します。入り口付近では、小船がいっぱい集まっています。これに乗り換えなければ中には入れません。本当に入り口は小さいのです。別料金を払って、中へ。船頭さんが、「スペシャルチップ、あとでね」と日本語で言います。料金にチップは含まれているのに。変に日本人慣れしていると、気持ち悪いです。
 入り口から内部へ侵入。頭をぶつけそうになり、船頭さんに押さえつけられました。ありがたいけど、首が痛い。

青の洞窟

中は本当に青い。入り口だけからしか光が入らず、それが洞窟中に反射します。

青の洞窟

幻想的な雰囲気。船頭さんが歌を歌ってくれるけれど、それも邪魔に感じるくらいです。この写真はちょっとブレていますけどね。

青の洞窟

 帰りの船を待つ間、海を見てボーっとすごす。ここの海も綺麗だけど、ニースの方が少し上かな。しかし、食べ物屋さんの値段が高すぎるよ、カプリは。

 宿に帰り、部屋の鍵をもらうが、なかなか開かない。建てつけが悪いようだ。結局、レセプションの人にあけてもらう。彼も難渋していた。ランドリーは近くにもないらしいので、仕方なく手洗いする。シャワーを浴びて、小奇麗になってレセプションに行ったら、日本人らしくなった、と言われた。それまではどう見えていたんだろう。
 外でお買い物。ちょっと奥まった方に行くと、変な目で見られる。どうも、ウエストポーチに注目しているような目線。ナポリでは、これは持ち歩かない方が良いかも。オレンジと洋ナシを果物屋さんで買う。オレンジがむちゃくちゃ甘い。感動的な甘さ。



 もう一度外に出る気力がわかないので、YHのレストランでご飯を食べてみた。金を払う価値なし。冷凍食品を食べているような気分だ。二度と食べることはないだろう。
 同じ部屋には日本の人が泊まっていた。色々とお話を伺う。やっぱりナポリは危ないらしい。銃で脅されて金を取られた日本人にも会ったとのこと。同室のフランス人とも少しお話をする。
 腕時計をベッドから落として壊してしまった。アラームが使えないのは痛い。代わりのものを買ってこなくちゃ。




一夜にして滅んだ、ポンペイ

ヨーロッパ旅行 第二十二日(2005年5月12日木曜日)
 ここの朝食は完全に管理されていて、パンやお茶は一人1つずつに制限されている。なんか、しょぼい。食べていて、悲しくなってきた。まあ、宿代が安いから、仕方ないと言えば仕方ないけれど。
 ヨーロッパ、特に南の方の人は、ポケットに小銭をいっぱい入れていて、そこから支払いをする。あまり財布を出しているシーンを見たことがない。今日は、彼らに習ってヨーロッパスタイルで行くことにする。
 ポンペイへは、ナポリ中央駅から、ヴェスビオ周遊鉄道で40分くらいで行けます。ナポリ駅の乗り場が分かりづらくて一苦労。中央駅には、fs線、メトロ、周遊鉄道の3つの乗り場があります。周遊鉄道の乗り場は一番奥にあるので分かりづらく、チケットを購入してから、誤って地下鉄の駅に入ってしまいました。駅員さんにお願いして出してもらう。
 何とか乗り場までは到着したのですが、ポンペイ行きの電車はまだ準備がなされていない!らしく、電車が来ません。準備されていないって、どういうことだろう。ホームで電車が来るのを待っていたら、黒人2人組にマークされそうになる。スリだろうか?完全に挟まれるのは嫌なので、さりげなく移動しました。ホームには、アコーディオン弾きの子供たちもいます。同じ電車に乗るのでしょうか。

 ポンペイの遺跡は、Villa de Misteri(秘儀荘)という駅から行ける。少し歩けば入り口に着く。途中には、果物屋さんの屋台が並んでいて、照りつける日差しの中、冷やされた果物が観光客を誘っている。僕は、水や果物は買って持ってきているので必要ない。その分、荷物が重いが。
 ポンペイは、ヴェスヴィーオ火山の噴火によって、一夜にして滅んだ街。

