イギリス旅行記

項目 内容
正式名称 (首都) グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国 (ロンドン)
通貨単位 UKポンド(GBP) (1 UKポンド=138.29円、2009/03/31現在)
人口 (国土面積) 約6,100万人(2007年) (244,820ku)
GDP (ドル換算) 約2.8兆ドル(2007年)

 イギリスの旅行記を年別に分類して掲載しています。

【2005年】


初めての海外旅行、ロンドンまでの道

ヨーロッパ旅行 第一日(2005年4月21日木曜日)
 前日の夜に早めに寝るも、不安で目が覚める。午前1時。荷物にはなるが、やはり寝袋を持っていくことにする。何せ、初めての経験なので何が起こるかわからない。眠る方法だけは確保しなくては。ユースホステル(以下、YHと略記)の中にはシーツ代を別に取るところもあり、寝袋を持っていれば払わなくて良いなどと言う、ベテランならではの知恵以前の問題である。
 寝袋をキャリーバックに無理やり括りつけ、やっと一安心する。4月のヨーロッパはまだ寒いと言うので、ダイソーで買った網袋にジャンパーも入れたため、元のキャリーバックと同じくらいの大きさの付属品がついている。非常に不安定だ。これらは手荷物として持ち込む予定のため、リュックと共に、同じくダイソーで買ったバンドでまとめてある。

荷物

 そこまでしなくともチェックインさせれば良いだろう、と言う意見もあるだろうが、アエロフロートロシア国際航空(以下、アエロ)をそれほど信用できない。何しろネット上には、荷抜きや切り裂きなど、預け荷物に関する被害の報告が多すぎる。1度乗ってしまえば、慣れて預けることもできるのだろうが、何度も言うように初めてなのである。もしも、Lost Baggageになってしまったら、どうしようもない。不安の種は尽きないのだ。そのため、本来は持って行きたいナイフなどの危険物は抜いてある。

 ここで、持ち物を確認しておこう。
移動関連品
・旅券(パスポート)
・バウチャー(搭乗券引換券)
・ユーレイルパス(1ヶ月連続)
・予約番号控(Easy Jet、宿泊関連)
・国際キャッシュカード(新生銀行)
・クレジットカード(VISA, MASTER, JCB, AMEX(海外傷害保険自動付帯))
・現金(JPY)
・「地球の歩き方」(ヨーロッパ、中欧編、各都市の地図のコピー)
・「トーマスクック時刻表」初夏版
・「ユースホステルガイド」
・国際学生証(ISIC)
・YH会員証
生活関連品
・パンツ ×3
・Tシャツ ×3
・靴下 ×3
・ハンカチ ×3
・Yシャツ(長袖) ×2
・ジャケット
・ジャンパー
・タオル ×2
・シャンプー(小) ×3
・ボディーソープ(小)
・洗剤 ×15
・歯ブラシ、歯磨き粉
・くし
・電動ヒゲソリ、カミソリ
・耳掻き、綿棒
・鼻毛切りハサミ
・風邪薬
・下痢止め
・酔い止め
・痒み止め
・胃薬
・筋肉痛対策薬品
・絆創膏
・栄養剤(ビンの、カロリーメイト、かつおだし)
・トイレットペーパー、ティッシュ
・袋(ビニール、ナイロン、ゴミ袋)
・南京錠
観光関連品
・デジタルカメラ、バッテリー×2
・電子辞書
・折り畳み傘
・ペンライト
・充電器関連
・腕時計
・携帯電話
想像できる限りの状況に対応でき、かつ、荷物をできるだけ少なくするという命題を実現するセットのつもりである。




 午前5時20分。目覚まし時計が鳴るよりも早く目を覚ます。春の初めなので、寒いときにはまだ寒い。タイマーをセットしておいたヒーターに当たりながら雨戸を開け、外の天気を確認する。幸い晴れのようだ。昇りつつある太陽の日差しがまぶしい。
 着替えをしていると、母が起きて来た。コーヒーを入れてもらい、ヨーグルトなどを食べる。カバンに詰めていく荷物を少しでも減らすため、Yシャツを着てジャケットを羽織っている。まだ朝方は冷えるとはいえ、少し暑い。うっすらとかく汗と共に、心中の不安もにじみ出てくる。今ならまだ出かけるのをやめられる。色々な人が知っているので、少しは恥ずかしいけれども、予測もつかない不安と隣りあわせで進まなければならないのならば、それも良いだろう。恥ならばこれまで十分にかいてきた。
 そんな不安を母に口にすると、自分も旅行に出かける前はそうだった、と言ってくれた。宿が見つからなくて苦労したらしい。話したことによって、少し楽になった。
 同時に、僕はそんな不安とは無縁だと思っていた、とも言われた。動揺とは無縁だと思われているらしい。そんなことあるわけが無い。単に僕は、自分が弱い人間だと思い知らされながら生きてきただけだ。だからこそ、自分にできることが分かるし、できなくても何とかする方法を知っている。冷静さを失ってしまえば、それもできなくなる。だから、がんばって冷静であろうとしているに過ぎない。それが、人には冷たすぎるように映ってしまうこともあるのだろう。でも、いつだって不安で一杯なのだ。
 やはり出かけよう。そう、気持ちを新たにする。進むことでしか、何かを得ることはできないから。

