2010年の日常に関する思索/批評のページ


 2010年の日常に関連する記事を掲載しています。

bk1、Amazon.co.jp、楽天ブックスの実質割引率を比較しよう
【オンライン書店】
 ここ数年は本を買う際にはオンライン書店を利用することがほとんどだ。利点は色々あるのだけれど、(1)新刊が早く確実に手に入る、(2)ポイントなどの併用で実質割引率が高い、の2点が大きい気がする。
 ボクが良く使うオンライン書店を利用頻度順に並べると:

第1位 オンライン書店ビーケーワン(bk1)


第2位 Amazon.co.jp


第3位 楽天ブックス


となる。


 先ほど挙げた2つの利点のうち、(1)新刊が早く確実に手に入るについてこの3店を比較してみると、以下の様になる。(Fig.1参照)

Fig.1 オンライン書店の利便性

オンライン書店の利便性


 楽天はキャンペーン中のみだが、アマゾンと共に完全送料無料。ビーケーワンは1,500円以上は送料無料だ。また、ビーケーワンは個人責でのキャンセルができないことが痛い。
 ビーケーワンには関東圏の当日配達サービスがあり通常は250円の料金が必要だが、一定以上のヘビーユーザーは無料でサービスが利用できる。楽天ブックスは速達メール便での出荷となる。
 書評は、量とスピードではアマゾンに、質では査読が入るビーケーワンに軍配が挙がると思う。


 次に、(2)ポイントなどの併用で実質割引率が高い、についてまとめたのが次の表だ。(Fig.2参照)なおこの議論では、クレジットカードのポイントは考慮に入れていない。

Fig.2 オンライン書店の実質割引率

オンライン書店の実質割引率


 ビーケーワンには、毎月定期的に送られてくる300円ギフト券があり、3,000円以上の注文に対して利用可能だ。(月3〜8回程度)さらに、不定期に10,000円以上の注文に使える500円ギフト券も存在している。また、通常注文では1%、10,000円以上注文では1,000ポイント(1,000円相当)のbk1ポイントが付与されるのも魅力的だ。
 外部サイトを利用すると、アフィリエイトやポイントサイト経由の購入で、最大5%のキャッシュバックもある。このような仕組みを併用すると、最大で17%以上の実質割引率を実現することが可能だ。
 なお、Eのケースで手数料が250円となっているのは、予約一括出荷で注文した際に先行出荷を1回利用することを想定している。
 アマゾンでの書籍購入の場合、ポイントはつかないのが普通だが、人気商品には10%のポイントをつけるキャンペーンが存在しているため、上記の様にしている。また、外部サイトを利用すれば、最大3.5%のキャッシュバックが可能だ。これにより、最大で実質割引率は11%以上となる。
 ただし、Amazonアソシエイトなど、自己購入を排除する仕組みが存在していることも多いので注意が必要となる。

 楽天ブックスの場合は、常時1%ポイントバックで、一定金額以上で5倍、特別キャンペーンで10倍など、時間帯・時期によるキャンペーンが存在しているため、上手く活用すれば、実質、9%以上の割引を実現することも可能になる。

 なお、F割引率の計算式は、現金還元の場合は料金から直接減算し、ポイント還元の場合は次回利用で初めて割引効果が生じるため、分母に加算することで割引効果を算出していることに注意していただきたい。


 この様に、オンライン書店にはそれぞれ一長一短の特徴がある。個人的にはビーケーワンをオススメしたい所だが、それぞれの利点を見極めて、有効に活用する一助となれば幸いです。
ライトノベルは何によって評価する?
【ライトノベル】
 元々、第1回講談社ラノベ文庫新人賞募集の広告から今回の議論は始まったので、ライトノベルの定義って何だろう?でしていた議論だけだと、元の疑問に対する答えには足りない感じがする。結局、ライトノベルはどんな評価軸で評価をすればよいかには全く触れていないからだ。そこで今回は、ライトノベルの評価軸について検討してみたい。 Fig.1 ライトノベルの評価軸(案) ライトノベルの評価軸
 というわけで、またいきなりライトノベルの評価軸(案)をたたき台として出してみる。(Fig.1 参照)ここでオレンジに色分けしてある部分は、前回の議論と連携が取られている。  まず、ライトノベルという分野があり、それに関する多くのレーベルがあるという事実から、ただ面白いだけではなく、”ライトノベルであること”もある程度は求められていると考えるのが妥当だ。そこで、ライトノベルであることの適合性を検討しているのが、Fig.1でオレンジ色に分けられている部分である。  @のラノベ性は、ライトノベルであることに対する形式的な適合性を示している。つまり、様々な”お約束”がどの程度盛り込まれているかを評価する部分だ。Aの共感は、ライトノベルであることの感覚的な適合性を示している。形式だけお約束が整えられていても、そこに心がなければ白けるだけ。これぞまさにライトノベルだ、と読者がどの程度思えたかの感覚的な評価をここに反映する。  A〜Dは前回の議論の中には含まれてはいない。しかし、前回指摘したように、ライトノベルとは時代が生み出すものであって、常に変化をしていくものであると思う。こう考えた場合、型どおりにハマっているだけでは、その進取の精神を評価しきれない可能性がある。そこで盛り込んだのがこれらの項目である。  A独創性、D構成力は特に説明を付け加える必要はないと思う。Bエネルギー・迫力は、読んでいるときに読み手が感じる、新しいもの作ろう、面白いものにしよう、という様な作者の意気込みを評価する部分だ。そしてCテンポ感は、ライトノベルのライトという部分を象徴するような、スピーディな展開、現代を象徴する言葉遊びなどの言い回しなどを評価する。  ひとまずこの様な感じで評価軸をまとめてみた。個人的な感覚から、保守性よりも革新性を高く評価する仕組みになってしまった気もするが、取りあえずのたたき台には成りそうな気がする。 《書評の書き方(改)》につづく。
ライトノベルの定義って何だろう?
【ライトノベル】
 週刊少年マガジンを読んでいたら、第1回講談社ラノベ文庫新人賞募集という広告が目についた。そこには次のようなアオリが書かれていた。