ポンペイ

人々が生活していた街がそのまま火山灰によって覆われたので、今も人が住んでいるような生活感が残されている貴重な遺跡。それが、今も多くの観光客を魅了してやまないのでしょう。

ポンペイ

 滅びは、一瞬にして、平等に訪れた。

ポンペイ

どれほど権威を集めた神殿であれ、

ポンペイ

富商であれ、民家であれ。

ポンペイ

その闇に閉ざされれば、ただ灰になるのみ…。なんてね。
 かなりのものが綺麗に残っているんですよね。

ポンペイ

建物もそうだし、その中の調度品なんかも。

ポンペイ

ライフラインさえ整えてやれば、今でも使えそうじゃありませんか?

ポンペイ

宗教観を漂わせるような壁画があったり、

ポンペイ

壁の落書きが残っていたり、

ポンペイ

性的な壁画があったり。英語ガイドの話を盗み聞きしたところによると、これは当時のポルノだ、と言っていましたけれど、どこまで本当かどうか。

ポンペイ

 円形闘技場。このあたりに来たときは、すでに4時間以上、炎天下の中を歩いたあとだったので、外から見ただけですけれど。なぜか、遺跡中には犬がたくさん飼われていて、ハァハァいっていました。暑さのためにね。

ポンペイ

 気に食わなかったことは、立ち入り禁止になっている施設を、鍵を持った人間が一部の人にだけ見せていたこと。追加料金を払ったのか何か知りませんが、人類の遺産の私物化に思えます。あとは、補修中の箇所がかなりあり、見学できなかったことが残念でした。

 ナポリ中央駅で時計を探す。本当にこのあたりは雰囲気が悪い。ATMでお金を下ろす気になれない。実際、ATM脇のガラスにヒビが入っているのを見たときには、驚きましたよ。時計は購入。JCBが使えるはずだったのに、通したら受け付けてもらえなかった。こういったことはよくある。
 スーパーでお買い物。水1.5リットル27セントは最安。物価は安い。レジのお姉さんも親切だった。このあたりの人々は、午後になると働くのをやめているように見える。縁台将棋よろしく、道路にテーブルと椅子を出して、カードゲームに興じていました。
 宿で晩餐。テラスがあるのでそこでご飯を食べた。

食事

ここのYHでは、なぜか猫がたくさん飼われている。ご飯を食べていたら、寄ってきて、こちらをせつない目で見つめだした。情にほだされて、つい、パンをちぎってあげてしまう。同じ猫でも、押しの強いやつと弱いやつがいるから、平等にエサをあげるのは大変。パックワイン1本とビールはやりすぎだったかな。飲み終わったら、ちょっとクラッときた。




ちょっと危険な、ナポリ

ヨーロッパ旅行 第二十三日(2005年5月13日金曜日)
本日はついにナポリ市内を歩く。ドキドキ。まずは、海岸通りを歩いて、卵城に向かう。上からの眺めはなかなか良い。