 家から成田空港までは、電車で3時間近くかかる。午前6時16分に最寄り駅から発車する電車を目指して、家を出る。この家には、1ヵ月半は帰ってこない。そのことに感慨を感じる余裕も無い。ただ、ひたすら駅を目指す。
 家から最寄り駅までは、徒歩で10分くらいだ。午前6時過ぎに家を出たので、余裕を持って駅に着けるはずだったのだが、キャリーバックだと言うことを計算に入れ忘れていた。普段使い慣れないこれを引っ張りながら歩くのは、存外、時間がかかる。外側に余分な荷物がついてあることもあり、少しでも斜めになると、回転軸がぶれて横転してしまう。
 ひっくり返らないように慎重に引きながら歩くと、だんだん慣れてきたのか、まっすぐ歩けるようになって来た。ようやく駅舎が見えてきたところで、ふと、振り返ると、荷物が少なくなっている。括りつけてあったジャンパーが無いのだ。道理で歩きやすいはずだ。本当に軽くなっていたのだから。
 どうするべきか。ここからは落ちている場所が見えない。もうすぐ電車は来てしまう。かといって、ジャンパーを放置するわけにも行かない。取りに戻るにしても、他の荷物が邪魔だ。走りづらい。とはいえ、置いて行ってこちらが無くなっては、本末転倒でもあるし。
 ちょっとしたミスが不安感によってあおられ、簡単にパニックを引き起こす。それを無理やりに押さえ込む。
 荷物を抱えて戻る。戻る戻る。幸い、150メートルほど戻った所でジャンパーが落ちているのを発見する。ホッとする間もなく、それらを抱え、キャリーを転がす余裕も無く、指を痺れさせながら、再び駅に向かって駆け出した。階段を駆け上る途中で、電車が入ってくる。あわてて財布を出し、パスネットを購入。何とか電車に駆け込むことができた。息が上がっている。荷物をイスに置いて、ホッと一息、汗を拭く僕を、おかしな生き物でも見るように、通学途中の女子高校生が見ていた。

 前途多難。そもそも、今回の旅行は、準備段階から、かなり無謀なものだった。海外旅行経験なし。飛行機に乗ったのも、研究会に出席するための、北海道往復のみ。自費での飛行機搭乗は初めて。それにもかかわらず、旅行期間は48日。1ヵ月半以上なのだから呆れる。仮にホームシックにかかったとしても、そう簡単に帰れるわけではないのだ。その準備にしても、飛行機の予約を取ったのは、4月には行ってから。荷物の整理は前日になっても終わらず、とても万全と呼べるものではない。おそらく、話を聞いていた大学院の先輩達は、不安を感じていたのではないだろうか。その前に、一度は海外に出かけてみれば良いのでは、とも進められた。しかし、そんな時間も無かった。
 いつごろから旅行に出かけようと、例え漠然としたものとしてでも、考えていたのかは良く覚えていない。ただ、入社するに当たってパスポートを取得するように言われたときに、海外研修ではじめてパスポートを使うのは無謀だな、と思ったことは確かだ。第一、格好が悪すぎる。そう思い返すと、かなり前から構想していたことは確かなのだが、それを実現するためには、まずは目の前の博士論文を仕上げなければならず、それが終了しても、しばらくは気が抜けて使い物にならなかったため、結局、直前まで準備がなされないという状況が生じることとなった。無意識のうちに、海外に出る不安感から、問題を先送りにしていたのかもしれない。
 最終的に、日程はチケットの都合によって決定された。ゴールデンウィークが近づくと値段が跳ね上がってしまうので、その前に。7月からは仕事なので、準備期間を残しつつも、できるだけ長く。しかし、6月は団体旅行者が多いらしく、なかなか予約が取れず、7日に帰国と言うことになった。本当はもう少し長くしたいところだったのだが、仕方が無い。まあ、1ヵ月半もあれば、ある程度の国は回れるだろう。
 クレジットカードや国際キャッシュカードは、できるまでにある程度時間がかかることは分かっていたので、3月からつくり始めていたことが幸いした。何せ、3月で学生と言う肩書き(なんと21年間も名乗っていた!)が無くなり、無職になるので、信用があるうちに作っておこうとも思っていたのである。
 目的地をヨーロッパにしたのは、やはり、ブランド的な憧れと、その歴史に対する興味のためだろう。同期で、アメリカの大学に行っていた某氏は、アメリカ、特にハリウッドのすばらしさを強調していたが、僕は、自然や長い人の歴史によってつむがれたものをこの目で見てみたいと思う。それに、アメリカに行く機会はこれからたくさんあるだろうから。加えてヨーロッパは、比較的、経済的治安的にも安定しているということも判断材料に加わっていたことは言うまでも無い。危険な目に会うなど論外だ。いずれにせよ、今この瞬間が長期に旅行できる数少ないチャンスであることは間違いないのだから、それを楽しめるような場所にしたかった。