「ライトノベルというものは、未だ確定した定義はない様ですが、主要な書き手と愛読者の間では、何かしら確実な共通認識はすでに生まれています。この文章を読む方で、とくに、新たな作品を『ライトノベル』として生み出したいと思っている方々は、すでに間違いなく、その本質を理解されていると思います。(後略)」

 この文章を読んだ瞬間に思ったことは、「定義も分からないのにどうやって評価するのだろう?」という単純な疑問だった。読者は読んで面白いか否かが作品の全てだけれど、出版社はそれじゃプロと呼べない様な気がする。なぜ面白いのかがあって、面白くないものをどうすれば面白く出来るのかを追求するのが出版社じゃなかろうか?それなのに、定義が分からん!と投げっぱなしの姿勢は共感できない。
 ここで我が身を振り返ってみて、自分はライトノベルが何か分かっているのだろうか?と疑問に思った。ボクは一般読者なので、別に定義が分からなくても作品を楽しむことが出来る。しかし、他者を批判するからには、自分なりの立ち位置を最低限、明確にしておく必要がある気もする。そこで、この機会にちょっと整理してみることにしました。

 なお、あくまでも以下の議論は、ボクが身近な本棚を見回して、目についた範囲で検討したものに過ぎないので、十分な網羅性がある見解だとは思っていません。あくまで議論のたたき台にする仮説程度のものだと理解してお読みいただければ幸いです。


 ライトノベルとは何か?という問いに答えるために、まずはライトノベルの構成要素は何かという問いを出発点としたい。どういった要素があればライトノベルと呼べるのかを、ボトムアップの観点から洗い出しを行い、それをグループ化することで構成軸を明確にしようという試みだ。
 手近にあるいわゆるライトノベルレーベルの本を眺めて、それにどんな要素があるかを洗い出してまとめたのが次の表だ。(Fig.1 参照)

Fig.1 ライトノベルの構成要素

ライトノベルの構成要素


 いきなりがっつりとまとめてあるので一見して理解し難いかもしれない。まずは構成要素を洗い出して成分にグルーピングした。成分にブルーとピンクがあるのは、同じ分解軸の中で方向性の対立構造があるという仮定に基づいている。

仮説1

ライトノベルは理想像の射影である

 一般小説は、著者の現実を書き下ろしたものであると考えて良いだろう。現実の経験をさらけ出して抽象化し、適切にフィクション要素を付加してまとめる。あるいは取材に基づいて再構成する。どれほど架空世界を構築したとしても、そこに生きている人間は現実の存在であるからこそ、小説として意味があると思う。
 一方、ライトノベルレーベルの小説は、現実から乖離した設定であることが多い。登場する主人公は大活躍し、また異性によくもてることが多い。必ずしも現実の人間を反映したものである必要はなく、むしろ現実を忘れさせたり、現実を面白く解釈したりする物語の方が読者に受け入れられやすい気がする。
 このように考えると、ライトノベルとは、著者の、あるいは著者が想定する読者の理想を文章として結実させた作品だと考えて良い様に思える。ゆえに、仮説1を提示することとする。


仮説2

ライトノベルは読者を強く意識している

 これまでの議論の中で、読者の存在を意識した。一般小説においては、私小説などの例もある様に、著者の考える世界が全てであり、極論すれば読者がいないとしても小説として成立するだろう。これは素人的な意見かもしれないが、ノーベル文学賞を受賞する様な作品には、分かりやすいエンターテインメント性は無い。そこで評価されるのは、文化であり、描かれる人間であり、強烈なメッセージ性である。
 一方、ライトノベルは読者がいなければ成立しない。売れないラノベが打ち切りになるのはよくある事だし、この本は儲からなくてもよいから出版する価値がある、などという判断が編集によってなされることは無いはずだ。売れることが正義、エンターテインメント性が全てなのである。ゆえに、ライトノベルは読者の存在なくして出版され得ない。
 この議論は、メタ要素を含んだり、人気ラノベ等を模倣・参照した様な作品が多いことからも補強される。