卵城

海岸線を見ることができる。

卵城

普段は中を見ることができないらしいのだけれど、このときはなぜか開いていた。

卵城

この奥では、東南アジアの写真展が行われていました。
 再び歩いて、王宮へ。日差しは暑いのだけれど、風は気持ちよい。ナポリにも、せかせか歩く人達はいるんだなぁ。

王宮

何かのイベントがあるらしく、軍のお偉いさんなども来ていました。なぜ分かったかって?勲章がいっぱい、ついているんですよ。

サン・フランチェスコ・ディ・パオラ聖堂

サン・フランチェスコ・ディ・パオラ聖堂。

サン・フランチェスコ・ディ・パオラ聖堂

天井から光が入るようになっていて、内部はひんやりとしながらも、明るいです。

サン・フランチェスコ・ディ・パオラ聖堂

かなりぶれていますけど、フラッシュ禁止なので仕方ないです。

ヌオーボ城

 ヌオーボ城。お金を取られるので、外から見ただけですが。

 ナポリ中央駅付近のレストランで昼ごはんを食べる。パスタが異常なまでに美味い。熱々で、ソースとパスタが同じ温度で区別がつかない。少しやわらかめの、モチモチの麺。あとで、トマト料理が得意な店と知った。そういうのを頼んでおけば良かったと、少し後悔。まあ、また今度来れば良いや。ナポリはやばいけど、これを食うためになら危険を冒す価値がある。そういう味。でも、店員の対応はいまいちだった。日本人を馬鹿にしている感じがありありと見て取れた。イタリア語は分からなくても、そういうのは分かるんですよ?

 考古学博物館を目指して歩いていたら、山の上の美術館の方に行ってしまう。こっちはやばいと注意されていた方。確かに、観光客もあまりおらず、静かな雰囲気が漂う。慌てて戻る。途中の広場では、コンサートが行われているようでした。
 考古学博物館に到着。少し雨が降っている。荷物を預けて中へ。展示品は彫刻がほとんど。ポンペイの出土品の展示もあった。

ミケランジェロ

いくつか引っかかる作品があったのだけれど、そのうち写真に取ったのが、これ。あとで調べたら、ミケランジェロの作品だった。数ある男性の裸像に共通する点について疑問に思う。これには何か意味があるのか。
 帰りの地下鉄は、なかなか来なかった。でも、そういうペースに慣れてきたので、疑問にも思わず待っていた。イタリアの電車って、そんなもんでしょ。スーパーで買い物をして帰る。ジュースを買おうかどうか迷う。とりあえず買わないで帰ってしばらくしたら、どうしてもジュースが飲みたくなる。仕方なく買いに行く。同じスーパーで、赤ちゃんを連れた物乞いの人が出口前にいた。卑怯だよ。帰ったら、あまりジュースも飲みたくなくなっていた。サラダも残した。このゴマのような味のする野菜は何だ?明日食べよう。

 同じ部屋に日本人が増えた。会社を休んできているらしい。自分の後悔から得た教訓を、僕にとくとくと説諭してくる。話して気持ちよくなるのなら、黙って聞いてあげましょ。あとから、色々教えてくれた日本人の人が来る。昨日、隣室から壁越しに聞こえた、おじさんの若者に対する説教に、痛烈に批判を加えだす。人に説教する前に、自分でやれ、と。あぁ、それを言っちゃおしまいよ…。
 彼は旅に出る前は、旅で得られることなどないと思っていたらしい。でも、旅で得られるものも確かにあると実感しているようだ。色々話せば気が合いそうなんだよね。
 今日、電車が来なかったのは、ストライキのためだったと判明した。ローマに渡る可能性もあったのだけれど、やめておいて良かった。




首都に到着、ローマ

ヨーロッパ旅行 第二十四日(2005年5月14日土曜日)
 ナポリでは、ガムテープで補修したような車が走っている。多分、直すお金がないから等ではなく、それで走れるからという理由で、そういう補修をしているのだと思う。
 これまで回った街では、ウィンドーショッピングをしている人をよく見かける。メインストリートを歩くときも、目的の店までスタスタと行ったりせず、一つ一つの店に立ち止まりながら、商品を眺めていくことが多い。たとえ、そのお店がお休みだったとしても。老若男女を問わず。日本ではどうなのかな?