 京成線で少し通勤ラッシュに巻き込まれたが、無事に成田空港第二ターミナル駅に到着することができた。午前9時。荷物を従え、エスカレーターに乗り、ターミナルを目指す。駅を出るとすぐに、空港のセキュリティーカウンターが待ち構えていた。パスポートを提示しないと通り抜けられないらしい。厳重なことだ。海外旅行者が持っていないわけも無いので、ポシェットからそれを引っ張り出し、提示する。すんなりと通過。当然だが、緊張した自分に損をした感じがする。
 案内表示に従って進んでいくと、エスカレーター手前に両替所を発見する。最初の寄港地は、イギリス、ロンドンだ。ATMでポンドを下ろせないはずも無いが、到着時間は午後10時近く。使えるかどうか不安だ。結局、八千円相当のGBPに両替をする。ポンドゲット。指が切れそうなほどの、エリザベス女王が書かれた紙幣に、わけも無く嬉しくなる。何せ、初めて手にする外貨だ。
 お金を財布にしまい、出発ロビーへと向かう。バウチャーの引き換えができるのは午前10時からのはずなので、まだ時間がある。その前に、JCBの空港サービスカウンターに行って、限度額の引き上げを行うことにした。ダラダラと歩いていくと、それは意外に簡単に見つかった。ラーメン屋の屋台程度の大きさのカウンターに職員が二人。後ろには各地のパンフレットが並んでいる。幸い、まだお客さんはいない。時間的に早いのだろう。カードを提示して用件を言うと、早速どこかに電話し始めた。さすがに手馴れている。程なくして、限度額増額成功。ついでに、パンフレットをもらい、キャンペーンの登録をしてもらった。この恩のためか、このカードを使おうという気になってくる。商売が上手いのか、僕が単純なのか。
 時間は早いが、問題のカウンターを探すことにする。よく分からなくて空港職員に尋ねたら、さっきいた場所の近くだった。呆れる。でも、グラウンドアテンダントって、もっと愛想が良いものかと思っていたが、それ程でもなかったのでがっかり。マックのお姉さんを見習って欲しいものだ。
 念のためカウンターに行ったら、チケットをもらえた。電光掲示板を見ると、すでにアエロのチェックインは始まっているらしい。Check-in Baggageが無いので、セキュリティーチェックはスルー。チェッカーのお姉さんは、機内預けが無いといったら、驚いていた。それはチェックインでも特に問題にならず、無事に終了。搭乗時間まではまだ間があるので、空港内をブラブラすることにする。チェックインしても荷物がまったく減っていないので、移動は面倒くさい。
 ふらふらしていると、アメリカンエクスプレスの勧誘に捕まる。審査を受けるように誘われるが、どうせ無職なのだから、受けたところで通るはずも無い。仕事か、と聞かれたが、遊びですと答える。うらやましがられる。これは本音だろうな、きっと。ジャケットを着ているから誘われたのだろうと思うが、実は無職なんですよ、エヘッ。ともかく断るが、なぜかボールペンをもらう。
 これ以上、外で勧誘を受けてもうっとうしいし、さっきのお姉さんと顔を会わせるのも気まずいので、出国手続きをしてしまうことにする。またしても金属探知機にベルトのパックルが引っかかる。北海道の時と同じだ。セキュリティーのお姉さんはベルトのあたりを触っても良いですか、と聞いてくるが、彼女も変な男の下腹部を触ってチェックするのは嫌だろう、仕事とはいえ。今後はベルトもはずすことにしよう。今回は、靴まで脱がされる。念の入ったことだ。しかし、カバンに入れていた鼻毛切りは無事にチェックを通過。刃渡りが長くなければ良いらしい。セットの中に入っているナイフを捨てさせられていたおじさんもいたが、知らなかったのだろうか。疑問だ。
 出国審査は何も聞かれることは無く、終了。しかし、仕事柄、愛想をまくわけにはいかないとはいえ、出国審査官は無愛想だ。
 出国審査が終了しても、荷物が減るわけでもなく、移動しづらいことに変わりはない。そんなわけで、ゲートはかなり広く免税店もたくさんあるが、店には入りづらい。いられる場所を求めてウロウロしていると、ヤフーBBのコーナーを発見する。どうも、タダで使えるらしい。ありがたい。少しの逡巡の末、使わせてもらうことにする。名前と、パスポート提示後に、USB キーをもらう。メールチェックとブログの更新。何となく長い時間使うのは悪い気がして、すぐに終了。終了の仕方が書かれていないので良く分からないが、キーを抜くと初めの状態に戻ったので、それでよいのだろう。なんと乱暴な方法だろうか。
 本当にやることがなくなって、寝椅子に横になりながら、持って来たお菓子、武者せんべいを食べる。移動の際の衝撃か、バラバラの粉になっていた。
 搭乗開始。アエロフロート、ボーイング777。僕の席は中央左の通路側。なかなか良い席だ。しかも、時節柄か、空いているので、隣3つには人がいない。最高。窓側のロシア人が、こちらを見ながら、アテンダントに対してしきりに文句をつけていた。
 午後12時過ぎ。離陸時に機体がかなり揺れた。なぜか天井から水も落ちてくる。すごく不安になる。ネットで見た、着陸時には拍手が起きるという話に妙に説得力を感じる。
 飛行中の待遇にはおおむね満足。キャビンクルーが、軍人上がりのようなゴッツイ人でちょっと怖かったが、サービス自体はそんなに悪くない。お昼ごはんにはお寿司も出てびっくりした。とても日本を意識しているようです。機内サービスで出ていたビールは、「キリン 一番絞り」だったし。でも、ビールを頼む人にはちょっと嫌な顔をしていました。晩御飯も、チキンとパスタがメインで、パックのにおいがしたけれども、それなりに美味しかった。
 到着近くなり、アテンダントが何かを配りだす。一応もらっておくと、ロシアへの入国カードだった。トランスファーの場合は必要ないはず。書かないで置いたが不安は残る。
 午後5時過ぎ。モスクワに到着。トランジットの乗客は空港外に出ることも許されず、次の便までゲート内で待機。行き先ごとに乗客が分けられる。ところで、空港職員は、なぜきちんと英語を話さずに目的地を連呼するだけなのだろうか。逆に分かりづらい。選別が終わり、残った人達は、隔離された通路を歩かされ、トランジットカウンターへ。窓の外を見ると、雪がちらついている。

