2006年の社会に関するニュース紹介


 2006年の社会に関するマスコミなどによるニュースを紹介し、感じたことや考えたことを記事にして公開しています。

覚えた単語は良く出てくる
実名報道の閲覧を制限 - 高専生殺害
 山口県周南市の徳山工業高専で中谷歩さん(20)が殺害された事件にからみ、三重県立図書館(津市)が、死亡した容疑者の男子学生(19)を実名報道した読売新聞について男子学生の実名や顔写真の部分に白紙を張り、閲覧に制限をかけていたことが12日分かった。同様に実名報道をした「週刊新潮」についても、愛知県図書館など全国の複数の図書館が開架式の閲覧コーナーからカウンターの中に移し、閲覧を制限している。

 日本図書館協会(東京)の「図書館の自由に関する宣言」は、原則として特定資料の特別扱いや書架からの撤去・廃棄はしないと明記。同協会は新聞の閲覧制限を「聞いたことがない」としており、国民の「知る権利」もからみ各図書館の措置は議論を呼びそうだ。

 三重県立図書館によると、紙面の一部を白紙で隠したのは、8−10日付の読売新聞朝刊。「少年法を順守する立場から、当該部分に覆いをした」というコメントを添えたうえで、入館者に閲覧させた。「公の機関では“少年”という発表にとどまっている」などの理由から、8日朝に館長らがこの措置を決定し、12日に解除した。週刊新潮についても山口の事件を特集した数ページを袋とじにしたうえで雑誌の棚から撤去し、カウンターで貸し出す措置を取った。

 図書館9館2室を持つ津市も、8−10日付の読売新聞朝刊と週刊新潮を一般の閲覧コーナーからカウンターに移動。愛知県図書館(名古屋市)も週刊新潮を開架式の書棚に置くのを控え、三重県伊賀市上野図書館も7、8両日に同様の措置を取った。

 また、大阪府豊中市の市立図書館と奈良県香芝市の香芝市民図書館も、読売新聞を一時閲覧できないようにしたり、記事に紙を張って隠す閲覧制限をしていた。

 ■松岡要・日本図書館協会事務局長の話 それぞれの図書館の判断に委ねられるべきだが、少年法の解釈を図書館自らが行うことについては慎重であるべきだ。図書館は検閲機関ではない。出版されたものについて閲覧などの規制をすることは、図書館の役割自体を否定することになる。
 この前、有川浩「図書館内乱」を呼んだ。彼女は最近お気に入りの作家の一人だが、本作はその最新刊。検閲が合法化された世界で、図書館の自由を守るために、検閲を行う法務省の下部組織と武力闘争を繰り広げる図書隊のメンバーのお話とか、そんな感じの本。