 昨日教わった、ピッツァリエ(ダ・ミケーレ)に行く。何でも2種類しかメニューがないお店だそうな。そうそう、カプリは、昨日は青の洞窟が閉鎖されていたらしい。初日に行って正解だったな。ピッツァは目の前でつくって、釜で焼いてくれる。まさに、おじいさんの職人芸。

ダ・ミケーレ

モチモチして、弾力がある。このあたりでは、こういうモチモチしたものが好まれるのだろうか。パンも、外見はカリカリでも、中はしっとりだし。
 ここもそうだけれど、ナポリの料理人は白衣着用がスタンダードなのだろうか。まるで研究者のようだ。ピッツァを美味しく頂いて、無事、Rome行きの電車にも乗れました。ただ気になったのは、ここでも日本人の扱いが微妙だったこと。まぁ、美味しいから良いけどね。

 ローマに到着。テルミニ駅のインフォメーションは、客引きまでする。宿は駅の目の前。チェックインしたら笑われた。英語が通じなかったことが語り草になっていたようだ。日本人だったから部屋を取っておいたと言われる。光栄です。しかし、説明中何度も、理解しているか確認されるのは食傷気味。部屋に行ったら、なぜ日本人が優遇されるのかを理解できた。部屋や廊下には、日本アニメのポスターの数々。結構、コアなネタのものもある。誰か、もしくは全員が、ジャパニメーションの毒に犯されているのだろう。もっとも、それをある程度理解できる僕にも問題あり?
 ギリシア行きの船の予約がしたい。今日、明日は旅行社が休みで無理だろうけれど、場所くらいは把握しておかないと。ついでに市内観光もしてこよう。

 テルミニ駅を通過し、共和国広場を通って、バルベリーニ広場を目指す。このあたりに、ギリシャ行きの船を出している海運会社の事務所があるはず。途中、共和国広場にある教会が興味深かったので、写真に収めてみました。

共和国広場

正面がわざわざ廃墟風に作られていますよね。あとで調べたら、ミケランジェロのデザインだそうで。
 バルベリーニ広場周辺を探すが、はっきり分からない。一応、会社のロゴがある窓は見つけたけれど、どこから入ればよいのか分からない。意味なし。ついでに、いくつか旅行代理店のオフィスを発見する。だめだったら、このあたりで聞けば良いや。
 残り時間は観光に費やすことにする。やはり、ローマは「ローマの休日」の呪縛から逃れられない。…見たことは無いけど。

大道芸人

スペイン広場に向かう途中で見かけた、大道芸人。いつもは、お金を払わなければという義務感にとらわれるので、こういう写真は撮らないのだが、今回はお金を払っている人がそばにいるので、その人に便乗して撮ることにしました。ありがとう、見知らぬ人よ。

スペイン大階段

スペイン広場から、スペイン大階段までの通りのあまりの人の多さに唖然とする。登るのは、また今度にしよう。

トレヴィの泉

トレヴィの泉も人でいっぱい。コインを投げている人もいるが、投げる位置まで行くのが大変。ところで、どうしてコインを投げると幸せになれるんでしょう。

 ローマ・テルミニの地下には、24時間年中無休のスーパーがある。僕はそれを見たとき、ちょっと感激してしまいましたよ。まさかヨーロッパでそんなスーパーにお目にかかれるとは。しかも、カードが使えるのでとても便利です。果物とサラダと牛乳とパン、あと、無性に食べたくなった鳥の丸焼きハーフを購入してしまう。でも、宿に食べる場所がないんだよな。こっそり部屋で食べるしかないか。



 洗濯は、近くのランドリーで行う。洗濯物を預けると、むこうが洗濯してくれる。コインランドリーなのに、サービス過剰。回転率を上げるための工夫なのだろうか。僕が持っていった洗剤は、1回使いきりの水で溶けるパックの洗剤なのですが、それを渡したらたいそう驚いていました。日本の洗剤は、こんなの何だってさ、と仲間に言っていました。
 この洗濯物がなければ、ナポリに晩御飯を食べに行っていたかもしれません。それほど、ナポリのご飯には魔力があります。しかし、こんなアホなことが考えられるのも、ユーレイルパスのおかげだね?
 6人部屋に、僕も含めて男が2人。他の4人は言うまでもありませんね。まあ、他に一人いるだけまだましだけれどね。でも、パンツを洗濯して干しておくのは止めようね?この部屋の住人は帰還が早く、午後9時過ぎには皆様、御就寝。