シェレメーチエヴォ国際空港

 何せロシアです。外国人には厳しいロシアです。次に何が起こるのかと、非常に不安になります。ビクビクしながら歩く。我ながら気の小さいことだ。
 実際は特に何も起こらず、チケットとパスポートを渡して、確認後に搭乗券を渡されるだけ。スタンプも押されないし、質問もされない。簡単なものだ。ゲートを抜けて、乗り継ぎ便を待つ。あと3時間強。
 この空間は、出国手続き後にしか入れないので、ロシア国内ではない。コの字型の空間には、免税店やレストランなどが所狭しと並ぶ。値段はEURやUSDで表示されている。おそらくカードも使えるのだろうけれども、荷物が多いこともあって店には入りにくい。かといって、一ヶ所に留まるのも何となく嫌だったので、フラフラと歩いていた。
 そのとき突然、日本人のおじさんに声をかけられる。キエフに行くらしいのだが、搭乗券にゲートが書かれていないため、どこに行ったら良いのか分からないらしい。自分の搭乗券をポシェットから出して見比べてみる。こちらには、ゲートと座席がきちんと記してある。どうすればよいか聞かれるが、そんなこと、海外旅行初体験の僕が分かるわけも無い。少し話をして、窓口に相談に行ってもらうことにする。心配ではあるが、人のことにかまっていられるほどの余裕も無い。
 疲れたので、少し立ち止まって休憩。心配性なので、もう一度チケットとパスポートを確認しようとして、一気に青ざめる。ウエストポーチのチャックが開いていて、チケットやパスポートを入れていたカード入れが無いのだ。幸いパスポートとチケットは、先ほどのコントロールで出したままになっていたのでウエストポーチのの中にあるが、カード入れの中にはAMEXのカードが入っている。大ピンチである。このカードは携帯電話の支払いにも使用しているものだから、これを止めてしまうと電話の使用も不可能になる。何のために購入したか分からない。しかし、止めなければ、カードの不正使用で膨大な請求が来るかもしれない。
 だが、一体いつ無くなったのだろう。パスポートを出したときにはあったし、他の場所にしまうはずも無い。そう思いつつも、他のカバンを開けて見るが、やはり無い。コントロールの時に落としたのか。落し物に届いていないか聞いてみるべきか。でも、どこのセキュリティーを通ったか正直な話覚えていないし、英語力にも不安がある。そうか、さっきのおじさんにすられたのか。馬鹿な。こんな場所ですっても逃げ場はないし、何のメリットがあると言うのだ。人のせいにして自分の責任から逃げようとするのは悪い癖だ。自分で落としたに違いない。でも、どこで。
 旅の序盤で起きた予想外のトラブルに、パニックになる。一気に血の気が引く。顔からは汗がポタポタと落ちてくる。外は雪が降っているというのに。
 落ち着け、落ち着け。必死に自分に言い聞かせる。今、原因を追究しても何にもならない。重要なのは、どうすれば被害を最小限に食い止められるかだ。幸い、カードは他にもある。1つなくしたからといって、旅にそれ程支障が出るとも思えない。今やらなければならないのは、何よりカードを失効させる事だ。
 しかし、携帯電話の電源を入れてもネットワークに接続しない。これは使えない。仕方なく、先ほど彷徨っていたときに見つけた公衆電話を使用することにする。これはクレジットカードが使えるので、非常に便利だ。カードを差し込み、番号を押す。何度かの試行錯誤の末、カード会社につながった。しかし、回線が混んでいるのか、なかなかつながらない。だんだんと次の飛行機の時間も近づいてくる。
 あきらめよう、ここで電話するのは。イギリスでも電話はできる。時間がかかるのは致命的だが、これ以上ここで何かをするのは、正直、面倒くさい。どうせ限度額以上には使われないから、最大でも被害はそこに留まるはずだ。弱気な心が鎌首をもたげる。僕は、受話器を置き、休める場所へと向かうことにした。
 体を休める場所があったとしても、今の状態で心が休まることなど無い。それならば、体を休める必要も無いだろう。これは罰だ。油断をした自分に対する罰だ。そう思う。
 することも無いのでもう一度ウエストポーチの中を探ってみることにした。また何かなくなっていたら目も当てられない。デジカメを取り出し電子辞書を抜く。後に残るのは何も無い空間だけ。そう思って探ると、一番大きなポケットの中にあるもう一つのポケットの後ろ側の手触りが、何かおかしい。少し硬いような気がする。あわてて覗き込むと、そこには無くしたはずのカード入れがある。ぴったりとはまり込んでいて気づかなかったらしい。
 体の力が一気に抜けると同時に、すさまじいまでの安心感が心を覆う。良かった、本当に。こうなってくると、先ほど電話がつながらなかったのは僥倖と呼ぶしかない。もしつながっていたら、カードは失効していたし、携帯電話も使えなくなっていた。そうなれば、旅に何がしかの支障をもたらしていただろう。まさに不幸中の幸いといった感じだ。いや、現実には何も被害が無かったのだから、ただの幸いだろうか。とにかく助かった。
 安心すると余裕が出てくる。脱力している自分の写真を1枚とっておいた。
 その後は特に何も無く飛行機に搭乗。ご飯が出たのが嬉しかった。チキンのトマト煮みたいなもの。飛行機は先ほどのものより二回り小さい。機内で入国カードが配られる。本来、大文字で書くべきところを小文字で書いてしまう。アテンダントにお願いしてもう1枚もらう。午後10時近くにロンドン、ヒースロー空港に到着。
 イギリスの入国審査は厳しいという話を聞いていたが本当だった。滞在期間や入国目的を聞かれたり、帰りのチケットをチェックされるのは仕方ないにしても、旅行期間中の移動手段のチェックまでされるとは思わなかった。僕はユーレイルパスを持っているから問題なかったけれど、何ももたずに旅をする人は、どうやって言い逃れをするのだろうか。あと、現在の職業を聞かれたのも痛かった。嘘だけれども、学生だと答えたら、大学生なのかと聞かれる。博士課程だと答えたら、何を専攻してるのかとも。しつこい。物理だと答えて、やっと開放される。初っ端からこれでは、本当に先が思いやられる。
 念のため、キャッシュカードが使えるかATMでチェックする。最初は戸惑ったけれども、最終的には普通に使えた。これでお金に関しては問題ない。こんなことなら、両替しなくても良かった。