仮説3

ライトノベルは、現実像と理想像の間で一定の束縛を受ける

 仮説1、2を前提とすると、読者が喜ぶものならば何でも良いということになってしまうが、実際にはそこまで無軌道なものが売れることはあまりない。何を規範としているかを明確に指摘することは難しいが、社会的道義性など現実世界から一定の制限を受けたものとなることが多い。この結実したものが「お約束」と呼ばれる型だろう。そしてこれは、より簡潔で分かりやすいことが好まれる傾向がある。
 この様に、ライトノベルには、理想へ向けて突っ走ろうとする方向性と、現実へと引き戻す方向性が対立軸として存在していると考えられる。


 以上の仮説1〜3を考慮して整理したものが、<Fig.1 ライトノベルの構成要素>である。この議論は、思いつきをベースとして書いたものなので、十分なデータや論理性がないかも知れない。そして、今の所はそれらを求めようとも思っていない。なぜなら、研究論文のつもりもないからだ。
 だが、これにより、個人的にはライトノベルの範囲がどういうものか見えてきた気がする。そして、この分類法によれば、現在ライトノベルのレーベルから出版されている書籍のうちにも、ライトノベルのジャンルから飛び出しているものは多くあるという結論が導かれる。

 これまで、ライトノベルのジャンルから一般文芸へと抜けだそうというラノベ作家たちは多くいた。桜庭一樹氏などを筆頭に、有川浩氏など、枚挙にいとまがない。(その割には例が女性作家ばかりだが)
 この動きは、作家のエゴみたいなものと捉えがちかもしれないが、実は違うのかもしれない。ライトノベルが読者を重視するならば、この動きは読者の変化を捉えたものという見方もできる。

 ライトノベルは、いままさに現代を生きる小説だ。これからもどんどん変化していくことは間違いない。
ネット上の議論は大概徒労に終わる
【ネット】
 6月くらいからある閉鎖系ネットコミュニティのメンバーに招待されたので、掲示板の書き込みをよくROMっている。このコミュニティ自体、メンバーの物欲をさらけ出させる様な仕組みなので、書き込みも嫉妬や我欲を丸出しにしたような内容で面白くも醜い。
 この書き込みを見ていると、相手を議論で打ち負かそうとしたりする内容のものがある。メンバーに選ばれたという意識があるせいか、自分の書いた内容に自信を持っていて、知識をひけらかすような書き込みだったり、相手を見下したような書き込みをする人がいる。そしておそらく、これらの人の平均年齢は40歳以上の様な気がする。

 しかし、このネット上での議論というのは、絶対に収束することがないというのが経験的な事実だ。この事実を学生の時に悟り、以後は、メールは連絡事項等の伝達をメインとし、話し合う余地があるものについては電話連絡するというのを自分の基本スタンスとしている。
 この学生の時にあった出来事とは、次の様なものだ。

 当時ボクは、ある分野の研究者コミュニティに属していた。そこでは、若手研究者のみを集めて合宿形式の勉強会を年に一回開くのを常としていた。そこに数百人の大学院生が集結したわけだが、22歳以上の人間ばかりだったのにも拘らず、集団心理も働いたのか、ちょっとした不祥事があった。
 自浄作用を働かせるべく、有志一同が集まって再発防止の委員会が結成されたのだが、メンバーが全国各地に散らばっていたこともあり、議論は主に同報メール上で繰り広げられた。

 有志が集まったので、メンバーにはそれぞれやる気がある。メールを書けば千字、二千字は当たり前で、長文メールが応酬された。しかし、基本的出発点のすり合わせをすることもできなかったので、各者各様の意見が入り乱れ、一向にまとまることがない。みんな大学院生なので、それなりに小知恵も回り、変に知識もあるので、妥協するということを知らないのだ。
 ボクも当時は個人パソコンを持っていなかったので、共有のUNIX端末からアクセスし、メーラを立ち上げて長文メールを書きまくっていた。だがあるとき、この議論は絶対にまとまらないなと気づき、メールするのをやめた。そして参加メンバーが少なくなり、リアルに集まれる程度の人数になった頃、議論はようやく収束したのだった。
テレビ局の思惑を粉砕してくれ
【テレビ】
 テレビ東京の爆食女王戦を見た。秋の大会は女王菅原がテレビ局の思惑により出場辞退させられ、そこで新王者が誕生したので、今大会は王者統一戦の意味も併せ持つ。テレビ局としては、王者アンジェラ佐藤に勝利してもらいたいところだったろう。
 しかし、見せ場は作ったものの、最終的な勝者は魔女菅原。アンジェラ佐藤は引退もほのめかしていたので、せっかく作ろうとしたアイドルが消えてしまうかもしれないね。いい気味だ。
 やはり実力重視の大会に変な作為を持ち込もうとするのは良くない。
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