ヴァチカンを抱える、ローマ

ヨーロッパ旅行 第二十六日(2005年5月16日月曜日)
 何はともあれ、ギリシア行きの船の予約をしたい。イタリア南部の港町、バーリからギリシャ第三の都市パトラまでのフェリーには、ユーレイルパスで乗れるものがある。ただしこれは、デッキ搭乗権のみなので、船には乗れるが船室には泊まれない。僕は軟弱なので、ちゃんと寝ないと次の日に祟ってしまう。だから、キャビンを予約しておきたいのだ。
 先日探しておいた旅行代理店回りをする。1件目はマシントラブルで予約自体が不可能。2件目は言葉が通じず。学生旅行社は船を扱っていない。海運会社のオフィスの近くの旅行社は、”No reservation!”と言われて、追い払われてしまった。僕が上手く英語を話せなくても、説明してもらえれば理解できるのに。英語ができないと見るや、説明の手間も省くなんて。意気消沈す。
 いつまでもこんなことに時間をとられていると、観光する暇がなくなってしまう。ぶっつけ本番。現場に行けば、何とかなるさ。

 昨日はヴァチカンの中を見ることができなかったので、見に行きたい。再び1時間くらい歩く。今日も暑い。あまりの暑さに、途中でジェラートを買うことにする。観光スポットでは高いジェラートも、少し外れでは安くなる。いや、同じ値段で量が増えると言った方が良いか。2種類のジェラートで1種類と同じくらいの値段。満足、満足。
 まずは、サン・ピエトロ寺院に行く。ここに入るには、ボディーチェックを受ける必要がある。相変わらず多い観光客の群れにくっつき、じわじわと進んでいく。ベルトコンベアにウエストポーチを乗せたら、出口で盗難防止用鎖の金具が機械に巻き込まれていた。引っこ抜いたら、金具が壊れた。ショック。…ビー、ビー、セキュリティーが低下しました。対処してください…。
 流れに沿って、思わず行列に並んでしまう。後から分かったが、これは、トンバ(墓地)と塔へ登るための行列だった。それは別に見なくても良かったのに…。だが、ここまで並んでしまった以上、後には引けない。
 くるくるくるくる…。螺旋階段トンネル?を一生懸命登っていく。風通しが悪く、人がいっぱいいるので暑い。圧迫感で変になりそうだ。がんばって進むと、ようやく広いところへ。

サン・ピエトロ寺院

ドームの上段に到着しました。ここで、日本人の新婚旅行っぽいカップルが、キャーキャー騒いでいて、少し恥ずかしかった。高所恐怖症ならば、登らなきゃいいのに…。

サン・ピエトロ寺院

 これで階段は終わりではありません。また狭いところに戻って、くるくるくにゃくにゃ…。ドームの外周に沿って登っているので、今度は傾きが加わります。平衡感覚がくーるーうー。ホッと一息、頂上へ。

サン・ピエトロ寺院

あたりが見渡せて気持ちよいのかもしれませんが、狭いところにこんなに人がいては、じっくり見ることもかないません。早々に退散。
 展望台を抜けると、かなり広いところに出る。トイレや土産物屋がある。こんなところにも土産物屋が…。商魂たくましい。

サン・ピエトロ寺院

上まで来た記念に、ドーム部分を撮ってみました。下からでは撮れない写真。
 下に降りて、内部を鑑賞する。

サン・ピエトロ寺院

上の明るく光っている部分のさらに上が、先ほど上った部分なのです。そしてここにもミケランジェロの作品が。

ミケランジェロ

フラッシュの光が邪魔ですけど。

聖ペテロ

聖ペテロのブロンズ像。なでると幸せになれるとか。でも、信者じゃないと効かないと思うんですよね。
 ヴァチカン博物館の見学。疲れもあるので、ポイントを押さえるだけにしよう。システィナ礼拝堂を目指しつつ、鑑賞。