 空港から宿泊施設のある駅までは地下鉄で行ける。窓口でチケットを購入して乗り込む。電車の中には余り人がいない。外も真っ暗だ。ロンドンは意外に早く寝静まってしまうのかな、と思った。乗換えをして目的の駅を目指す。その一つ前の駅に止まる前にアナウンスがあった。何か、僕が行く駅の名前を行っているようだが、よく聞き取れない。仕方ないので無視する。
 さて、次で降りなければ。そう思って準備していると、電車は速度を落としただけで止まることはなく、駅を通り過ぎてしまった。有り得ない展開。次の駅で降りて乗換えを試みる。しかし、行ったり来たりしている内に、チケットが改札を通らなくなってしまった。駅員が寄ってくる。どこに行きたいのかと問うので、Bayswaterに行きたいと言うと、そこはcloseだと言う。訳はできるけど、意味が良く理解できない。戸惑っていると、書いている紙を持ってきて、再度closeだと言う。いや、それは分かっているけど、理解不能なんだよ。
 やっと理解したところによると、僕の行きたい駅は、ある時間を過ぎると閉まってしまうらしい。どっかの商店じゃあるまいし、そんな馬鹿な。第一、それでは困る。どうしても行かなければ。眠れないじゃないか。
 歩いていく方法は無いのかと聞くと、Queenswayという所から行けるらしい。そこまでの行き方を聞いて、礼を言って先を急ぐ。かなり時間をロスした。しかし、日本の常識では考えられない。地下鉄の運営の仕方も色々だ。ある意味、合理的なのかは知れないが。
 駅に着く。ところが、そこからの行き方が良く分からない。代々の位置は分かるのだが、暗いし、ホテルはいっぱいあるし、看板は目立たないので、見つけられない。店じまいをしていた人に聞いてみるが、あっさり、分からないと言われる。仕方なく、ちょっと高級そうなホテルに入って、フロントの人に聞くことにする。かなり恥ずかしい。
 日本語を話しているように聞こえたので、日本語で道を尋ねたが、僕の聞き間違いだったらしい。チェックインの手続きを始めるので、あわてて英語に切り替えて道を尋ねる。どうも隣にあるらしい。ありがとう。この会話の中で発見したのが、自分の知識に自信が無いときは、答えたあとに、”I think.”と言えば良いようだ。一つ勉強になる。




 何とか宿に到着。本当に名前が目立たない。中に入ってチェックインしたいと言うと驚かれる。午後11時半。当然かもしれない。初めの宿なので予約をしてあったのだが、なかなかそのデータが見つからない。受付は、若いお姉さん。隣に座り込んだもう一人の女の人は、誰かと電話している。色っぽく、気だるげに話している。タンクトップだし。一瞬、薬でも決めているのかと思う。
 やっとデータが見つかったと思ったら、今度は支払いのクレジットカードが通らない。中から、若い男の人を呼んできて、彼にやってもらう。仲が良さそうだ。おかげで支払いはできたが、このゴタゴタで学生割引をしてもらうのを忘れた。残念。
 3rd floorに行って、部屋に入る。4人部屋。中は真っ暗だ。当然だが、眠っているらしい。仕方なく電気をつけるが、申し訳ないので電気をつけたり消したりしていたら、”Could you keep the light peace?”と言われる、多分。電気を消せと言われていることは分かったので消す。廊下で荷物の整理。怪しい人だ。隣の部屋の女の人に、怪しむ目で見られる。当然かも。
 このユースの問題点は、シャワーの数が少なすぎること。僕のいる階には存在しない。こんな数で、宿泊客の使用をどうやって捌くというのだろう。まあ、こんな時間に使用する人はいないので、シャワーを浴びて寝る。シーツを敷くべきだが、部屋が真っ暗で敷けないので、寝袋で寝ることにした。おやすみなさい。長い一日だった。

ロンドン市内観光

ヨーロッパ旅行 第二日(2005年4月22日金曜日)
 朝早く目覚めたので、トイレに入りながら家に電話で到着報告をする。みんなまだ寝ているので、もう一度横になってから起きて、朝食を取る。パンとシリアルとコーヒー。いわゆる、コンチネンタルブレックファストというやつ。食堂は地下にあるので、外の通りを歩いていく人を見上げる形になる。

 午前9時半になるのを待ってから、駅でオフピークの一日券をカードで買って、トラファルガー広場へ。観光客と鳩がたくさんいる。

トラファルガー広場

広場もゆっくり見学したいのだが、午前11時からHorse Guardsの騎兵の交代式があるので、急いでそこへ向かう。門の前には騎兵が歩哨をしていた。

Horse Guards

観光客は、みんな並んで写真を取っている。でも、断りも無く馬に触りながら写真を撮るのはどうなのだろうか。遠慮が無い。
 門から中に入ると、広場の中にロープと杭で囲いができていて、観光客はその周りを囲むようにしている。それなりに人はいるが、十分に見る余地はある。なるべく人のいないほうに陣取って、そのときが来るのを待つ。
 警察が警備をしていて、馬の通り道に人が立ち止まらないようにしている。あくまで私見だが、彼女は欧米人には説明しながら整理しているが、東洋人には命令調で、立ち止まるな、としか言わない。どうも、英語がしゃべれないと思っている人間には冷たいような気がする。

Horse Guards

 交代式は儀礼的なものなのだ。意味を理解できるほどに詳しくないから、見ていても、ふーん、という感想しか生じない。自分の解釈が生まれる余地が少ないのでつまらないのだろうか。でも、一見の価値くらいはあるだろう。やはり少しはワクワクする。

 どこかお店に入ってお茶でもしようかと思ったが、一人でどこに入ったらよいか分からず、やめる。そのまま、ビッグ・ベンの方向に向かって歩き出す。一日券を持っているのだからバスに乗れば良いのだが、どれに乗れば良いか分からず、調べるのが面倒なので、歩くことにした。
 テムズ川近くのお店で水を買って、対岸で12時の鐘を聴いた。