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 今朝、何とはなしにニュースを聞いていたら、上記の記事の内容が流れていた。読んだ内容と比べてあまりにもタイムリー。良く、聞き覚えた言葉は良く耳にするようになるという話があるけれど本当かも。
作成:09/12/2006 14:20:32
あなたならどうする?
男性救助せず登山続ける エベレスト登頂めぐり議論
 【キャンベラ25日共同】15日に、両足を切断した人で初めて世界最高峰のエベレスト(8、850メートル)登頂に成功したニュージーランド人のマーク・イングリスさん(47)ら約40人が、頂上付近で倒れている男性に気付きながら救助せず、登山を続けていたことが分かった。男性はその後、酸素欠乏で死亡した。  1953年に世界で初めてエベレストを征服したニュージーランドの登山家エドマンド・ヒラリー卿(86)は、男性を見捨てたと非難しているが、イングリスさんは「自分ができることは何もなかった」と反論。登山家の倫理をめぐり議論を呼んでいる。  ニュージーランドでの報道によると、死亡した男性は英国人のデービッド・シャープさん(34)。単独で登頂した後、約300メートル降りたところで酸素不足のため倒れたとみられる。
あなたならどうする?
作成:05/28/2006 14:25:12
ご冥福をお祈りいたします
萱野茂さん死去:先住民の権利訴え アイヌ文化継承に尽力
 時の政府や時代に翻弄(ほんろう)されながら、先住民の権利や自然との共生を訴え続けた人生だった。6日亡くなった元参院議員で著述家の萱野茂さん。昨年夏、胆振管内白老町に「イオル」(アイヌ語で伝統的生活空間を意味)再生構想が実現に動き出した。アイヌ文化伝承など、生涯をかけて訴えた思いが浸透し始めた時だけに、死を悼む声が広がった。  平取町二風谷地区で生涯の大半を過ごした萱野さん。その人生は苦難の連続だった。尋常小学校に入る前の昭和初期、父清太郎さんはサケ密漁の疑いで逮捕された。「アイヌはサケを絶やさないように必要な分だけ取って共生してきた。父は取ったサケを生活に困っていた近所の人に配っただけ」と不満をぶつけた。  アイヌ文化の風化に危機感を感じていた萱野さんはアイヌの民族衣装や狩猟、儀式用の道具を集め始め、収入の大半を用具の買い取りなどに投じた。72年6月、自宅前に資料館を開設。半世紀かけて同館などに収蔵された生活用具1121点は、02年、国の重要有形民俗文化財に指定された。  萱野さんは94年8月、アイヌ民族初の参議院議員(当時の社会党)に、繰り上げ当選。97年のアイヌ文化振興法(アイヌ新法)の制定に尽力した。98年に政界を引退したが、昨年夏、アイヌ民族の悲願であるイオル再生構想の事業化が決まり、国が今年度予算を計上している。  萱野さんは二風谷ダム着工後の93年、「アイヌ民族の聖地を強制的に奪うことは財産権を補償した憲法に違反する」と道収用委員会の強制収用裁決の取り消しを求めて札幌地裁に提訴。97年に「ダムはすでに完成している」として請求は棄却されたが、「国はアイヌ文化に対し、最大限の配慮をしなければならないのにそれを怠った」と萱野さんの主張を認め、ダム建設を違法とする画期的な判決をもたらした。  萱野さんは「自然を壊し、借金を増やす。日本の政治家は将来のことを考えているのか」と現状を憂いた。一方で、「100人の評論家より1人の実践者として、アイヌ文化の継承・普及活動は今後も続けていく」と死の直前まで文筆活動を続けた。【田中泰義】  ◆各界から悼む声  萱野さん死去の知らせに、道内各界から死を悼む声が上がった。  二十数年の交流があり、北海道の自然やアイヌ文化について多くを学んだという脚本家の倉本聰さん=富良野市=は「自然の中を一緒に歩きながら、ナチュラルライフの原点のようなものを教わった。二風谷のダムの騒ぎのときは最後まで闘われ、アイヌ語辞書の編さんとともに後半生を捧げられた。語弊を恐れず言えば、最後のアイヌ民族、長老でした。原野の中を歩いている姿こそ先生の真骨頂。北海道のご先祖が亡くなったような感じがします」と話した。  北海道ウタリ協会の加藤忠理事長(67)=胆振管内白老町=は「まだまだ多くの活動をなさっていくものと期待していたのに」と残念がった。「人柄がやさしく、非常に印象が良い人物だった。説いて聞かせるようにゆっくりと話す姿が思い出深い」。今後業績を称える方策を検討していく。  旧社会党時代にともに人権問題に取り組み、党アイヌ民族委員会の事務局長を務めた佐々木秀典・前衆院議員(71)は「知識をひけらかさない、控え目で温厚な方だった」と話した。また政界を引退して以降の功績に触れ、「下野してこそ、大きな仕事があると信じていた。議員を辞めたほうが、伝承活動に本腰を入れることができ、生き生きしていた」と話した。  アイヌ民族の生活様式や民話をつづった萱野さんの絵本の英訳に携わったピーター・ハウレットさん(51)=函館ラ・サール高英語講師=は「萱野さんは現代に価値のある北海道の遺産を伝えてくれた」。萱野さんは3月末、ハウレットさんに、日本語に訳していない民話のテープが約300時間分あると説明。このうち二重丸を付けたテープについて「これはいいやつだから翻訳しなければ」と語ったという。  萱野さんの参院議員時代、政策秘書だった滝口亘さん(69)=札幌市=は「アイヌ民族が国会議員として存在する重さを感じた」と振り返る。警察学校の教科書に「日本は単一民族国家」との記述があり、国会で萱野さんが問題にしたことがあった。警察庁は陳謝し、作り直すと約束。「批判を受ける側は真摯に対応せざるを得なかった。当時の国会にはそういう空気があった」と話した。  また、高橋はるみ知事は「多くの皆さんが、まだこれからのご活躍を期待されていたことを思いますと、誠に残念でなりません。心から、ご冥福をお祈り申し上げます」との談話を出した。
ご冥福をお祈りいたします。
作成:05/07/2006 14:28:30
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