ヴァチカン博物館

フラスコ画。いま思い出したけれど、ヴェネツィアにはフラスコ画がないらしい。なぜだと思いますか?正解は、湿度が高いため剥がれ落ちてしまうようです。だからカンバスに描いたイコンなどが多いのでしょう。

ヴァチカン博物館

モザイク。そして圧巻は、これ。

ヴァチカン博物館

回廊中が絵で埋め尽くされています。

ヴァチカン博物館

ラファエロの手によるものらしいですけど…。すごい数。描くとき、首が痛くならなかったのかな?
 システィナ礼拝堂。

システィナ礼拝堂

 最後の審判(ピンボケ)。青が鮮やかで、戦いの場面とは思えない。ここは私語厳禁なのに、欧米人は騒ぎまくり。フラッシュ禁止なのに、ピカリ。このピンボケは、ルールを守った結果であります、隊長!ヴァチカンは、祈りの地ではなく観光地だと痛切に感じる。

 ヴァチカンから帰りながら、トレヴィの泉やスペイン大階段による。トレヴィの泉では水が触れて満足。スペイン大階段を登っていくと、上にも道があった。あと、似顔絵描きがいっぱいいた。坂道を下り、もう一度旅行社にいく。今度はがんばって、事情説明もした。すると、まじめに聞いてくれて、詳しい説明もしてくれた。どうも、キャビンの予約だけというのはできないらしい。チケット購入と同時ならできるのだが。残念。念のため、JCBデスクでも聞くが、有効な情報はなし。まあ、もともと扱っていない事柄なので、ダメもとだったから、問題はなし。ただ、ね…。

 いったん宿に戻ってから、食事に行く。昨日、日本人の人から聞いたお店に行こうと思うが、場所をよく覚えておらず、行ったり来たり。結局見つからず、諦める。最終的には、宿に程近いレストランに行く。席に着いたら酔っ払いのおじさんが注文を取りに来たので何事かと思ったが、ここのオーナーのようだった。カルボナーラと鳥の串焼きを注文。昨日のところよりは断然美味い。素材の味を生かした味付け。日本料理と通ずるものがあると思う。さっきのおじさんが孫の子守をしている風景を見ながらワインを飲む。どこの国でも、子供に向ける表情は同じだ。和む。
 今日の部屋の住人は、帰りがそれ程早くないようだ。先に休ませてもらおう。




アドリア海の港街、バーリ

ヨーロッパ旅行 第二十七日(2005年5月17日火曜日)
 今日はあいにくの雨。宿から駅が近くて幸いだ。午前7時38分の電車でBariに向かう。

ローマ テルミニ

これは昨日のテルミニ前の風景。この中に写っている、ある二人に感動したので、遠巻きに写真を撮る。あまり近くで撮っては失礼かと思ったので。彼らは毎日同じ場所に居られました。どんな状況にあっても、こんな風にいられる人間でありたい。

 5時間ほどの旅でバーリに到着。30分ほど電車が遅れた結果、昼休みの時間に入ってしまう。南の街は、昼休みが長いのでまずい。船のチケットの問題があるので、閉まると困る。実際、旅行代理店に入ろうとしたら、ブレイク、ブレイクと言って、笑いながら拒絶されてしまいました。
 仕方ないので、荷物を転がしながら港に向かいます。港には、オフィスがあるだろう。なきゃ、おかしい。問題は、港の位置が良く分からないこと。適当に、海の方へ向かいます。途中、アメリカ人に観光スポットを聞かれるが、そんなところ知りません。いや、そんな余裕はありません。
 汗をダラダラかきながら、オフィスに到着。ここの人もせっかちさん。僕がユーレイルパスを持っていると言いかけたら、port taxとして何ユーロかよこせといってくる。人の話は最後まで聞け!キャビンには2人部屋と4人部屋があるらしい。迷わず4人部屋を取る。どうせ今の時期は空いているでしょ?無事、チェックインも済む。
 安心してご飯を食べに行こうと思うが、ランチタイムは過ぎている。新市街の方まで戻って、レストランに入るが、どうもあわただしい。ゆっくりメニューも選ばせてくれない。結局、お勧めどおり、ピッツァを注文。なぜせっついたかは、食べ終わる頃に判明した。団体客がどっと来たのだ。どうやら、予約客が来るまでに片付けてしまいたかったらしい。それならそうと説明してくれれば良いのに。人ごみを掻き分けつつ、会計を済ませる。これじゃ、黙って帰っても分からないんじゃないのか?