ビッグ・ベン

テムズ川を渡っている途中に、子供を自分にひもで括りつけたおばさんと遭遇。突然僕の胸ポケットに造花を入れてきて、Moneyと言い出す。僕は、Noといって返しておいた。
 インフォメーションに行って、市内地図とバスの路線図をもらう。これでバスも利用できるようになるはずだ。トラファルガー広場に程近いここは、ロンドン近郊の情報も扱っているようだ。明日、出かける場所の情報が無いかちょっと見てみたが、見つからないのであきらめる。こんなところで時間を使ってしまうのは、勿体ないような気がするから。それならば、街の中をさまよっていた方が面白い。
 お店でホットサンドとオレンジを買って、バスを待ちながら食べた。人の集まるところには大抵、果物屋が屋台を出しているし、電車に乗っている紳士も、りんごを丸かじりしていたりする。イギリス人は、ビタミン不足に対する恐怖が、遺伝子に染み付いているのだろうか。
 なかなかバスが来ないので、歩いてロンドン塔に向かうことにする。テムズ川沿いでは、美術学校でもあるのか、人形のようなものを製作している男女がいた。ちょっと楽しそう。

テムズ川

ロンドン塔の前で、フィンランド在住の先輩から電話がかかってきていたことに気づく。どうも、無音設定になっていたらしい。こちらからかけ直して、ヨーロッパ上陸報告をする。
 ロンドン塔は、非常に冷えた雰囲気のある建物群だった。入り口付近では、名物らしい、時代がかった衣装を着たおじさんによる解説も行われていた。

ロンドン塔

しばらくの間、脇で聞く。半分くらいしか理解できない。判然とはしないけれど、どうも目の前の広場は、汚水の廃棄場のようなものだったらしい。各所で笑いが起こる。
ここには様々な血なまぐさい歴史が眠っているはずだ。夏目漱石も、入れば二度と娑婆の日を見ることは無かった、とか何とか書いていた気がする。アン・ブーリンの幽霊が出ることでも有名だった気がする。それが今では、世界中から観光客が訪れる名所になってしまっているのだから、不思議だ。色々と建物を回っていて、ふとテムズ川を見ると、タワーブリッジが格好良くたっていた。

タワーブリッジ

 セントポール大聖堂に行こうと思ったが、午後4時で閉まってしまうので、またの機会に行くことにして、大英博物館に行くことにする。入場無料だから、何度でも行ける。駅から少し距離があったが、観光客の群れを追っていったら、無事に到着。

大英博物館

何はともあれ、憧れのロゼッタストーンを見る。

ロゼッタストーン

この石によって、過去の人々の知識が現代にまで届いたと思うと、非常に感慨深いものがある。彼らは意識せずに残したにしても、その石に刻むという努力と、そこまでして歴史を伝えたいという願望のおかげで、その生活を知ることができるのだ。この蓄積を無駄にしないように生きなければならないだろう。

大英博物館

 確かに、これらは戦争略奪品かもしれない。だが、無料で、誰もが自由に見ることができるように展示していることに対しては、敬意を払う価値があるだろう。一体、この維持費はどこから出ているのだろうか。ヨーロッパと言えば、トイレが有料であることで有名だが、ここのトイレは無料で、しかも、とても綺麗だった。

 YHに帰って洗濯をする。ランドリーの場所をフロントに聞こうと思うが、彼らが話し込んでいて、そこに割り込むことができず。結局、シャワーを浴びながら洗濯することにする。情けなし。
 洗濯物を絞っている途中で、突然シャワー室の扉が激しくノックされる。”Who is it?”とっさに答えられず、あわてて洗濯物を絞り、シャワー室から飛び出す。外には、昨日フロントに現れた男の人が、タオル一枚巻いただけの姿で立っていた。急いで譲り、部屋へと帰る。本当にシャワーの数が少なすぎる。ここが「地球の歩き方」に紹介されていない理由をはっきりと理解した瞬間だった。
 あわてて無理やり絞ったので、手のひらの皮をすりむいてしまった。右手の中指の付け根が、丸く擦りむけている。持ってきた絆創膏で応急処置をする。こんなに早く使うことになるとは。それだけの犠牲を払っても洗濯物は湿ったままなので、誰も部屋にいないことを良いことに、様々な所に干しまくる。そのせいか、部屋の湿度がかなり高まった。(実際、寝苦しかった。自業自得。)

 外に晩御飯を食べに行く。疲れが足に来ているので、栄養補給をしなければならない。ところで、ロンドンの歩行者のほとんどは信号無視をする。きちんと車が間に合わないのを見切ってからだが、赤信号でも平気で渡る。車も、横断歩道の近くではかなり慎重に走る。いつ歩行者が出てきてもよいように。これを見ると、日本の人は信号を過信しすぎているなあと感じる。どちらが良いとは言い切れないけれども。
 喫茶店のような店で、ローストチキンセットを食べる。食べられる味だけれど、ただ単純に焼いたと言う以上ではない。ところで、精算て、なんて言えば良いのだろう。電子辞書で調べる。代金をきっちりと渡したら、”Perfect !”と微笑まれてしまった。照れる。
 部屋に帰ると、まだ誰も帰ってきていなかった。洗濯物を移し変え、電気をつけたまま寝る。おやすみ。

ちょっと郊外へ、バース

ヨーロッパ旅行 第三日(2005年4月23日土曜日)
 今日は出立の日なので、朝食開始時間に食堂に向かうが、まだ準備ができていない。いすをテーブルから下ろして、準備が済むのを待つ。そんなことをしていたら、職員だと間違えられたのか、トイレの場所を聞かれる。うろ覚えで答えたが、ちゃんと見つかったのだろうか。

 地下鉄の1ゾーン片道£2.00は高すぎると思う。ゾーン制は、乗換えが多い場合にはお得感があるが、わずかな距離しか乗らないときは、すごく損をした気分になる。ともかく地下鉄でPaddingtonへ。そこから電車でBathへ向かう。
 バースはイングランド中部の街。温泉があって、ローマ帝国時代は巡礼地になっていたらしい。しかし、電車の旅は良い。ゆったりとした気持ちになる。1時間ちょっとで目的地へ。

バース

バースはあいにくの曇り空。時々雨もぱらつく。宿泊するYHは、坂を上った奥まったところにあった。静かで良い感じ。玄関の前には桜のような花が咲いていた。

バースの桜

 街の中の教会を見学する。バース・アビー。中はひんやりとしていて、外からステンドグラスを通して差し込む光が美しい。日本語のパンフレットまで置いてあるのには驚いた。よほど観光客が来るのだろう。

バース・アビー

 ローマンバスを見学する。これは、石を積み上げてつくったローマ式のサウナのことでもあり、遺跡の名前でもある。(今後旅する各地で見かけることになる。)ローマ帝国がブリテン島まで支配していたことをこの目で実感する。すさまじいまでの大帝国だな、ローマは。当時は温泉が神聖視されていたのか、神殿のような扱いを受けていたらしい。

ローマンバス

 坂を上って街の奥の方に進む。ロイヤルクレセントと言う、円弧状の建物を見に行く。石畳の坂道を歩くのは、結構つらい。昨日も思ったが、イングランドの建物は、直線的なものが多い。きっちり正確に建てた、と言うか。あまり凹凸が無く、面白みが無いのが面白い。この街では、その中に黄色っぽい石を用いた曲線的な建物が混じっていて、独特の雰囲気をかもし出している。このようなイングランドの田舎の景色が見れただけでも、来てよかったと思う。

ロイヤルクレセント

しかし、期待していたロイヤルクレセントは大したことは無いと感じた。普通のマンションが丸まっている程度にしか見えない。高級ホテルも入っているようだが、わざわざここに泊まる意味は何なのだろうか。

バース

もっとも、本当は前にある草原の中から見るのが良いのだろうが、私有地らしく、入れなかった。ここでは、コンチキツアー(現地集合解散のツアー)らしい集団に遭遇した。楽しそうだなあ。僕も英語が話せれば、参加することを考慮するのに。




 宿に帰る。ここでは、ランドリーを利用してきちんと洗濯。シャワーも広くて使いやすい。難点は、セキュリティーが厳しく、ドミトリーに通ずる扉が、レセプションで管理されていること。人がいないときには通りにくく、不便だ。
 洗濯終了後、ご飯を食べようと外に出かける。しかし、週末のせいか、閉まっていたり、人がいっぱいだったりして、なかなか入れるところが見つからない。歩いているうちに、若者の酔っ払いや子供の集団に絡まれる。週末で陽気になっているせいだろうか。それとも、僕の格好がおかしいのか。広場のようなところで、小さな子供たちが駆け回り、その周辺でお母さん達が井戸端会議をしていた。どこの国でも、やることは同じだなあ。多少住む国が違ったとしても、本質的には、人間が生活しているという意味で、日本と大して変わらないのかもしれない。
 結局、どこのお店にも入れず、持っていた食料を食べてごまかす。屈辱的だ。




ストーンヘンジを見に、ソールズベリー

ヨーロッパ旅行 第四日(2005年4月24日日曜日)
 ここの朝食は、コンチネンタルは無料なのだが、目玉焼きやスープなど、温かいものを食べたい場合には、お金をとられる。そんなもの払う気は無いので、シリアルとミルクの朝食。ホットチョコが美味しい。
 駅に行くが、日曜日のため、まだインフォメーションが開いていない。とりあえず、Salisburyまでのチケットを買うが、どの電車に乗れば良いのか分からない。日本のように路線図が分かりやすく書かれていないし、同じホームにまったく違う方向の電車が入ってきたりするので、適当に乗るわけにもいかない。インフォメーションが開くのを待っていたが、前の人の相談事がすごく長いので、何とか路線図から行き先を読み取って出かけることにする。
 初めは午後2時まで電車が無いのかと思い絶望的な気持ちになるが、トーマスクックによれば1時間に1本くらいは走っていることになっている。アナウンスでソールズベリーの名前が出たので、荷物を持ってあわててホームへ。電車に乗り込む。

 ソールズベリーからストーンヘンジまではバスで行ける。駅に着くと、多くの人が事務所に駆け込むので、その人達の後についていく。バスのチケット売り場だった。すぐにバスが出発してしまうので、列に並んで購入し、バスへ乗り込む。こんな状況でも、販売員はマイペースだ。
 荷物を置いていきたいが、時間が無いのでロッカーを探すこともできない。まさか、こんなに荷物を持ってストーンヘンジに行くことになるとは。
 ストーンヘンジは、本当に何も無い草原の真ん中にある。

ストーンヘンジ

突然、降ってわいたとしか思えないほど異様な光景であるにもかかわらず、周囲に溶け込んでしまって自然に思わせるところが恐ろしい。伝説では、魔術師マーリンが持ってきたとか、持ってこさせてといわれているらしい。

ストーンヘンジ

かつては、丘の向こうの街に至る参道があったらしいので、誰かが何かの目的で作らせたのは間違いないと思うのだが、保護されるまでに、多くの好事家によって石が持ち去られたらしく、本当の形がどのようなものだったのか、今となっては知るすべが無いらしい。一体、全景はどのようなものだったのだろうか。
 帰りのバスを待っていると、家族連れで来ていた、小さな男の子とお母さんが目の前で遊びだした。子供が走り回るのと一緒になって、お母さんも同じ目線でピョンピョン跳びはねている。愛情いっぱいだなあ。
 帰りに、ソールズベリー大聖堂による。