 まだ昼休みで、店は開かない。水が買いたかったが仕方ない。さっきとは違う道を通りながら港を目指す。物乞いの人を見たら、ふと、自分が旅行者なのだと思い知らされた。定住者とは違う。各地で物乞いの人を見かけたが、大体彼らは人の集まるところにいる。観光客が目当てなのだろうが、彼らに施しを与えるのは地元の人が多いようだ。例のごとく、ポケットから、何十セントの硬貨を出して、コップに入れていく。
 物乞いの人には色々いて、イスラム系の人だったり、子供だったり、障害者だったり。座っていたり、拝んでいたり、土下座していたり。彼らは政治の犠牲者なのかもしれない。敗者が生まれることによってのみ、勝者が君臨することができるのが資本主義だから。仮に、観光客である僕が施したとしても、それは一時しのぎにしかならないはずだ。そうやって稼げると知ったら、自分では何もしない人になってしまうかもしれない。彼らの問題を本質的に解決するためには、そこに住んでいる人が何かをしなければならない。自分達のゆがみが生む問題を日々見つめながら生活していく。それはどんな気持ちだろうか。
 日本はどうか。僕は、東京のホームレスが社会の被害者だとは考えていない。すべてがそうではないかもしれないが、彼らは一つの生き方として、そうあることを選んだのだと考えている。ヨーロッパにあるような、人種的、宗教的問題とは本質的に違う。
 しかし、世界という舞台では、日本は間違いなく勝者の部類に入るであろう。少なくともいまは。ならば、僕は自分の住む国で何かをしなければならないのだろう。様々な場所にあるであろう問題を解決するために。遠い国にあっても、何かをすれば、いずれ伝わっていくと信じて。
 旅行者は気楽だ。せいぜい、自分の食べるものと寝るところの心配だけをしていればよい。消費するだけで、生産する必要はない。問題があっても、通り過ぎれば解決する。良いところだけを見て満足できる。死ぬまで旅行者でいることだって不可能ではないだろう。でも、僕は定住者でありたい。世界に何かを残したい。できるなら。そのことを実感できたただけでも、この旅には価値がある。

 旧市街へ入る。新市街は碁盤の目のように道路が走っているが、旧市街は道が入り組んでいて分かりづらい。

バーリ

カテドラーレ。十字軍の時代に立てられたらしい。バーリは前線基地だったそうな。

バーリ

城。無骨だけれど歴史を感じる。石畳ががたがたで、荷物を転がすのが大変だった。

 午後5時になったらバスが来るといっていたが、なかなか来ない。そう思っていたら、さっきから走っていたワゴン車がバスだったらしい。分からないぞ、普通は!

フェリー

 フェリーは思っていたよりずっと立派。クルーもかっこいい制服を着ている。船室は4人部屋に2人だった。シャワーもついている。エンジンの振動音が少し気になるが、電車に比べれば揺れないだろう。
 出港。

港

間際まで、車が乗り込んできた。1台、出港してすぐに港に来たけれど、乗る予定だったのだろうか。こんなにギリギリまで来ないなんて、少しおおらか過ぎるんじゃないですか?
 中のレストランで食事をとる。タコとたまねぎのシチュー。冷めていたけれど、タコは柔らかかった。カードが使えるのが嬉しい。デッキでビールを飲む。風が強い。
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