ソールズベリー大聖堂

内部は、厳粛な雰囲気が漂っていて、祈りの場としてふさわしいと感じた。その雰囲気にひたるため、しばし椅子に座る。
ソールズベリー大聖堂

中では、おそらく、ミサの曲の練習が行われていた。ちょっとしたオーケストラ。人も大勢いたし、きっと何かが行われるのだろう。
 帰りの電車の時間が近づいているので、急いで駅に向かう。

ソールズベリー

静かで人も少ないが、よく整備されている街だ。急いで駅に行ったにもかかわらず、帰りの電車は30分ほど遅れる。  Waterlooでマックのハンバーガーを買って食べる。YHに行ってチェックイン。今度は学割にしてもらう。鍵をもらって部屋に行くが、扉を開けて愕然とする。女の子が3人いる!部屋を間違えたと思い、あわてて外へ。確認するが、間違っていない。もう一度中に入って、挨拶をする。
 6人部屋で、女の子5人に僕1人。いくらMixed roomとはいえ、有り得ないでしょう!非常にいづらい。目のやり場に困る。頼みますから、普通にタオルを巻いてシャワーから戻ってきたり、目の前で着替え始めたり、パンツを干したりしないで下さい。本当に、お願いですから。
 部屋の中のコンセントが壊れていたので、仕方なく、廊下で充電をする。不審人物っぽい。まるで、のぞきにでもなった気分だ。
 彼女達のいない間に寝てしまうのが最良の対策だと思う。おやすみなさい。ああ、明日もこの部屋なのか。




舞い戻って、ロンドン

ヨーロッパ旅行 第五日(2005年4月25日月曜日)
 あいにくの雨。しかし、観光をしないわけにはいかない。大抵YHは、昼の間は部屋にいることはできないので。
 バッキンガム宮殿の衛兵交代式が見たいが、午前11時半ごろなので、それまでの時間を有効に使わなくてはならない。そこで、朝早くから開いている教会に行くことにする。時間的にオフピークの1日券が買えない事が残念。
 セント・ポール大聖堂の中に入る。
セント・ポール大聖堂

早朝ということもあり観光客はそれ程いないが、準備もできておらず、掃除をしていたり、進入禁止になっている部分が多くある。空けているのだから、ちゃんと準備をしておいて欲しい。見所を大して見られず。見られるようになる午前10時まで待つことも考えたが、観光客もだんだん増えてきたし、そこまでして面白くなかったらつまらないので、別のところに行くことにする。
 雨の中、道路の看板を見ると、ロンドン博物館の文字が。大英博物館と勘違いをして見に行く。アホだ。開館まで5分ほど待って中に入る。展示物は、ロンドンの歴史と文化にまつわるもの。でも、ロンドンの大火は分かるけど、先史時代の動物の骨も同時に展示しているのは、遡り過ぎでは?それなりには面白かった。

ロンドン博物館

写真は、金属球が蛇行して転がることにより、内部の板をシーソーのように動かし時を刻む、時計。自動で金属球が行ったりきたりする仕組みになっているので、すわ、永久機関化か?と思いましたよ。有り得ないけど。
 バッキンガム宮殿へと向かうと、雨にもかかわらず、すでにすごい人だかり。

バッキンガム宮殿

中が見えるところを探してさまよい歩いていたら、写真を撮ってくれるように頼まれた。黄緑の人、ちゃんと撮れていましたか?
 しばらく待つが、なかなか始まらない。そのうちに、中央部あたりの人がざわつきだす。近寄ってみたら、”No Ceremony”の文字が。雨天中止のようだ。パラパラと人が帰りだす。僕も帰ろうと思って歩き出すと、その進行方向から、馬に乗った警官がやってきた。交通整理をしだす。何事かと思えば、それに引き続いて、コートを着た衛兵がやって来る。

バッキンガム宮殿

衛兵さん、御入場ー。まあ、交代式を見れなかったのは残念だけれど、こういうのも珍しくて良いかもしれませんね。
 道すがらスーパーを発見する。ロンドンで初のお買い物。水、サラダとパスタ、ビールを購入。今日の晩御飯です。
 再び大英博物館へと向かう。結構荷物が重い。何せ、水のペットボトルがめちゃくちゃ重いですから。昨日見れなかった部分を見る。

大英博物館

エジプトの展示のところで、連れの若い女の子に薀蓄をたれている、大阪のおじさんに遭遇する。あの2人の関係って、一体何なのだろう?やはりここには日本人が多い。荷物が無ければゆっくりしたいところですが、重いので、一通り見て、絵葉書を買って帰路につく。
 明日の朝利用するバス停を確認するために、Baker st.へと向かう。何とかバス停は発見。明朝はここに来ればよいのか。近くに郵便局があるはずなので、それを探す。何とか見つけ出すも、中はすごい行列。うなぎの寝床のような局内に、蛇行するように人が1列に並んでいる。切手の自販機があったので、地元の人に倣って購入。でも、出てきたのは、1stとか2ndとかいう切手。明らかに国際郵便じゃないだろう。仕方なく、行列に並んで購入。ここの局員も、英語をしゃべれない人には冷たい。
 近くに来たついでに、シャーロックホームズ博物館の外見だけを見る。シャーロキアン必須の訪問地。

シャーロックホームズ博物館

やはり、記念写真を撮っている人がいた。中には入らず。僕は、十分満足です。
 YHに帰って、食堂でさっき買って来たものを食べる。意外に量があった。おなかいっぱい。食堂では、どっかのグループが、ワイワイと騒いでいた。楽しそうだなあ。
 雨のせいで、建物の中ばかりにいた一日だった。
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